37:心に、残照。
「竹永、猿がいるぞ」
華厳の滝に進む道すがら、駐車場のような場所に猿が二匹座っているのを発見した。
砂利道になにか食べ物でも落ちていたのだろうか。
せわしなく手を動かしながら、口に運んでいる。
「ほんとだ」
一匹の猿と目が合う。目をそらしてはならない雰囲気がいきなりやって来て、あたしと猿は見つめあい、膠着状態。
一触即発。目をそらした方が負け。
ぎっとにらみ合うあたしと猿を、佐村は交互に見ながら、ニタリと笑った。
「ほれ」
何かを放り投げるふりをしたのだ。
猿の視線があたしから離れ、佐村が投げたもの――実際には何も投げていないのだが――を目で追っていく。
放物線を描くそれが、おそらく地面に落下した瞬間、猿は何も投げられていないことに気付き、あたし達を睨んだ。
キイイッと甲高い鳴き声を上げ、両足を蹴って、こっちに向かってくる。
「怒った!」
しかもあたしに向かって走ってくるし!
歯を剥き出しにして威嚇してくる猿に怯んだあたしは後ずさるが、佐村が笑いながらかばうように前に進み出た。
すると猿は動きを止め、威嚇だけを続ける。
佐村は爆笑している。
「……信じらんない」
「早く行こうぜ。猿が襲ってきたら大変だ」
笑いが止まらないらしく口元をまだひくつかせて、あたしの手を取り引っ張る。
猿は威嚇はやめたようだが、相当警戒しているらしく、あたし達から目線をはずさない。
「猿って意外と怖いな」
「笑いすぎだし」
「面白かった」
笑いをかみ殺して歩く佐村に手を引かれながら、しばらく進む。
いつまで笑ってんの、と口を尖らせたら、すぐそばに華厳の滝が見える展望台を見つけた。
はりだすように作られた展望台からは、真っ直ぐに落ちていく滝が一望できる。
何十メートルもの高さから落ちる滝は真っ白に一筋。滝つぼ目指して線を描く。
滝からほとばしる濡れた空気が、顔を湿らせる。
「すげえな」
のんびりとした佐村の感嘆の声は昨日と変わらず、あたしは安堵して小さく息をつく。
これでよかった。
あたしと佐村。
変わらない関係。
つい佐村をこっそり見つめていたら、佐村の隣にいる女の人に目がいった。
白い鉄柵に寄りかかってじっくりと滝を眺めている。
ウエーブのかかった長い髪に隠れた横顔から長い睫毛が見える。きれいな人だ。
「自殺しないで!」
いきなり男の人が女の人に飛びついた。女の人はずいぶん冷ややかな目で男の人を睨んでるけど、カップルなのかな?
有名な自殺の名所だ。こうやってふざける人もいるんだろう。
「見ろよ、虹が出てる」
佐村の声に我に返って、欄干に寄りかかり、滝つぼを見やる。
小さな虹がアーチを描いていた。
ぼんやりとした七色の光に気付いた観光客が、感嘆の声をあげる。
晴れ渡る晴天。その下で見る虹は、より鮮やかで、心に刻み込まれていく。
「ありがとね、佐村」
こぼれた言葉。
佐村がいて、良かった。
佐村がいてくれたから、救われてる。
その手をそっと強く握り返して――くすぶる残照に思いを馳せる。
この気持ちは、なんなんだろう。
例えば、学校を卒業する時。
また会えるとわかっていても、離れていくことへの寂しさ。
例えば、写真の中の笑っている自分を見た時。
この時はもう二度と来ないという、侘しさ。
この旅行から帰る時、あたしはきっと、心に残る景色を隅々まで思い出して、佐村の笑顔を重ねる気がする。
そして、空を仰ぐだろう。
走るバイクから見た輝く青を。
杉の木の先に見えた白い雲を。
光の粒のようにそぼふる雨を。
長方形の窓の向こうの欠けた月を。
佐村の肩に止まった瞬く星を。
そして、この虹を。
鮮明に思い出して、きっと苦しくなる。
もう二度と、佐村と見ることは無いだろうから。
猿は弱そうだと思う人の方に襲いかかるそうです。
数年前、友達と日光に行って、佐村と同じことをして猿をからかったことがあります。
いたずらしたのは私なのですが、友達が襲われかけました。
……なんでだよorz
明日も0〜3時更新予定です。