永遠の小説
忘れられないこと。
またもカラオケ屋の話ですが、私はカラオケ屋だけで3軒程働いています。
その中の1軒のこと。
20才の頃だろうか。
カラオケ屋の面接に受かった。
働いてみて、驚いた。
私以外のスタッフは、全員高学歴だったのである。
早稲田、慶応、そして東大。
何故専門学校生の私が入れたのか、未だに謎のままだ。
しかし、皆好意的で楽しいスタッフであった。
癖を抜かせば。
ジャニーズオタクでSM○Pのコンサートチケットを10万で買う女。
大きなジグソーパズルを持ってきてピースをはめる男。
常にノーパンで、家では全裸が一番だと熱く語る男。
高学歴の人って、良く分からない、と私に偏見を持たせるには充分な人たちばかりであった。
それでも仕事は楽しくやっていた。
私が仕事にすっかり馴染んだ頃、新たなスタッフが入ってきた。
名をTさんと呼ぶ。
Tさんはやはり高学歴であった。
明大生だった。
私は明大が好きだった。
旧校舎の建築模様が大好きだったのだ。
嬉々としてTさんに話しかけた。
「明大いいですねー。私明大の校舎大好きなんですよー」
Tさんは愛想のない声で答えた。
「家から一番近い大学を選んだだけだよ。
それに古いものに価値があるというのなら、違うと思うけど」
私は呆気にとられた。
なるほど!!!頭のいい人は良く分からない!
と。
和気あいあいとしたスタッフの中でTさんは人を寄せ付けない雰囲気をかもしだして、いつもメモ帳に何かをかりかりと書いていた。
他のスタッフは、Tさんの事を感じが悪いと言っていた。
確かに愛想がなく馴染もうとしないTさんは浮いていた。
しかし私は、ただ一人、Tさんに好意的であった。
「キクゾウ、この本読んでみな」
と思い出したように本を貸してくれるのが嬉しかったし、その全く未知の世界の小説はいつでも私を喜ばせた。
そんな中、問題は起きた。
いまとなっては、職場に10分前くらいに着くのは当然だと思う。
当時、当然スタッフは全員10分から15分前くらいには職場に入っていた。
Tさんは、それを守らなかった。
いつも1分前くらいから定時ジャストに職場に入っていたのだ。
唯一の社員、マネージャーがTさんを呼び出した。
他のスタッフの不満も溜まっていた。
私はハラハラとその場を見つめていた。
「なぜもっと早く来れないんだ?」
Tさんはつまらなそうに答えた。
「僕は自分の時間を時給で売ってるんです。
大事な時間を無駄にはしたくない」
世間知らずで高慢な発言だったと思う。
だが今でもTさんの発言は一理ある、と思ってしまうのだ。
マネージャーはその高慢な返事に当然クビを告げた。
Tさんは対して気にした風でもなく、私物をまとめだした。
他のスタッフは安堵したように仕事に戻り、私だけがなんとも言えない気持ちのままそこに残った。
するとTさんが
「キクゾウ、明日○○駅に来れる?」
と聞いてきた。
私は「バイト前なら」と答えた。
「じゃ、明日ね」
とTさんはさっさと帰ってしまった。
翌日。
私より先にTさんは居た。
珍しく煙草を吸って待っていた。
視線を浮かせて、煙を吐いているその姿は、誰をも寄せ付けない孤高の人を思わせた。
Tさんが先に気付いた。
「よ」
いつも通りの愛想のない声だった。
私が返事に迷っていると、それも気にした風でもなく
「もう貸せないからあげるよ」
と鞄から無造作に一冊の本を取り出した。
「あげるようなものがない」
お礼をするより先に、そんなとんちんかんな事を言ったと思う。
私に本を手渡しながらTさんは
「俺があげたいんだ。キクゾウは無駄なプライドがないから、比較的好きだったよ。俺はプライドが高いから、きっとうまく生きていけないと思う」
珍しくTさんは微笑していた。
Tさんはただ高慢だったわけではない。
自身を冷静に見ながら、それでも生きにくい道を選んでいる人だった。
「じゃあ」
またも、Tさんはさっさと帰ってしまいそうになる。
私は慌てて
「いつも、何を書いていたの?」
と聞いた。
Tさんは足を止めて
「小説」
と、短く述べた。
続けて
「俺は、小説家になるよ」
なりたい、ではなく、なる。
強い口調と強い眼差しだったのを覚えている。
言い終えるとTさんは去っていってしまった。
約2年後、奇跡的な偶然でTさんと出会った。
お互い急いでいたので、簡潔な会話だった。
「Tさん久し振りです!今は何をしてるんですか?」
「会社員をやってるよ。俺、丸くなったよ」
そう言って笑みを浮かべたTさんからは、孤高の人という印象は消えていた。
先輩とみられる人に腕を引かれ
「じゃあね」
と去って行った。
それ以降、Tさんと会う事はなかった。
私の手元には一冊の本がある。
ジョルジュバタイユ作の
「眼球譚」
Tさんがくれた本だ。
いつ読んでも、なるほど!意味が分からん!!となる。
頭のいい人が考えている事は良く分からない。
今も当時も変わらない。
そして私はずっと読みたい小説がある。
Tさんの小説だ。
出来上がっているのかどうかすら分からない、もしかして作家にでもなっていないか、趣味で小説を書いていないか。
何年経った今でも、私の眼はTさんの名前を探し続ける。
一気に書いたので、後で手を加えたいと思います。
折角目を通して頂いたのに申し訳ありません。
追記
ある程度手を加えました。