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3:うざったいけど、甘えたい。


「竹永、次の授業、俺、当てられるんだけど」


 次の授業は英語だ。英語の教師は出席番号順で当てていくため、誰が当てられるのか事前にわかるのだ。

 あたしは隣のアホ男の声を無視して、冷たい机に突っ伏した。

 教室のざわめきは床を伝い、机を伝い、あたしの耳を小さく振動させる。


「竹永、聞いてんのかよ。予習してきてねえの?」


 お前は予習してきてないのかよ。


 無言を通すことで、あたしの意思を教えてやろう。

 あたしはあんたのために予習してるんじゃないんだよ。


「竹永、昨日送ってやった恩を忘れたのか」


 頼んだ覚えはない。


「もし答えを教えてくれたら、今日も送ってやるぞ」


 だから頼んでないっつーの。


「なあ、竹永」

「ああ! もう、うるさい!」


 バンッと机を両手で叩き、体を起こす。

 瞬間、教室は水を打ったかのように静まり返り、あたしにたくさんの視線が集中する。

 きまずくなって、顔を下に向けるが、この事態を引き起こさせた佐村が憎らしくて、思いっきり睨んでやった。

 佐村はニヤニヤ笑って、あたしの顔を見ていた。


「お前がうるさい」

「あんた、ほんとむかつく」


 あからさまに舌打ちしてやる。

 佐村は全く気にならないのか、口角を上げて楽しそうに笑っていた。


 佐村は笑うとかわいい。

 あたしの主観的な意見じゃない。客観的な、この学校に通う女子生徒の意見だ。


 大きな二重の目が細くなって、顔がくしゃりとなる。少し大きめの口をさらに大きくして、本当に楽しそうに笑う。


 あたしは、少しだけ佐村がうらやましい。


 人生を楽しんでいるように見えるから。





***




 昼休みの教室は、お弁当の香ばしい香りと、人の熱気が充満する。

 授業中はあんなにも静まり返り、冷ややかな空気なのに、それから開放されると一気に熱を持つ。


 この空気が、今はあんまり好きじゃない。


 ほんの少し前までは、この空気に違和感なく溶け込んでいた。

 三年になり、クラスが変わり、仲の良い子が周りにいなくなり。

 きっとそういう子は他にもいるんだろうけど、皆、いつの間にか教室のあの空気にすっぽりと収まっていく。


 一年から二年になった時だって同じような状況で、他の皆がそうであるように、あたしもクラスにきちんとなじめていた。


 なのに、今はそれが出来ない。


 人の輪の中に入っていく、気力がない。


 まだ四月なのに、どうやら五月病みたいだ。




 ひとり、三階から屋上へあがる階段を歩く。

 一歩一歩踏み出すたび、教室の喧騒が遠ざかってゆく。

 無性に心細くなる。なのに、足はあの場所から離れたがる。


 屋上へのドアは、鍵がかかっていた。


 少しだけ上がった息を深呼吸して整え、踊り場の床に腰を下ろした。

 ドアにもたれかかると、鉄のドアの冷たさが背中を突き刺す。


 足をのばし、ずり落ちた紺色のハイソックスを膝下まで引っ張り上げ、着ていたセーターの裾をのばして、手を隠す。

 冷えていた手が少しだけ温かい。


「竹永」


 まったりとした気分を害させる、テノールの声。もはや騒音。公害だ。


「何の用?」

「なんかそそくさと教室出てくから、追っかけてみた」

「ストーカーかよ」

「ばれたか」


 ストーカーなのかよ。


 佐村はクシャクシャの黒髪を掻きながら、あたしの横に腰を下ろした。


 なんで座るの?


「あ、なんか『せっかくひとりになれたのに! 邪魔しないでよ!』って顔してんな」

「よくわかったね。あんた、エスパー?」

「ばれたか」


 ニタニタ笑いながら、佐村はちらりとあたしの顔をのぞきこむ。

 なんだか恥ずかしくて、あたしは目が合わないように、踊り場と階段を隔てる壁を意味なく見つめた。


「竹永さあ、最近、元気なくね?」


 どう答えていいのかわからなくて、口をへの字に結んで、やっぱり壁を見つめ続ける。


「二年のときは、もっと笑ってたじゃん。最近、ずっとぶっちょーづら。なんかあったの?」

「何もない」


 そっけない言葉が出てくる。

 なのに、胸の中に生ぬるい液体が溢れ出てきたような不思議な感覚が襲ってきて、なんだか苦しくなる。


「男に振られた?」

「男なんていないし」

「じゃあ、どうした?」


 まくり上げたセーターから見える佐村の腕は、ほんのり血管が浮き出ている。はじめてまじまじと見つめた男の腕。

 佐村の腕が意外とたくましいことに、少し驚いた。


「どうもしないよ」

「ふうん。ならいいんだけど」


 立ち上がった佐村は、階段をゆっくり降りていく。


 何のために来たんだよ。


 あたしはぼんやりと佐村の背中を目で追っていた。

 佐村は優しい。それはわかっているけど、時には優しさが煩わしくなるんだ。

 なんだかまた泣きたくなる。

 膝を立て、膝の間に顔をうずめる。


 馬鹿みたいだ。なんでもない、何もない、なのに。


 涙が出てきてしまう。


 あたしは完璧に情緒不安定だ。


「竹永」


 呼び声に顔を上げる。

 佐村はいつものニヤニヤ笑いを浮かべて、あたしに向かって「おいでおいで」と手を振っていた。


「教室に戻ろう」


 優しさは、うざったい。

 だけど、たまには甘えてもいいかと、思ってしまう。


「――うん」


 佐村に聞こえないくらい小さな声で返事して、膝に手をつき立ち上がる。


「パンツ、見えてたぞ」

「……まじで殴っていい? 記憶が消えるくらいに」










明日も0〜3時更新予定です。


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