2:意味無く涙。
「あたしは美容師目指すから、大学は行かないよ」
「あたしもデザインの専門学校行く」
「たぶん大学だなー。経済学部行くつもり」
進路についての説明会が開かれた後、教室ではそれぞれが自分の進路について語り合っていた。
大学に行く人、専門学校に行く人、就職する人。
それぞれが進路について悩み、それでも未来を見据えている。
あたしは?
何も見えない。
やりたいことがないわけじゃない。
心理学をやってみたい。史学にだって興味がある。英語を勉強したいとも思う。
――だけど。
やりたいことすべてが、本当にどうしてもやりたいことなわけじゃない、と思う。
たぶん、それをやるということで負わなければいけなくなる苦労とか面倒なことを知ったら、「じゃあいいや」とあきらめてしまえる、その程度。
……未来が見えない。
ふっと出たため息は、教室の喧騒の中にあっという間に紛れてしまう。
ここにいる人たちの何人が、あたしのような思いを抱えているのだろう。
皆、未来を夢見て、輝いているように見える。
死んだ魚のような目をしているのは、きっとあたしだけだ。
予鈴の音が鳴り響き、皆、大急ぎで席につく。
授業が始まった途端、静まり返る教室の片隅で、あたしは頬杖をついて、教師の声を聞いているふりをする。
少しずつ時間が立つ内、暖かな日差しに負けた生徒が次々に夢の世界に落ちていく。
受験生なのに、これでいいのだろうか。
まあ、教師の話を聞いてないあたしに言えたことじゃないけど。
隣の佐村は、後ろの席の男子とこっそり囁きあっていて、その隣にいた女子がちょうど話の輪に入っていっていた。
こそこそと笑いあう三人。
きっと気になったのだろう。まわりにいたやつらの何人かが、話しに加わっていく。
教師は囁き声に気付いただろうに、ちらりと目線を動かしただけで、またチョークを動かし始めていた。
うるさい。
小さな笑い声。こぼれる話し声。
佐村を中心に、そこだけは楽しそうな世界が構築されていく。
うざい。
だから、佐村の隣は嫌だったんだ。
コツ、コツ、とシャーペンでノートを叩く。――イライラを静めるために。
***
夕焼けが教室をオレンジ一色に染める。
この時間があたしは好きだった。
帰宅部はうちへ帰り、部活をやってる連中は部活へと。
教室に残ったのは、あたしだけ。
校庭で野球部がキャッチボールをしている姿が見える。
その手前ではサッカー部がセットプレーの練習をしていた。
同じ世界のはずなのに、あたしはまるで薄い膜で覆われた別の次元にいるような気分だった。
なぜだかわからない。
この焦燥感が、何なのかわからない。
平凡な一般家庭に生まれ、口数の多い母親と口数の少ない父親の元で、なに不自由なく生きてきた。あんまりかわいくない弟とは、ケンカもするけど、仲が悪いわけでもなく、いいわけでもない。
本当に、不満に思うようなことも無く、生きてきたはずだった。
けれど、心のうちに広がるこの寂しさや空しさは、どんどん広がっていって。
原因がわからないから、どうしようもない。
「どこかに、行きたい」
窓のさんにあごをつき、夕闇を仰ぐ。
オレンジは濃紺に侵食され、少しずつ消えていく。
目の奥が熱くなっているのがわかる。
意味も無く、あたしは涙を流していた。
「竹永」
誰かの声に、慌てて涙を服の袖でぬぐった。
まだきっと目は赤いはず。今振り返るのは、まずい。
「竹永、なにしてんの?」
低くて柔らかい、この声の主は。
「帰らねえの?」
――佐村。
「帰るよ。もう少ししたら」
「もう真っ暗だぞ。女一人は危ねえよ。一緒に帰るか」
いつの間にか、教室は闇に染まっていた。あまり顔を向けずに、目だけで佐村の姿を探す。
「佐村は、何でこんな時間までいたの」
佐村は帰宅部のはずだ。学校には秘密でバイトをしていたはず。
こんな時間まで学校にいるなんて、珍しい。
「俺はバイト無いから友達とサッカーして遊んでたんだよ」
小学生かよ。
「じゃあ、友達と帰ればいいじゃん」
「なんか約束あったとかでマッハで帰った」
「置いてかれたの」
「まあね」
「哀れなやつ」
うるせえ、と笑う佐村の声が、なんだか温かくて。
なぜかまた、目が潤んでいた。
「帰るぞ」
「……うん」
この暗闇なら、あたしの涙目はばれないはず。
ゆっくりと立ち上がって、机の横にかけたカバンをつかむ。
一度振り返った窓の向こうには、一番星が輝いていた。
明日も0〜3時更新予定です。