45:忘れたくない。
学校に行けば、佐村とあたしがただの友達に戻ったことを実感するんだろうとは思ってた。
だけど、思っていたよりもずっと、距離を感じた。
友達なんて言葉より、『ただのクラスメート』って言葉がしっくりくる。
振り出しに戻った。それだけのことだ。
佐村が学校に来なかったのも原因かもしれない。
隣にいない佐村。
カラオケでの離れた席。
佐村の隣にいた女の子。
すべてがあたしの中で佐村との距離に変わってしまった。
胃に残るこのもやもやした感情を、もてあます。
ああ、嫌だ。
きつい。
煮え切らない気持ちを抱えながら、ようやく家に着く。
「ただいま」と誰に言うでもなくつぶやき、自分の部屋へ向かう。
「げ。姉ちゃん、もう帰ってきたのかよ」
階段を上がっている最中、部屋から出てきた弟の勇人が焦ったような顔で後ずさった。
「悪い?」
「悪いっつーか……」
つんつんした短い髪を掻きながら、やけに後ろを気にする。
よくよく見ると、足がもう一本。
「へえ〜」
勇人の後ろからひょっこり顔を出したのは、小柄な女の子だった。
肩にかかった髪の毛はゆるくウェーブしていて、目がぱっちりしたお人形みたいな女の子。
ついにんまり笑いながら、勇人を凝視する。
「今日、お父さんもお母さんも遅くなるっていうからさ」
「連れ込んじゃった?」
「悪いかよ!」
「別にいいけど」
「もう帰るんだよ。送るんだから、どけよ」
はじめまして、と頭を下げるかわいい女の子に一礼して、階段の端により、道を譲る。
弟の彼女ははじめて見たけど、なかなかいいかんじの子。
お姉ちゃんは応援するよ。
勇人と彼女の背中を見送り、自分の部屋へと入る。
着替えを済ませ、ベッドに倒れこみ、でっかいため息をひとつ吐く。
胸焼けしたみたいに気持ち悪い。
佐村と、佐村の隣にいた女の子の姿が、頭から離れない。
――この旅行のことは、忘れるよ。
佐村は、そう言ってた。
あたしとの旅行のことなんて忘れて、いつか別の誰かと、あの場所へ遊びに行くんだろうか。
自慢げに「俺の彼女」と伯父さんと伯母さんに紹介したりするんだろうか。
思い出なんて、紙くずを捨てるように無かったことにされてしまうのだろうか。
……あたしは、忘れたくないのに。
にじみ出そうな涙を必死でこらえている時だった。
「お母さんとお父さんに言うなよ!」
と、部屋のドアが勢いよく開いて、弟が怒鳴り込んできた。
「言わないよ。あんたにはもったいないくらいかわいい子だったね」
からかいたい気持ちが湧き上がってきたら、涙は勝手に引っ込んでくれた。
にたつきながら身を起こす。
勇人は顔を真っ赤にして、あたしを睨んでいた。
「姉ちゃんが彼氏連れてきても、俺は言わないから。だから、言うなよ」
念を押され、渋々もう一度「言わないって」と承諾する。
「でも、彼氏いないし。連れ込まないし」
「え? 駅で男と一緒にいたのは?」
なんで知ってるの! と叫びそうになって固まる。
まさか、こいつにも見られてたのか……。
「土曜に出かけただろ? あの後、俺もすぐに出かけたから。まさか一泊するとは思わなかったけど」
「お父さんとお母さんに言ってないでしょうね?」
「言うわけないだろ」
「そういう関係じゃないからね。一泊するはめになったのだって、たまたまだし」
今度はあたしが赤面する番だ。
姉弟でこんな話をするなんて、恥ずかしすぎる。
「へえー。どうだか」
うわ、完璧に疑ってるし。
「とにかく、彼氏じゃないから」
「姉ちゃんの片思いか」
「ば、バカじゃないの!」
弟にからかわれるなんて最悪。
顔がこれ以上真っ赤にならない内に寝転がって弟の視線から逃れる。
気配が無くなった。どうやら自分の部屋に戻ったらしい。
最悪最悪最悪。身内に見られることほど恥ずかしいことなんてない。
あの駅、もう二度と使わない。……って、通学に使うから無理だけど。
「姉ちゃん」
「なに、今度は」
いやらしい笑みを浮かべた弟がまたドアの前に立っていた。
「ここ行って来れば? 願いが叶う美容室なんだってよ」
雑誌を手渡される。
すでに開かれたページには男の人二人と女の子一人の写真がでかでかと載っている。
『すべての女性の願いが叶うサロンを目指してます!』
記事をざっと読んでたら、美容師の言葉に目がいった。
「あいつ、この美容院行って髪切って、俺に告ったらしい。まじだぜ、まじ」
「あいつって、あんたの彼女のこと? バカらしい」
ハッと笑って、雑誌をつき返そうとしたが、なんとなく気になってもう一度雑誌を手に戻す。
髪を伸ばしていたから、ずっと美容院に行ってないし……。
気分転換に行ってみるのもいいかもしれない。
「借りるから」
「え? それ彼女のなんだけど」
「明日には返すから!」
立ち上がり、弟の立つドアの前までつかつかと歩み寄る。
「いい? 今日のことは言わない。あんたも土曜のことは誰にも言わない。わかった?」
「……わかった」
あたしの勢いに負けた勇人はへらへら笑って了承した。
「じゃ、借りるから」
弟の鼻先でドアをパシンと閉め、あたしはまたベッドに寝転ぶ。
雑誌を開き、ケータイを手に取ると、雑誌に載っていた番号に電話をかける。
きっかけがほしい。
女の子が失恋した時に髪を切るのだって、吹っ切るためのきっかけ作りだ。
一歩踏み出すための。
力を手に入れるための。
変わるための、第一歩。
この美容室は……わかった人はわかったかもしれないですね(^^)
明日も0〜3時更新予定です。