29:越えた境界線。
斜めになった天井は、立ち上がると頭をぶつけてしまいそうなほど低い。
一番高いところなら、佐村でもまっすぐ立てるだろうけど。
長方形の小さな窓から、白く光る星が見える。
いつもより近くに星があるように思えるのは、ここが屋根裏だからだろうか。
佐村はやっぱり何もしゃべらない。
静まり返っているのに、居心地は悪くない。穏やかな気持ちだけが黙々と流れる。
心がほぐれていくのがわかる。
充満している安心感を胸いっぱいに吸い込んで、ふ、と息を漏らしたら、急に寂しさが込み上げてきた。
小さいころ、夜中に起きて、そばに誰もいないことに気付いた時のような、そんな不安感。
「佐村、寝ちゃった?」
仰向けで寝ていた体勢を崩して、佐村の方に体を向ける。
佐村からの返事は無い。
寝ちゃったのかな。
自分でやったことだけど、離れた布団の距離がよけいに寂しさを煽った。
佐村を起こさないようにと音を立てずに布団から這い出ると、布団を引きずって距離を縮める。
真ん中を走っていたトーマスの機関車が布団に当たって、がたがたと倒れた。
今の音で佐村が目を覚ましたらどうしよう、とあたしは身を固くして、佐村を見入る。
離した布団を寄せてる姿なんて見られたら、滑稽すぎて笑えるじゃないか。
佐村は微動だにしない。
ほっとして、緊張した体から力が抜ける。
布団の距離はトーマスを挟んで三十センチ。
倒れたトーマスを直しながら、そっと体を伸ばす。
本当に佐村は寝てしまったのか。狸寝入りしてるんじゃないか。
あたしに背を向けたままの佐村の顔をのぞくため、膝立ちのまま、佐村の布団にそっと片手を置いた。
そのまま体を寄せていくと、あたしの長い髪がさらさらと落ちていった。
佐村の首筋をなでていく髪の毛を慌てて押さえる。
闇に慣れてきた目は、佐村の寝顔を映し出す。
濃紺に染まった世界で、佐村は目をつぶり、小さな寝息をスウスウと漏らしていた。
……寝てる。
「つまんない」
夕方、居眠りをしてしまったせいで、目が冴えてしまって眠れそうにない。
テレビもないし、ペンションとはいえ人の家をうろちょろするわけにもいかない。
「佐村」
小さく呼びかける。反応は無い。
ため息をついて、布団に戻ろうとした時だった。
髪が引っかかって、引き止められる。
一瞬何が起こったかわからず、怖くなって「ひっ」と悲鳴をあげてしまった。
「襲われるのかと思ったのに」
闇夜に響く、押し殺した低い声。
閉じてしまった目を開けて、佐村の手を凝視する。あたしの髪を掴んでいたのは、佐村の手だったのだ。
「……びっくりした」
「俺のほうがびびったっつーの」
「寝てるかと思った」
「寝たふり」
あたしの髪から離れていく佐村の手。名残惜しそうに落ちる髪は、竪琴を引く手の中で滑っていくみたいに、佐村の手をすり抜ける。
「あれだけ寝まくりゃ、寝られないよな」
「……うん」
床下からかすかに笑い声が聞こえてくる。ホウ、ホウ、と鳥の鳴き声が遠くから響く。
青白い月の光が、小さな窓から降り注ぐ。
「境界線、越えてるぞ」
「領空侵犯は許されてるから」
「トーマスが笑ってる」
「元からだよ」
真夜中の空気は、心をほだすのかもしれない。
いつもは絶対に立ち入れさせないあたしの心の境界線。
それが緩んでいくのがわかる。
闇夜の中。
月明かりを浴びる佐村の目は、宇宙を漂う星のように光を反射させる。
ままたきするたびに明滅して。
あたしは息を飲んでその目に見入っていた。
隣でいち早く寝るやつがいたら、絶対にいたずらしたくなります。
マジックを持たせたい衝動に駆られたのは、気のせいではありません。
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