24:迷いながら、楽しみながら。
佐村の腰に手を回すと、必然的に体も引っ付いてしまう。照れくさいし、恥ずかしいし、隙間を作ろうと体を必死に後ろに引くあたしは、なんとなく間抜け。
てかった路面にバイクのライトが反射する。信号の光が地面にぼやけた青い影を落とす。
うなるエンジン音を聞きながら、あたしはかぶったメットの前面をそっと佐村の背中に当てた。
体をそらすのに力を使いすぎて、疲れてしまったのだ。
この一センチくらいのメットという壁が、あたしにとっての最低限のバリア。
これまで張り巡らせてきたものを思えば、なんて薄い、脆弱なバリアだ。
小雨のくせに頬に当たると針みたいに痛い。
鼻の頭が赤くなってるのもわかる。耳も凍りついたみたいだ。
道路が赤く染まる。速度を落としていることで、信号が赤になったことに気付いた。
鋭い音を立て、バイクは白線の前で止まった。
「竹永はさ」
「なに?」
片方だけ地面についた佐村の足に目をやると、ジーンズが水分を含み重そうだった。
「腕時計買う時はどういうところを気にする?」
「なにそれ」
「いや、なんとなく」
左手にはめた腕時計をちらりと見る。ロゼモンとかいう、スイス製の時計。小さなバラのマークが文字盤に入っていて、ピンクゴールドのバンドが女の子らしい。
高校入学の時の、家族からのお祝い。
センスの無いうちの母が選んでくるというので、「あたしも一緒に行く!」と言い張って、弟と母とで連れ立って行った駅ビルの時計屋で買ったものだ。
値段も高校生がするものとしては高かったけど、少女すぎず、レトロでノスタルジック、大人っぽくもあるこの腕時計は、ずっとずっと使える気がして、迷わず選んだものだった。
「長くずっと使えるかどうか、かな」
「竹永らしいな」
小さく吹き出しながら佐村は言った。
「デザインとか機能とか言うだろ、普通」
「普通ってなによ。知らない、そんなの」
なんで笑われてんのかわけわかんない。むくれながら、「佐村は?」と聞き返す。
「俺? 俺はそうだな……すぐ壊れる腕時計」
「なにそれ、佐村のがおかしいよ」
「愛着湧くだろ。手をかけなきゃいけないから」
「変なの」
あたしの答えより、佐村の答えの方がずっと変。
すぐ壊れる時計なんてわずらわしいだけじゃないか。
「その質問って、なんか意味あんの? 心理テスト?」
「秘密」
佐村は秘密主義だ。
肝心なことはそう言ってごまかす。嫌なやつ。
メットをかぶったままの頭で、佐村の背中に頭突きしてやる。
鈍い音がして、佐村の背中がのけぞる。
「痛え! なにすんだよ、竹永!」
「頭突き」
「それはわかるっつーの」
恨めしげに睨んでくる佐村に向かってほくそ笑んで見せて、素知らぬ顔で「ほら、信号変わったよ」と注意してやる。
佐村は「覚えてろよ」とぼやきながら前を向くと、スロットルをぐいとひねった。
ぐんと重力を感じて、佐村の腰に回した手に力を込める。
糸のような線を描く雨が横切っていく。雨をさえぎる大きな杉の木は、ぶるぶるとたまに震えて、水滴を涙のように落としていく。
日光に来て数時間。たった数時間なのに、あたしの心はめまぐるしく動く。
穏やかになったと思えば、急にイライラして。すっきりしたと思えば落ち込んで。楽しくなった途端に苦しくなったり。
心が追いつかなくて、戸惑うばかり。
だけど、不思議なことに、息が詰まりそうなあの教室にいるよりも断然、心が弾んでいる。
狭苦しい教室。
淀んだ空気の掃き溜めみたいな中で、心に毒を溜め込んでいた。
苦しいつらいと思う心が、どす黒く変色していくのがわかった。
今。
ここにいる、あたしは。
心が軽くなっていくのが、わかる。
苦しみも辛さも、白くなるんだ。
澄んだ空気の中にあるそれは、人生の迷い道。
迷い道だからこそ、楽しめるってことに気付かなかった。
心細くて不安で怖くて、でも、見たことも無い光景に心奪われる。
知らない場所の知らない感情に振り回されながら、それでも、心は躍る。
迷って寂しくなって、発見して楽しくなる。
暗い闇に向かう、未来のレールは。
今のあたしには、真っ白の光に向かうレールに見える。
見えなくても、そこは暗闇じゃない。
希望の光なんだ。
佐村が聞いた「腕時計を買う時、気にすること」の意味は、知ってる方は知ってると思いますが、最終回近くでわかります。
何のことやら???な方は、ネタばらしまでもう少しお待ち下さい(^^)
明日の更新は0〜4時の予定です。