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6:天使の梯子が降りた日。

「郁ー! 夕飯よー!」


 母親の呼ぶ声が聞こえて、あたしは跳ねるように飛び起きた。

 いつの間にか寝てしまっていたらしい。


 着たままだった制服のスカートはしわくちゃになり、プリーツが折れ曲がってしまっている。

 アイロンをかけたほうがいいかもしれない。


 ……めんどくさい。


 大きなため息をつき、スカートを脱いでハンガーにかける。吊るしておけば、その内しわも取れるかもしれない。

 ベッドの上にあったスエットの上下を着て、ようやくリビングへと向かう。



「もう、早くゴハン食べに来なさいよ。早く片付けたいんだから」


 ぶつぶつと文句を言いながら、あたしの席の前に味噌汁とゴハンをどんどんと置いていく母。

 父は味噌汁の湯気で白くなりかけているメガネに気付いているのかいないのか、黙々と味噌汁をすすっている。


勇人はやとは?」


 弟の勇人がいない。高一になったばかりのヤツは、浮かれて毎日遊び呆けていて、最近は一緒に食事することが少なくなってきていた。


「勇人は友達と遊んでるみたいよ。それより、郁。この前、進路の説明会だったんでしょ。何で何も言わないの」


 嫌な話題だ。

 つーか、話してないのに、なんで知ってんだ。ご近所ネットワークか?


 目の前にあった唐揚げを取り、無言でぱくつく。


「どうするの? 大学行くんでしょ? 大学は決めたの?」

「……まだ」

「早く決めなさい。あんたは目標がないとだらだらしちゃうタイプなんだから」


 べらべらとしゃべるわりに食べるのが早い母は、あたしがまだ二口三口しか食べていないのに、もう椀の半分を食べ終わっている。


「なるべくなら国立行ってほしいけど。郁の頭で行けるのかしら。浪人だけはしないでちょうだいね」

「わかってる」


 ずきずきと、頭が痛くなってくる。

 こめかみからじわりじわりと忍び寄ってくるような痛み。

 しわの寄った眉間のせいで、よけいに頭痛が増してゆく。


 大学? 大学に行くの?

 あたし、大学に行きたいの?

 どこに? どの大学に? なんのために? 何を学びたくて? どの大学に行くべきなの?


――わからない。


 あたしは、なにがしたくて、なんのために生きているのだろう。

 ここまで行けと指示されて、そこに行くために努力して、たどり着いたと喜ぶと、「そこはゴールじゃない」と言われる。


 ただの通過点なのだと――


 そう聞かされるたび、この先の道のりの長さにめまいがして、前が見えなくなる。


 頑張っても頑張っても、ゴールが見えてこない。


 何を目指したらいいのかもわからないのに、走れるわけがない。


「郁、聞いてるの? ちゃんと考えないとだめよ。あんたの将来のことでしょ」


 まっくらだ。


 あたしの将来って、なに?


 何も、見えない。



 口に運びかけたご飯を、あたしは食べることが出来なかった。


 テーブルに広がった赤いチェックのクロスも、色とりどりの野菜も、お母さんが着ているド派手なショッキングピンクのシャツも、ショッキングピンクを選んで着るセンスの悪い母が選んだ、渦巻き模様の泥棒の風呂敷みたいな柄の父のシャツも、あたしの目にはモノトーンに映る。


 一気に世界が沈んでいくような、たわんでいくような、吸い取られていくような。


 ゆっくりと開いた口に、気持ち悪いくらい湿度の高い空気が滑り込んでいった。






***


 佐村は、何も変わらない。


 佐村の机に集まる連中とばか笑いして、あたしとのことなんてすっかり忘れたみたいに、いつもどおり。


 あたしは佐村の隣の席で、腕の中に顔をうずめて、すべてをシャットアウトする。


 佐村の笑い声も、佐村の周りに集まるやつらの話し声も、こそこそと話し合う女子の囁き声も、なにが面白いのか、猿のおもちゃみたいに手を叩く音も、なにもかもがうざったい。


 なのに、地響きのように、鼓膜を揺さぶる。


 あたしだけ?


 お先真っ暗みたいな顔して、人生に二の足踏んでるのは、あたしだけ?


 そんなわけない。


 皆、苦しんでるはず。


 先の見えない未来に不安を抱いて、手探りで必死に道を探しているはず。


 それなのに、どうして、皆、笑えるの?


 目の前は崖なのに、後ろにいるやつらはそれに気付いていなくて。


「早く進め、早く進め」と背中を押してくる。


 そんなに押されたら、落ちちゃうだろうが!


 つんのめってワタワタして、顔面真っ青で「押すんじゃねえ!」と泣き叫ぶ、コントみたいなことしてるのは、あたしだけ?




 風が吹く。柔らかな風があたしの髪をなであげて、ヒュウ、とうなる。


 目線だけをあげて、空を仰ぐ。



 真っ白な雲。むくむくとした大きな雲の隙間から、太陽光線が放射状に広がり、光の線が幾重にも重なって地上へとのびていた。


「天使の梯子」と言われてるその光景は、あまりに神秘的で美しくて、あたしの目は釘付けになっていた。


 ラピュタみたいな雲の固まり。そこから溢れる神々しいまでの光。



――どこかへ、行きたい。


 去来する思いは、堰を切ったように暴れて、一瞬であたしを捉える。


 どこか、どこでもいいから。


 ここではない場所へ。



『どこかへ行こうか』


――どうするの? 行く? 行かない?





「――行く」




 答えは、決まっていた。

明日の更新、出来るかどうか微妙です……

出来れば、0〜3時更新予定。

もし出来なくても3月13日には更新します。

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