17:数センチ先の、友達。
それは本当にごく自然に、無意識のうちにやっていた。
目の前を歩き去る佐村の服をつかんでいたのだ。
自分でも驚いて、目を丸くする。振り返った佐村は、服をつかんだあたしの手を一瞬見た後、びっくりするくらい優しい目と声で、「なに?」と笑った。
「なんでもないよ!」
慌てて手を引っ込める。顔に火がついたみたいに熱い。今なら顔で焼き魚が焼けそうだ。
さっきまであんなにイライラしてたのに、自分のばかげた行動への恥ずかしさで、イライラはあっという間に無くなっていった。
なんなんだ、あたしは。
「行こう」
佐村の手が、あたしに向かって開かれる。
まるで、「手をつなごう」とでも言うかのように。
あたしはカバンのヒモを両手でつかみ、どうすればいいのかわからず、下を向いて唇をかむ。
手を、取るべき、なの?
……なんでやねん!
困惑のあまり、脳内で関西人がつっこんできた。
やばい、脳みそが破綻してきた。
「竹永?」
どうしてこのアホ男の声は、こんなにも優しいんだ。あたしは完璧に惑わされてる。
しっかりしろ。脳みそ、動き出せ。
フル回転する頭の中で、自分自身に活を入れる。
「行くよ!」
差し出された佐村の手をパンと叩いてやる。一瞬だけ伝わってくる佐村の手の温もりが、体中を駆け抜けていく。
それは同時に熱を発して。
――体が熱い。
「痛え」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃない」
佐村の横をすり抜けて歩き出したあたし。気付くと、佐村は隣に並んでいた。
視線を横に向ければ、佐村の肩。
あたしと佐村の肩は、近くにあるようでいて、少し遠い。
異性の友達。必ず存在する距離。
その距離が近付けば、それは恋人になってしまう。
この数センチが、友達と恋人の境界線。
「見ろよ、象がいる」
佐村が指差す建物。三角屋根の下の壁。金色に塗られた壁面にしわしわした象が向かい合う形で二匹。
え、これ、象?
象といえば象だけど、太いしっぽや変な形した耳やへの字型の目が、ちょっと笑える。
この時代に象なんていたのかな? 想像だけで作った像だったりして……。
「竹永ってさあ、おかしなところで笑うよな」
「だって、変じゃん、あの象」
変だけど、かわいい。
等間隔で並ぶ、苔むした石の灯篭。その後ろで、朱と金で彩られた建物が厳かな雰囲気を漂わせる。
朱の木を積み上げているこのつくりは、校倉造りってやつだろう。
歴史の授業で習ったことを思い返す。
こんなものを作った人が実際にいたんだと、やけに実感して、胸の中が震える。
どうでもいいと思っていた知識なのに、「知っててよかった」と思えてくる。
奉られる人間がいて、そのために集まった人間がいる。この荘厳な建物を設計し、それを作るためにきっと何千人の人が従事したんだ。
悠久の時間を費やして、そして今ここにまだ存在して、守るために努力する人間がいる。
「歴史って、すごいね」
学校で学ぶことなんて、役に立たないことばかりだと思ってた。
でも、違う気がする。
役に立たなくても、何も知らないよりもずっと深い感動を、知っていることで得ることが出来る。
それって、すごいことだ。
「竹永は、大学どこ行く?」
「なに、急に」
せっかく感動に浸ってたのに。
急に現実に引き戻された気がして、眉間にしわが寄ってしまった。
あたしが不機嫌な顔になったことに気付いたのか、佐村は引きつった笑みを浮かべる。
「決まってんのかな、と思って」
「佐村は?」
「俺は大体決めた」
「ふうん」
そうだろうと思ってた。
受験生のあたし達にとって、当たり前のように顔を覗かせてくる『大学』。
大学の話題が挙がって、どこの大学がいいだ悪いだの佐村の周りがやつらが話している時、佐村が話に入っていくことは無かった。
わからないからとか興味が無いからとかじゃない。
佐村はそういう時、人より一歩先に進んだ顔をしてた。
何もかも決まっているから迷う必要が無い、という顔。
あたしは横目でそれを眺めて、憎たらしいヤツ、と心の中で皮肉ってた。
今だってそうだ。
佐村は、何も迷ってない。真っ直ぐで強い。黒目がちな目は、いつも強烈な力を放ってる。
あたしは……
佐村が嫌いなんじゃない。
あたしに無い強さを、認めたくないだけ。
そんな自分に気付きたくなくて、佐村を嫌いだからとごまかしていただけ。
佐村に、憧れてた。
――佐村みたいになりたかった。
学生時代はどうでもいいと思っていたものも、月日が立つにつれ、いきなり価値が見えてきたりします。
いらないと思ってた知識も、とんだところで感動ポイントになったり。
大人になるってのも悪くないです。
明日も0〜3時に更新します!