44:月を追いかける。
今までないがしろにしていたことが、どれだけ大事だったか。
五月病だから、なんて言って逃げてた人間関係が、結局はあたしを救ってくれる。
誰かの温もりは、いつだって体の芯まで届いて、なによりも快い。
佐村も晶子も、なんでこんなに優しいんだろう。
じわじわとにじみ出る涙で、視界はゆらゆらと揺れる。
まばたきした瞬間零れる滴は、ぽたりと落ちて、あたしの拳にじわりと沁み込んだ。
「でも、もう遅いよ。あたし……断っちゃったもん」
佐村の切なげな瞳が頭から離れない。寂しそうに悲しそうに……でも笑ってた。
あたしを傷つけまいと、佐村は笑顔を絶やさなかった。
空に浮かぶ月のように。
孤独な月は、夜空にただひとつ、青白く佇む。
あたしは――
月に追われているようで、追っていた。
縮まらない距離を埋めようと走って、けして届かないのだと、気付いてしまう。
立ち止まったら、見上げることしか出来ないことを知ってしまった。
この距離を埋める術なんて、どこにあるのだろう。
「遅くなんかない」
力強い晶子の声が、あたしを引っ張りあげる。
凛とした綺麗な瞳。弧を描く線はくっきりとまぶたを彩り、その瞳を強く印象付ける。
「郁ちゃんがいっぱい悩んで考えて出した答えでしょ? 郁ちゃんが答えを出すために必要な時間だったんだから、遅くなんかない」
あたしに必要だった時間――。
「それでだめだったら、それが運命だったんだよ。だからさ、とりあえずぶつかってみな」
手を強く叩かれる。だけど、痛くない。
あたしには、たくさんの時間が必要だった。
不条理すぎるこの気持ちを整理していくには、たくさんの時間を費やさなければいけなかった。
懐中時計を持った兎のように大慌てで走っても、必要な答えなんて見出せない。
立ち止まってうろうろして引き返して、それを繰り返してようやく見つける。
それが、あたしの出す答え。
きっと、それでいいんだ。
どんな形であれ、あたしが決めたこと。あたしの道。あたしの運命。
「うん……。ありがとう」
***
カラオケルームに戻ると、しんみりムードに変わっていた。
失恋ソングをうまい具合にビブラートを駆使して、岡本が歌い上げる。
路上ライブに聞き入る聴衆のように、皆、頭を揺らしていた。
なんだ、この空気。入りづらい。
変わらず前の席に座る佐村の横には、女の子がくっつくように座っていて、頭を揺らすふりして、佐村にすり寄る。
二人は時折会話を交わしているようだが、入り口にいるあたしからはその声は聞こえてこない。
佐村は、なんだかんだでモテる。
顔は別に普通だと思うんだけど、なぜだかモテる。
あの子も、きっと佐村が好きなんだ。
ちらちらと見る視線が、それを訴えてるのがわかる。
「好き」とビームを放ってる。
佐村はにこやかに笑って、彼女にあいづちを打ってる。
なんか、いらつく。
唇を噛み、湧き上がる意味不明な感情を押し殺そうとしていたら、耳のすぐ脇でけたたましい電子音が響いた。
思わずビクリと肩を震わせながら、音の発信源を見やる。
電話だ。どうやら、終了時間を知らせるための電話らしい。
電話に出ると、店員がハイテンションな声で「あと十分でーす」と告げてくる。
三時間は思った以上にあっという間に過ぎたようだ。
***
カラオケから出たら、もう夜空になっていた。
雲が出ていることがわかる、少し明るい紺色の空には、星はあまり見えない。
「ファミレス行く人ー」
呼びかける声に、手をあげるものもいれば、あげない者もいる。
あたしはもちろんあげていない。
佐村は、あげていなかった。
「えー! ほーちゃんも行こうよー」
佐村の腕に絡みつくのは、さっき佐村の隣にいた子。
彼女の視線が、一瞬あたしを捉えた。
ゆるいパーマのかかった髪をかき上げて、勝ち誇ったような笑みを浮かべてくる。
なに、あれ。なんの嫌味?
「ほーも来いよ。お前がいないとつまんねえし」
岡本がそんなことを言うから、佐村は「しょうがねえな」なんてつぶやいて、参加を承諾してる。
「わー! ほーちゃん来るんだあ! うれしー」
隣のあの子はぴょんぴょんはねる。
細い体を揺らして喜ぶ姿は、女のあたしから見てもかわいい。
あたしもあんな風に振る舞えたら、少しは違ったのかな。
佐村との関係も、今の環境も。
すいませんっ
また更新が遅れてしまった・・・
明日はきちっと0〜3時更新予定です!