12:追われるウサギ。
「今日からお客さんが増えるから、ちょっと忙しくてね。たいしたもんは用意してないんだけど」
そう言って、佐村の伯父さんはピンク色のファンシーなウサギ柄のエプロンをつけて出てきた。
あまりに似合わない組み合わせにあたしはまたもや唖然となるが、佐村は全然気にしていないようだ。
ログハウスのような木の香りがする室内。
案内された場所はどうやらダイニングのようで、四人掛けのテーブルが二つと二人掛けのテーブルが四つ並んでいた。
テーブルの上にかけられたテーブルクロスはもちろんウサギ柄。テーブルごとで色は違ったけれど、柄は同じだ。
出窓にはウサギのオブジェが所狭しと並んでいて、ピンク色のカーテンもやっぱりウサギ柄だった。
「オムライスだけど、郁ちゃん、食べられる?」
「はい」
二人掛けのテーブルに座る。佐村と向かい合って座るのは、かなり照れる。
だって、佐村はいつも私の隣にいたのだから。
どこに向けていいのかわからない視線を、テーブルクロスに落とす。
時計を持った親指大のウサギがたくさん飛び跳ねていた。
「不思議の国のアリスなんですね」
「そうだよ。僕はね、あの話が好きなんだ」
予想通りウサギ柄の皿に盛られたまあるいオムライス。トロトロととけた卵にビーフシチューがかかっている。
「いただきまーす」
嬉しそうに佐村はオムライスを頬張る。あたしもそっとスプーンではじっこをすくい取り、口に運んだ。
半熟の卵と交じり合うケチャップライス。ビーフシチューのこってりとした味わいが、後から口中に広がって、絡み合う。
「おいしい」
口から自然に出た言葉。伯父さんはにっこりと微笑んだ。
「ありがとう」
そう言って、軽く会釈する姿は、英国の紳士みたいだ。
「アリスの話だけどね。不条理な世界ほど、面白いものはないよ。アリスの世界は、僕達を取り囲む世界の鏡だ。僕達は不条理な世界で、不条理と向かい合いながら生きてるんだよ」
「出たよ、伯父さんの哲学」
佐村は呆れた声を出して、パクパクとオムライスを食べ続ける。
佐村に話を聞いてもらえないと悟るやいなや話し相手を逃すまいと、伯父さんはあたしに笑いかけてきた。
やっぱり、聞いてあげなきゃ、だめ?
「時間を気にしながら必死に走るウサギは、現代人そのものだと思わないかい?」
「ああ、そうですよねえ」
気の抜けた返事をしてしまい、あたしはつい苦笑いを浮かべる。
「ちょっと難しかったかな」
はっはっはっとでかい笑い声をあげながら、伯父さんはキッチンへと戻っていってしまった。
「伯父さん、脱サラしたからさ」
「ああ……時間に追われる、ウサギ……」
父親の姿がふいに浮かんだ。朝早く起きて、夜遅くに帰ってきて。毎日毎日時間が足りないと、ネクタイをぐっと結んでカバンを抱え、走る父。
時間に、追われる。
あたしも、そうだ。
まだまだだと思ってた受験なのに、もう来年には試験を受けてる。
うすぼんやりとした視界に、見えもしない未来のレール。
この道で合ってるのか、確認する術もないまま、走るしかない。
背中から圧迫感。
目の前は、漆黒の闇。
足元は、でこぼこ。
――ふらついてしまうのは、きっと、怖いからだ。
「これで許せよ」
「は? なにが」
「遅刻」
佐村が何の話をしてるのかわからず、眉をしかめて首をかしげる。
佐村はなぜか自信満々に、スプーンであたしのオムライスを指し示した。
「それ、俺のおごりだから」
「これは伯父さんのおごりじゃん」
「伯父さんはおごるとは言ってない」
「そ、そうだけど」
「だから、俺のおごりだから」
なんてやつ!
「せこい」
「合理主義と言ってくれ」
「ずるいやつ」
「でもうまいだろ」
それは認めざるを得ないけど。
「ねえ、佐村」
「ん?」
「……なんでもない」
伯父さんが建てたペンションを見に行く。そう言ってた。
伯父さんがペンションを建てたから、それを見るためにここまで来た、という意味だと思ってた。
それは、初めてここを訪れるというニュアンスを含んでいると、思ってた。
だけど、佐村はここに何度も訪れたことがあるみたいで、ペンションを見ても、特に感慨深げでもない。
当たり前のようにペンションに着き、当たり前のようにこのダイニングに入り、当たり前のように椅子に座ってる。
何度も何度も訪れたことがあるように――
佐村。あたしをここに連れて来たのは、なんで?
明日ももしかしたらお休みするかもです。
もし楽しみにしている方がいらっしゃいましたら、本当にすいません……
出来れば明日も0〜3時に更新します。