19:求めるもの。
『人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くが如し。急ぐべからず』
階段を半分を過ぎたところだろうか。休憩所のような場所があった。
足を止め、フウと一息ついた時、石の看板が目に付いた。
「家康の有名な言葉だな」
独り言のようにつぶやいた佐村を見上げて、もう一度看板に目を向ける。
「重荷を負って、遠い道を行く……」
あたしが今抱えたこの気持ちを重荷と呼ぶなら、その重荷を背負って、長い道を歩んでいかなければいけないのか。
見上げる階段はまだまだ続く。永遠とさえ思えてくる。
「竹永、大丈夫か?」
「大丈夫」
でも、永遠じゃない。苦しみはずっと続くわけじゃない。
石段は緑に覆われ、見上げる空も緑が繁る。曇り空でも届いてくる光は、波紋のような模様を描き出していく。
一歩一歩歩み出せば、それだけ苦しくなるのに、反比例して、心が軽くなる。
この空気は。
この力は。
一体どこから溢れてくるのだろう。
二百七段。階段の数だ。
にじむ汗と上がる息。やっと登りきったところで、思いっきり深呼吸する。
深く深く入り込んでくる空気はミントの味に似て、体中が一気に爽やかになる。
「徳川家康の墓だよ」
青黒い鳥居の先。サワサワと風で揺れる杉の木の向こうに、静かに佇む。
八角九段の壇上に円柱が立ち、三角屋根が乗っかったような家康の墓は、青銅の青さだけをわかる地味なものだった。
けれど、圧倒されるような威厳溢れる雰囲気が漂い、歴史に名を残した人が本当に眠っているのだと、なぜだか強く実感させられる。
杉の木の揺れる音。
鳥の鳴き声。
風の音。
目を閉じれば、ただただ沁みこんでくる力を感じる。
「竹永」
佐村はいつの間にか、しめ縄がまかれた大きな杉の木の前に立っていた。
「叶う杉っていうらしい。願いを叶えてくれるんだってさ」
太く高い杉の木は、太陽の光をさえぎって、両手を高く突き上げる。
「願い、かけるだろ」
「え……ああ、うん。そうだね」
願い、か。
あたしは、何を願おう。
願いなんて、何があるの?
横に立つ佐村は手を合わせ、目をつぶり、真剣な面持ちで願掛けしている。
あたしの、願い。
叶えてほしい、願い。
――何を願おう。
――何を望もう。
佐村の横顔に、日の光が差す。長い睫毛が影を落として、佐村の顔に陰影をつけていく。
教室の、窓辺。
夕日のオレンジ。
佐村を照らす、光。
あの時、願ったのは……
『どこかに行きたい』
あたしが、そう願ったのは、なんで?
どうして、どこかに行きたくなったの?
――変わりたかった。変化が欲しかった。
あたしの、求めるもの。
――変わるための、力が欲しい。
――変わっていくための力を下さい。
瞳を閉じて、強く願う。
変わりたいと、ひたすらに。
***
「竹永を、ここに連れてきたかったんだ」
閉じた目を開いた時、佐村は叶う杉を見上げながら、そう言った。
「佐村は、何をお願いしたの」
「秘密」
佐村の持つ優しさは、この杉の木が醸し出す雰囲気と似てる。柔らかく包み込んでくれるよう。
「竹永は?」
「あたしだって、秘密」
涙がにじんでくる。
佐村の優しさに。
この場所の優しさに。
こんな風に優しさを降り注いでくれる人なんて、この世の中に何人いるの?
「ありがとう」
素直に出てくる言葉。
佐村は「うん」と笑ってうなずいて、歩き出す。
優しい佐村。
失いたくないと、彼の優しさがずっとそばにあればいいと、ふとそんなことを思って。
胸が、軋んだ。
叶う杉、実在します。
ちょっと行ってみたいと思う今日この頃。
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