25:再び、不思議の国へ。
「お、おかえり」
ウサギのエプロンをつけた佐村の伯父さんは、にこにこと笑顔であたし達を出迎えてくれた。
びしょぬれのあたし達を上から下まで見て、何も言わずにペンションの中に戻ると、バスタオルを持って来てくれた。
真っ白のふかふかのタオルはほのかに花の香りがする。それをスウと吸い込んで、濡れた髪になでつけた。
「お風呂に入りなさい。体、冷えただろう?」
「お客さんは? もうチェックインの時間だろ」
ペンションを経営する伯父さんに気を使ったのか、佐村は玄関の棚の上に置かれたウサギの時計をちらちらと見る。
時計はもうすぐ四時を指そうとしていた。
「来て早々風呂に入りたがる客なんてうちには来ないよ。うちの風呂は普通の風呂だから、温泉目当ての客なんていないからな」
ハハハ、と甲高く笑って、伯父さんはあたし達に上がるように勧める。
「お言葉に甘えます」
佐村はびしょぬれのスニーカーを脱ぎ捨て、玄関に上がった。足をついた途端、足跡がくっきりと床につく。
「洋服は洗濯して乾かしてあげるから、とりあえずは浴衣でいなさい」
佐村の後について、廊下を進む。
あたし達の足跡がうっすらと残り、少しずつ乾いて消えていく。
浴衣を受け取って、お風呂場へと向かう。
廊下の突き当たりにあるお風呂は二部屋あって、使用中は人が入ってこれないように鍵がついていた。
佐村は右側のお風呂場へ、あたしは左のお風呂場へ。
一般家庭にあるお風呂場を一回り大きくしたくらいのサイズのお風呂場。脱衣所でびしょびしょの服を脱ぐ。
下着までしっとりと濡れていて、気持ち悪い。
裸になると、湯気があがる風呂場に足を踏み込んだ。
床には、タイルであたしの体くらいのサイズはあるピンクのウサギが描かれている。
……こんなところにまでウサギ……。
うーん、ここまで来ると尊敬してしまう。
***
白地に紺の縞模様のよくある旅館の浴衣に袖を通し、ダイニングへ向かう。
浴衣って、照れくさい。しかもすっぴんだし。すっぴんを恥ずかしがるほどきちんと化粧してるわけじゃないけど、鎧をはがされたみたいな気分だ。
「こんにちは。ええと、郁ちゃん」
ダイニングに入ると、線の細い女の人が出迎えてくれた。茶色の柔らかい髪がふわふわと揺れる、歳を感じさせないきれいな人。
たぶん、伯父さんの奥さん……伯母さんだろう。
「こんにちは」
「豊介の伯母の佐村美恵です。お洋服、預かるわね」
お礼を言いながら、ぐっしょりと濡れて重くなった服を渡し、ダイニングを見回す。
佐村がいない。
「あ、豊介なら、食事の準備の手伝いをしてくれてるわ。郁ちゃんはここでゆっくりしてて」
伯母さんはふんわりと柔らかく笑って、あたしにソファーに座るように勧めてくれた。
ダイニングの一角に、三人掛けのソファーと三十センチ四方のローテーブルがぽつんと置いてある。
あたしがそこに座ると、すかさず伯母さんは皿に盛られたクッキーを持って来てくれた。
「ありがとうございます」
「ねえ、郁ちゃんと豊ちゃんは付き合って何ヶ月?」
クッキーを持ったまま、伯母さんはあたしの横に座り、井戸端会議で目玉を爛々と輝かせて噂話に耳をそば立てるおばちゃんと化した。
「え、あの、付き合ってるわけじゃ……」
「豊ちゃん、いい子でしょう? 伯母さんのご自慢の子なのよう。なかなかいないわよ! あんな優しい子!」
「はあ、そうですか……」
「ここに来るといつも率先してお手伝いしてくれるのよ。何でもしてくれるの。伯母さんの肩叩いたりしてくれるし! 郁ちゃん、豊ちゃんのこと幸せにしてあげてね」
いや、あの、付き合ってないんですけど。
そう言いたいけど、有無を言わせないごり押しな雰囲気にあたしは何も言えず、ただうなずく。
「豊ちゃんが女の子連れてきてくれたの初めてよ〜。伯母さん嬉しくって。あ、ゴハン食べてってねえ! 昼間、豊ちゃんとあなたのために買出しに行ってたんだから!」
「あ、ありがとうございます」
伯母さんの話は永遠と続く。あたしはだんだん眠気に襲われて、うつらうつらしつつも、必死に目をこじ開けて、伯母さんの話に相槌を打った。
半分夢の世界で、あたしは必死に考えていた。
やっぱり佐村はこのペンションによく来てたんだ。
あたしを誘ったのは、言葉の通り、あたしを連れ出したかったからなのだろうか。
あたしをここに連れて来たいと、思ってくれたんだ。
嬉しい反面、隅の方でざわつく思いがある。
……佐村はあたしのことを好きなのだろうか。
あたしは、佐村が好きなのだろうか?
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