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セピアの街中

作者: 玉野 贅沢

ドアを開けると、そこには家の中とは全く違う空間が広がっている。

車のクラクション、信号機の点滅、子供の笑い声、照りつける太陽。そんな中を僕は目深にフードを被って歩き出す。


いつからだろうか、世の中は、以前祖母が見せてくれた写真のように色あせて見える。

挑戦したい事はたくさんあるのに、時間が、金が、仲間が、と言い訳を続けて何もしないまま日々を過ごしてきた。




僕はそんな世界で彼女に出会った。

彼女だけが色のない世界で光を放っていた。


彼女は地元で有名な音楽関係の専門学校に通い、歌手を目指してボイストレーニングや路上ライブをやっていた。

僕には真似できない世界だと思った。


僕にもやりたい事があった。本当に「あった」という表現が正しい。

専門学校に行くのも、その道に進むのも、成功しなかった時のリスクを考えると、一歩も踏み出せなかった。

楽しさだけでは生きていけない。好きなものを嫌いになるのが怖い。なんだかんだ言い訳を並べたが、結局は失敗するのが怖かっただけだ。




親に専門学校行きを反対された。

しかし、きっと母の事だ。本当にやりたいと必死で頭を下げたら、困った顔をしながらも承諾してくれるだろうことは目に見えていた。優しい人なんだ。

ただ、母に反対されたあの時、僕の胸を満たしたのは、確かな安堵だった。


「母に反対されたのだから仕方ない。母の言うことは正しい。母に迷惑をかけたくない。」

これで夢を諦める大義名分ができたと思った。なんて最低な息子だろうか。


結局、国立大学へと入学を決めたが、その後も僕は変わらなかった。バイトだってそうだ。少しでも夢に近いものを選ぼうかと思いながらも時給の高さに負け、塾講師を始めた。本当にお金が必要だったかと言われると、そんなことは全くない。現に、給料は振り込まれた状態のまま、何ヶ月も放置してある。



そんな僕にとって、彼女は理解できない存在であると同時に憧れだった。そこまで自分に素直でいられる事が羨ましかった。

だから、路上ライブで彼女を見た時から応援に行き続け、差し入れもした。連絡先を交換してからは、流行りのSNSで彼女のライブの宣伝をしたり、動画もあげた。


打ち込む事がやっとできた。彼女を支えるのが僕の幸せだ。彼女の夢が僕の夢だ。彼女が輝くことが僕の幸せだ。

心からそう思った。そして、彼女にもそれを伝えた。




でも、彼女は僕の話を聞くと、そっと眉を顰めて、一言「違うよ」と言った。そのまま立ち去る彼女を僕は呆然と見送ることしかできなかった。あれ以来彼女には会っていない。



本当は分かっていた。

僕は彼女の寄生虫だった。

彼女を支える、だなんて事を大義名分に、自分が空っぽの人間であることを隠そうとした。

彼女を使って自分を満たそうとした。

彼女の夢にすがりついた。


僕はあの時と何も変わっていない。また、人に選択を押し付けただけだった。

その証拠に、彼女から離れた僕には何も残っていなかった。何も変わっていなかった。




通りの雑踏の中をポケットに入れていた手を出して進んでいく。目は地面の割れ目ではなく、前の人の肩のあたりを見る。猫背は少しは直っただろうか。


彼女を遠くに見た。その距離約50m。今回のライブも人がパラパラと集まっている。

40m。あの時よりも声に張りがある。

30m。相変わらず少し苦しそうに、でも楽しそうに歌っている。

20m。曲が終わった。

10m。挨拶をしている。久しぶりの彼女の笑顔だ。

5m。パーカーをそっと脱いだ。驚いた顔の彼女と目が合う。

0m。彼女の香りが僕を抱きしめる。



ライブの邪魔をしたことをしっかり怒られた後に、彼女とカフェに入る。僕はハニーラテを頼む。彼女の驚いた顔が少し笑えた。

席に着くや否や、彼女は僕を下から窺うように見る。聞きたいことが山ほどあるのだろう。僕も話したいことが山ほどある。



「どうしたの?」という彼女の問いにとぼけて「どれの事?」。彼女は少しふくれっ面になりながら「全部!」。僕は少し笑いながら、彼女に説明する。


「君と別れたあの日から、僕はいろいろ考えたんだ。本当に君の応援をしていたのか、とか。なんで君は怒ったのか、とか。

そしてね、やっとわかったよ。

僕は君に寄生していたんだ。君の夢は君の夢なのに、それに寄生して、まるで僕の夢でもあるかのように感じていた」

彼女はじっと僕の目を見たまま聞いている。


「僕が今まで何にも挑戦してこなかったのは、金のせいでも時間のせいでもない。失敗を恐れるただのプライドのせいだったんだ。だからね、一度、プライドをへし折ってみたんだ」

目を見開いた彼女の顔は少し笑える。


「信じられない?そうだろうね。僕も驚いたんだ。

まずは給料を引き落として、それでやりたかったものの道具や材料を全部買って、色々なものに挑戦してみたよ。そしてね、それを全部SNSで公開したんだ。

ははっ、最初は酷いもんだったよ。誰も反応してくれない。少し甘くなったかと思ったら、次は批判の嵐。

こんなに人と向かい合ったのは、生まれて初めてだったかもしれないな」

僕は笑いながら言う。彼女の瞳はまだ大きく開かれたままだ。


「それからね、今まで無理していたものや我慢していたものをやめたんだ。髪も染めて、ほら、これも。今までは格好つけてブラックなんて飲んでたけど、本当は甘いものが好きだったんだ」

彼女の目は更に見開かれる。そのうち目だけが机に落ちてどこかに転がっていってしまいそうだ。


「今は、趣味で色々な小物を作ってサイトを開いて売っているんだ。材料費に色をつけた程度の儲けにしかならないけどね」

さぁ、僕が話せるのはこんなものか。そろそろ彼女の表情を変えたくなってきた。



「君と話していた頃、君に言った言葉を覚えてる?

『この色のない世界の中で君だけが輝いている』

ははっ、僕もよくあんな恥ずかしいことが言えたもんだと思うよ。でもね、あれは当時の本心だったんだ。

そしてね、今は違う。

今はね…世界自体に色がついたよ。僕が白黒カメラからフィルム式カメラぐらいには進化できたからかな?」

彼女がくすりと笑う。

そうだ。その顔が見たかった。


「でもね、変わらないものもあったよ。やっぱり…一番輝いてるのは君なんだ」

彼女は耳まで赤く染まる。

「だからね…今日はお願いがあって来たんだ。僕と…」




ここから先は、僕と彼女、2人だけの秘密だ。

ただ、言えることがあるとしたら、そうだな…今年の夏は暑くなりそうだってことと、僕はデジタルカメラになれたみたいだってことかな。

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