27:ふたりきりの夜。
額に汗を浮かべて、走った。
全力で走るのに、佐村との距離は遠くなるばかり。小さくなる背中を追いながら、運動不足の日常を呪う。
佐村は振り返って、あたしを待ってくれる。
乗らなければいけない電車の発車を告げる、軽快なメロディ。
上がる息を整える暇も無いまま、駆け出す。
耳をつんざく笛の音が、電車のドアを閉めさせた。並ぶイスが目の前から消えていく。
前後の確認をする車掌を睨みながら、ゆっくりと動き出した電車を見送る。
肩がゼエゼエと揺れた。
――最悪だ。
電車に乗れなかった。
「次の電車で、帰れる?」
「いや、地元の電車に間に合わない」
「どうしよう……」
「途中からタクシー使うか? 伯父さんに金借りればなんとかなるだろ?」
力の抜けた足が、よろよろとベンチに体を誘った。
「そんなの、借りれないよ……」
居眠りこいた自分が恨めしい。最低最悪だ。
どうしよう、どうしよう。
頭が回らなくて、額に手を当てる。夜の冷たい風が、よけいに身にしみる。
「泊まる?」
「は?」
「伯父さんのペンション」
答えに窮して、膝に置いたバッグを握りしめた。
「さっき泊まればって言ってたし。家には伯母さんに電話してもらえば大丈夫だろ」
「でも……」
「今から帰っても、12時過ぎるだろ。その方がまずいんじゃね? 伯母さんにうまいこと言ってもらえば、なんとかなるよ」
なんとかなるのだろうか。うちはそこまで厳しい家庭じゃないけど、厳しくない家庭でもない。
21時までには家にいろ、と父はうるさい。
何度も友達の家に泊まりに行ったりはしてるし、事前に言っていれば大体外泊は大丈夫だけど、こんな急に泊まることになったなんて言って、許してもらえるだろうか。
だけど、もうどうしようもない。
しかも、寝こけていた自分が悪いんだから。
「ごめん、迷惑かけて」
「いいって。戻るか」
***
「そうなんですよー。郁ちゃん、寝ちゃって。起きないから、うちに泊めさせて大丈夫ですか? ああ、そうですか。夜分遅くにすいませんでした。いえいえ、こちらこそ。はい、どうもー」
電話をしながら、ぺこぺこお辞儀する伯母さん。ワントーン高い声を弾ませて、電話の向こうのうちの母とのん気に会話を交わしている。
「はい。じゃあ、失礼しますー」
受話器を置いて、伯母さんはにっこりと笑った。どうやら伯母さんはうまく嘘をついて、うちの母を騙してくれたようだ。
「よろしくお願いしますって、言ってたわよ。よかったわね、郁ちゃん」
「いえ、ありがとうございます」
「いいのよー。あ、あとお部屋なんだけどね」
泊まるための用意がないため、伯母さんはせわしなくお泊まりグッズを用意してくれている。
さっきまで着ていた浴衣や歯ブラシや洗顔フォームを抱えて、あっちに行ったりこっちに行ったり。
うきうきして見えるのは気のせいではないだろう。
「今、泊まり客で満室なのよ。だから、申し訳ないんだけど……」
二階に促され、ついていく。
いくつも並んだドアからは、テレビの音や話し声がほんの少し漏れてきていて、客の存在を主張する。
「屋根裏部屋で平気かしら? 普段は物置に使ってるんだけど、ついこの間掃除したからきれいよ」
普段は上げられているのだろう簡易的なはしごがあり、長方形に切り取られた入り口が真っ黒な闇を吐き出していた。
「お布団はあとで敷いておいてあげるから、少しダイニングで待っててくれる? ここで平気?」
はしごを上って、中をのぞく。
斜めになった天井にはふたつ小さな天窓がついていて、星の光が降り注いでいた。端に寄せられた荷物は、きちんと片付けられている。
思ったよりも広い。あいたスペースは4畳半はありそうだ。
「二人一緒でいいでしょ?」
「え!」「は!?」
伯母さんの仰天発言に、あたしと佐村は同時に奇声を発してしまった。
「だって、付き合ってるんだからいいじゃない」
「良くないです! ふ、ふじゅんいせいこうゆうで、つかまりますっ」
しどろもどろになりながら、あたしはぶんぶんと手を振った。
「郁ちゃんてば、不純異性交遊って、私くらいの時代の人の言葉よう。やあねえ」
カラカラと笑う伯母さんは事の大きさに全く気付いていないらしい。
「あのさ、伯母さん。俺と竹永、付き合ってないから。それはちょっと、さ」
「やあだ! 照れちゃって!」
バンッと背中を叩かれて、佐村は痛そうに顔を歪める。
「伯母さん、ちゃんと秘密にしといてあげるから!」
含み笑いしながら、伯母さんはスキップ踏んで下の階に行ってしまった。
流れる気まずい空気。あたしと佐村は目を見合わせて苦笑いするしかなかった。
日帰り旅行だと思っていた方、ご安心下さい。
日帰りで帰すわけにはいきません(^^)
旅行はやっぱり泊まりですよね!
明日も0〜3時に更新予定です。