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……数時間前の午前……
夏川三咲は銀行にいた。万年金欠の三咲にとっては、毎月25日の給料日が、何よりも待ち遠しく……8月25日の今日も、例外ではなかった。
五十日ということもあってか……三咲の他にも人は多く、数台あるATMは全てに人の列ができており、三咲はその後方で、自分の順番が来るのを並んで待っていた。
しばらくすると三咲の順番になり、三咲はATMの操作をした。
「せっかくの給料日なのに……家賃とかの支払いしちゃったら、残らないんだよね……」
三咲はぶつぶつぼやきながらも、手慣れた様子でタッチパネルを操作する。
すると……隣のATMの男性が、ぶつぶつ何かを言っている。
「あんなけやって……たったこれだけかよ……」
三咲は男性の声に反応して、思わず隣のATMを見たが……思わず目を疑った。
「50万じゃあ……割に合わねぇわ」
男性はそう呟きながら、1万円札の束を……封筒や鞄に入れる事なく、雑にポケットに入れたのだ。
三咲はつい考えてしまった………どこかの御曹司?………。
三咲はその男性をまじまじ観察する。
男はボサボサの黒髪に、白いシャツを胸元で開け、首にはカジュアルなネックレスに……足元はジーンズにクロックス……。
どう見ても金持ちの御曹司には見えない………だとすれば……。
「おいっ!……」
………実業家?……いや、こんな貧相な格好をしている実業家なんて………。
「おいっ!……テメェ!」
三咲はハッとしてその声の方を見た。
「テメェさっきから、何を見てやがるっ!」
「ギャーーーッ!!」
三咲は思わず叫んでしまった……大金を持った得たいの知れない男が、自分に因縁をつけていると、勝手に思ってしまった。
男は突然の三咲の叫びに、目を丸くした。
「なっ!何だ?いきなり叫んで……」
「はっ!」
三咲は辺りを見渡して、我に帰った。
男は呆れた様子で言った。
「どうでもいいけど……後ろ、つかえてるぜ……」
男にそう言われた三咲はうしろを振り向いた。すると後ろを並んでいる人々が三咲を睨んでいる。
「ひぃーーっ!すいませんっ!すいませんっ!」
三咲は慌ててATMで自分の用事を済ませて、後ろの人に順番を譲った。
するとその時だった。
「動くんじゃねぇっ!!」
銀行内に怒声が鳴り響いた。
銀行内にいた三咲や他の人々の視線は無意識に、その方向を指した。
三咲は……いや三咲以外の人間も目を疑ったに違いない……。
それもそのはず、そこには黒い覆面を被った、黒ずくめの男3人が手に拳銃らしき物を持って、それを振り回していたのだ。
男達の存在を認識し、銀行内は一気にパニックに陥った。
「キャーーーーッ!!」「ごっ!強盗だぁぁぁぁっ!!」「ひぃーーっ!!」などの……それぞれの叫び声が、銀行内を行き交った。
しかし、それらの叫び声を沈めるように、覆面の男が叫んだ。
「静かにしろっ!!ぶっ殺すぞっ!!」
男は叫んだと同時に、拳銃を発砲した。
……パァーーーンッ!!……
拳銃の轟音と共に、銀行内のざわつきは次第に収まっていく。
「へっ……そうだ……おとなしくしていろ……」
覆面を被っていたが、男がニヤニヤしていたのは感じ取れた。
「おいっ!すぐにシャッターを降ろせっ!!」
「ひぃーーっ!!わ、わかりましたっ!」
覆面男に拳銃を突き付けられた、受付の女性はおとなしく言う事を聞いた。
やがて銀行全面のシャッターは降りて、銀行は閉店状態になり、完全に隔離された状態になった。
閉店状態になった銀行に、満足したのか……覆面男達は、銀行内の客と従業員を一ヶ所に集めた。
客と従業員合わせて約30人程……客は待合用のソファーに座らされ、従業員はその隣にしゃがまされた。
「支店長はどいつだ?」
覆面男な呼び掛けに、従業員達はざわざやしだした。
「支店長……呼ばれてますよ」
「ひぃーーっ!儂に視線を向けないでくれっ!」
「惚ける気ですか!?」
「情けない支店長だわ……」
「儂にはまだ家のローンが残ってるんだっ!」
そんな従業員達のやり取りを見て、覆面男が怒鳴った。
「さっさと出てこいっ!殺されてぇのかっ!?」
覆面男の怒鳴り声に、従業員達は一斉に一人の禿げた男に視線を集めた。
「この人が支店長ですっ!」
「煮るなり焼くなりお好きにどうぞっ!」
「さっさと行けよっ!このハゲっ!」
「くぅーーーっ!お前らーーっ!」
支店長と呼ばれる禿げた男性は、プルプル震えている。
拘束された支店長を見て、ソファーに座っていた三咲は恐怖で震えた。
すると隣に座っていた男が呟いた。
「あ~あ……面倒な事になっちまったな……」
三咲はその声に反応すると、その声の主は先程の、大金を持った得たいの知れない男だった。
「ひぃーーっ!チンピラ……」
「誰がチンピラだっ!」
三咲が思わず言った言葉に、男は突っ込んだが……すぐに覆面男の一人が、二人に言った。
「そこっ!うるせぇぞっ!」
「ひぃーーっ!すいませんっ!」
三咲は恐怖の余りすぐに謝ったが……男は悪態をついた。
「チッ……うるせぇのはどっちだよ……」
それを聞いた三咲は震え上がって、覆面男を確認したが、男の悪態に覆面男は気づいていないようだった。
三咲は「ふぅー」と溜め息をして、男に小声で言った。
「ちょっと……言葉には気を付けて下さいっ!……」
男は反省するどころか、今度は三咲に悪態をついた。
「うるせぇな……大丈夫だよ。殺されはしねぇよ……」
男の態度に三咲はムッとした表情で言った。
「何を根拠に言ってるんです!?あなたの勝手な行動が、他の人の迷惑になるんですよっ!」
男は三咲を気にせず言った。
「だから大丈夫だよ……あいつらに殺意はない……」
「だから何を根拠にっ?」
「見えるんだよ……」
男の言葉に三咲は目を丸くした。
「見える?何が?……」
すると男はポケットに手を入れて、何かを取り出そうとしたが……覆面男はそれを見逃さなかった。
「おいっ!お前っ!何をするつもりだ!?」
覆面男の恫喝に三咲はビクついたが、男はとくに気にした様子はない。
「おいっ!聞いてんのかっ!?」
「うるせぇよっ!目が疲れてんだよっ!」
男は覆面男の恫喝に、まるで怯えた様子を見せずに、ポケットから目薬を取り出して、両目にそれを垂らした。
「あ~っ!スッキリする……」
三咲は呆れた様子で男を眺めていた。
すると別の覆面男の二人は、支店長を問い詰めていた。
「おいっ!金庫の鍵を開けろっ!」
「ひぃっ!わっ、わかりました……どうか命だけは……」
覆面男の一人は支店長を連れて、奥にあると思われる金庫に向かった。
その後、銀行内は静まり返ったが……しばらくするとスーツ姿の男性客が、覆面男に言った。
「私たちは……無事に解放されるんだろうな?」
「金さえ手に入ったら、解放してやるよ……」
覆面男の見下した態度に、スーツ姿の男性は表情をしかめた。
三咲は不安と恐怖が入り交じった、複雑な感情になった。
………給料を下ろしに来ただけなのに………三咲に限らず、この場にいる客は皆思っている事だろう。
………どうしてこんな事に?………。
しかし三咲の隣にいる男からは、そのような感情は感じ取れなかった。
男はあくびをしながら、両腕を頭の後ろで組んで、楽な姿勢でソファーに座っている。
三咲は思わず男に言った。
「なんで貴方はそんなに余裕なんですか?」
「うん?……何だ?」
三咲の問いに男は面倒くさそうにしたが……三咲は怯まず言った。
「だから……さっきから、見えるとか何とか……」
「チッ……ウザイ女だな……」
三咲はムッとした表情になった。
「ウ、ウザイ?……それに女って……私には夏川三咲と言うちゃんとした名前があるんですっ!」
「俺も……チンピラとか、貴方なんて名前じゃねぇ……桜庭文也って言う立派な名前があるんだよっ!」
「チンピラって言った事は謝ります……桜庭さん」
文也は再び悪態をついた。
「チッ……なんでこんな状況で、自己紹介してんだ……」
「それよりどうして、そんなに余裕なんですか?」
文也は三咲の問いに答えた。
「それはあいつらに殺意がねぇからだ……あと、さっきの客とのやり取りも……嘘じゃねぇ……」
「どうしてわかるんです?」
「だから言ってんだろ……見えるんだよ『文字』が……」
三咲は目を丸くした。
「『文字』?……何を言って……」
「それより……もうすぐ警察が来る……」
三咲は瞳を輝かせた。
「ほんとに?銀行の人が呼んでくれたんだ……」
「いや、そうじゃねぇよ……ただこの町中の銀行が、五十日である25日の午前に、閉店状態になっていたら……さすがに誰かが通報すんだろ」
「でも警察が来たら……助かりますね」
三咲の言葉に文也は首を横に振った。
「警察がここに来るのは……奴らの計算の内だ」
「じゃあどうなるんですかぁ?」
三咲はべそをかきそうな表情だ。
文也はニヤリとした。
「まぁ見てろよ……奴らは必ず警察に様々な要求をする……時間稼ぎのためにな」
「どうしてニヤニヤしてるんですかぁ?」
文也とは対照的に、三咲は今にも泣き出しそうだった。
三咲からすれば、銀行強盗と同じくらいに、この桜庭文也という男は……怪しく、得たいの知れない存在だった。