第三話「妖怪の山」
ゆきの案内に従って更に山を登っていく。
時間的には十分程だろうか。前方に小さな木製の小屋が一軒、木々に囲まれるようにひっそりと建っているのが見えてきた。思っていた以上に確りとした造りをしているのが遠目でもわかる。流石に一軒だけでは断定できないが、この世界の建築技術は思っている以上に高いのかもしれない。
「あれか?」
小屋を指さし尋ねると、ゆきが頷いて答える。
「そうだよ。っていっても大したものじゃないし、おもてなしもできるか怪しいけど…………」
「気にしなくていい。俺としては寝床が確保できるだけで十分だ」
申し訳なさそうに言葉を濁すゆきを慰める。こちらとしては雨風が凌げるだけで十分。野宿より快適な環境で寝れるならそれでいい。
更に進んでもう少しで家に着くといったところで、家の前に誰かが立っていることに気がついた。一拍遅れて、ゆきも気付いたのかそちらに向けて駆けだした。
「あー! タツがなんでここにいるのさー?」
「おお、ゆきか。オフクロに頼まれものでな」
呼ばれて気付いたのか、相手がこちらを振り向いた。藍色の着流しを身に纏った、見た目は二十代前半程のがっしりとした体つきの男性だ――――額からに黒い角が生えていなければ。
「ん? ソイツ誰だ?」
タツと呼ばれた男はこちらに気付くと、表情を険しくし鋭い眼光をこちらに向けてくる。その表情に気付いていないのか、ゆきは明るい口調で俺を紹介する。
「この人はきょーくん。ぼくの大事なお客さんだよ!」
「客? ……ふぅん?」
その言葉を聞いてタツの表情から険しさが薄れる。ややあって、話しかけてきた。
「警戒して悪かった。何せ人間なんて見るのも久しいんでな」
突然、警戒を解いてきたことに少々驚きを隠せないが、どうやら敵対してくるわけでもないようだし、今は事を荒立てない方がいいだろう。そう考えて、なるべく相手を刺激しないように注意を払う。
「いや、俺はよそ者なんだ。警戒してしかるべきだろう」
「そう言ってくれるとこっちとしても助かる。俺はタツ、見ての通りの鬼さ」
――鬼、ね。
角以外は人にしか見えない。角がなければ筋肉質な大男で通せそうだ。
「俺は静季響真。旅人だ。しかし、鬼というのは初めて見るんだが、その……」
なんと言ったものか、言葉に悩んでいると察したのかタツが笑みを浮かべた。
「ああ。はじめてなら疑問に思うだろうな。なぁに、今の姿は妖術で人に化けてるだけさ。本当はもう少し背も高いし、肌の色も違う。体つきとかもな」
「そうなのか。でもなんでわざわざ?」
俺の想像通りなら、鬼といっても姿形の大部分は人間とそう変わらないはずだ。わざわざ人に化ける意味があるのだろうか。
「その疑問も当然だぁな。まぁなんだ、鬼ってやつは基本的に怪力だからよ、おまけに力加減とか下手なもんでな。歩くだけで道が崩れるし、山は荒れる。うっかり何かにぶつかったら相手は吹っ飛んじまう。だからわざと人に化けて力を制御してるんだ。それに鬼のごつい手より人の細い手だとなにかと細かい作業がしやすいしな」
「なるほど。まぁ、確かにその話を聞く限りじゃ使い分けた方が便利そうだ」
「そういうこった。しかし、旅人か。どこから来たんだ?」
思わず返答に詰まる。そういえば、考えていなかった。迂闊に答えてボロを出すのも問題だろうが、かといって本当の事を言うわけにもいくまい。何より信じてはもらえないだろう。少し考えて、地名だけを言って具体的な場所はぼかすことにする。
「……東京っていう所から来た。遠い……そう、遥か遠い所にある街だ」
「とうきょう、か。聞いたことねぇなぁ。そんなに遠いかね」
「そうだな。一年二年じゃ無理だろうな」
そもそも距離で測れる場所ですらないのだから。
「へぇ、きょーくんってそんな遠くから来たんだ。すごいね!」
俺の話にゆきが無邪気に感心したような声を上げる。
「じゃ、色々このあたりの事を教えてあげるよ。今日、折角泊るんだしさ」
「泊りだぁ?」
ゆきの言葉にタツが反応する。すぐさま俺の首根っこを掴んで凄まじい力でゆきから遠ざけ、小声で話しかけてくる。
「こいつがあだ名つけるくらいのやつなら心配しねぇが、もしもゆきに手を出したら……」
――あだ名に何の関係があるんだ。
妙な引っかかりを憶えたが、とりあえず続きを促す。
「出したら?」
「この山の妖怪総出で殺す」
――怖ぇな、おい。
「随分な話だな。そんなにゆきは人気者なのか?」
「おうさ。なんてたって、この山で一番の妖怪。総大将、〝黒鬼〟のシツの娘なんだからよ」
「黒鬼? ゆきは自分を白狐とか言ってたが」
「義理の娘だ。ま、オヤジは本当の娘みたいに可愛がってるがよ」
「オヤジ? ってことはそのシツってのは……」
「おう。俺のオヤジだ」
鬼の総大将か。見てみたい気もするが、まかり間違って戦いにでもなれば危険すぎるので、出来れば会わずに済ませたいところだ。まぁ、とにかくゆきがこの山でかなり重要な地位にいることは分かった。
「心配するな。ゆきは種族的にも外見的にも俺にとっては対象外だ」
「そうか! その言葉を聞いて安心したぜ。久方ぶりの客人を血祭りに上げるなんざ嫌だからよ」
……呼吸するかのように物騒な言葉の飛び出す奴だな。
「しかしあだ名で呼ばれてたら心配しないってのはなんなんだ?」
ふと、先程引っかかったことを尋ねてみる。
「ゆきは妙に勘が鋭くてな。自分にとっていい奴と悪い奴を本能的に見分けちまうんだ。冗談みたいだが、過去に何度もそういうことがあったんだ。俺もこの目で見た。あだ名つけるくらいに特別気に入った奴は今のとこ五人もいねぇ」
「なるほど。てことは光栄なことに大層気に入られてるわけか」
――おそらくは食糧として、だろうが。
「そういうこった。…………よし、後でこのことはオヤジ通して山全体に伝えとくわ。そしたらお前にちょっかいかける奴はまずいねぇ」
――それは嬉しい提案だ。だが……。
「いいのか? よそ者の俺にそこまでして?」
「万が一、お前が山で誰かに襲われて死んでみろ? ゆきが悲しんで、それにオヤジがキれて山が滅茶苦茶になる。そうなったら俺も無事じゃあ済まねぇ。本気のオヤジを止めれる奴なんざこの山にはいねぇんだ」
……聞けば聞くほど、シツという鬼とは会いたくなくなってきたな。
「了解した。死なないように努力しよう」
「ああ、頼む」
真剣な表情で頼んでくるタツの様子に冗談でないことを確信する。……明日にはこの山を去ることにしよう。
「ねぇ、さっきからこそこそ何話してるのさ?」
離れた所からゆきが呼びかけてきた。そういえばすっかり忘れていた。
「なに、たいしたことじゃあないさ。なぁ響真?」
「ああ。タツの親父さんのことを少し聞かせてもらっただけだ」
咄嗟に口裏を合わせ誤魔化す。まぁ、ゆきに言えるような内容ではないから当然か。
「ふぅん? あ、そういえばタツの頼まれごとって何さ〜?」
首を傾げてゆきが尋ねる。そういえば最初にそんなことを言っていたな。
「おおっと、いっけねぇ。忘れるとこだった……ほい、こいつ届けに来た」
大仰なリアクションをして、タツは懐から小包を取り出してゆきに渡した。
「前にゆきがオフクロに頼んでたヤツな。ようやく作れたってんで俺に届けてくれ、ってよ」
「ホント?! ありがとう! ヨウカにもありがとうって言っといて!」
言いながらゆきは小包を開けていく。包まれていたのは、野球ボールほどの大きさの透き通った紫色の結晶だ。
「これは……妖力核ってやつか?」
ユウのメモから思い当たったのを尋ねる。たしか強大な妖怪が持ってる第二の心臓とも言われる器官だったか。
「違う違う! これは妖玉。妖力を少しづつ練って固めて作る呪具の材料だよ」
「ああそうか。天然ものじゃないものな」
「そうだなぁ。妖力核を作るってのぁ、人が心臓を作るっていうようなもんだぜ」
どちらも主成分は妖力だが、妖怪から取り出せるものを妖力核、人工物や大気中の妖力が凝り固まったものを妖玉というのだったか。
――どうもユウからの情報をまだ飲み込み切れていないな。
やはり異世界転生で心のどこかで浮ついてる部分があるのかもしれない。先程から迂闊なことがありすぎる。内心、気を引き締め直してゆきに尋ねる。
「妖玉は自然発生か精製するんだったか」
「そうそう。このサイズだと妖玉って言われるけど、もう少し小さいと妖石って言うこともあるよ」
次は間違えないようにしっかりと頭に叩き込み直す。先ほど暗記した情報もあとで咀嚼し直しておくとしよう。
――気が抜けすぎだな。
内心、自身の気の抜けっぷりに苦笑する。自分にもまだ「見知らぬ場所に心を弾ませる」という子供みたいな感性が残っていようとは思わなんだ。
「それで? 何に使うんだその妖玉」
「へへ、内緒。……また今度教えてあげる」
俺の質問に悪戯っ子のように無邪気な笑顔を浮かべるゆき。気になるが、本人にその気がないなら無理に聞くことではないのだろう。
「んじゃあ、届け物も渡したからな。俺は帰るわ」
タツはそう言うと山の頂上方向へと歩き始める。
「ありがとー、タツ! ヨウカにもよろしくねー!」
去りゆくタツにゆきが声をかける。タツは振り向かず、軽く手を上げて応えた。俺も何か言おうかと思ったが、思いつかなかったので黙っておく。
「じゃ、とりあえず家入ろうか」
「ああ、そうしよう」
ゆきに促され、彼女の家へと向かう。
――少々、予定外の出会いであったが、得るものは大きかった。ゆきの家で追加の情報収集と整理を行うことにしよう。
読んでくださりありがとうございます。
新キャラ登場。モブじゃないよ。予定されてる出番は少ないけどモブじゃないよ。
実はここで一戦、タツ相手に模擬戦する的な初期プロットがあったんですが、それすると響真死ぬかその一歩手前行くなって思ったのでボツ。ゆきのお気に入り設定もあったので、そこから回避するルートに。
早いうちに書けたらなぁと思いつつ目処が立ってないのでここに書いときますけど、ぶっちゃけ現状の響真くんは弱いです。人間相手ならそこそこって程度。基本的にこの作中の妖怪たちは大半が純粋な物理戦闘で処理できないので。あと妖怪だから人相手みたいな戦い方ができないってのも一つ。
天ヶ郷での戦いに慣れればもう少し強い扱いになる予定なんですけどね。妖術とか呪具とかを活用しての戦いって感じで。
あと前回書いてたゆきの耳と髪の色の話は次回です。入れようかと思ったけど、家に入るとこで区切ることにしたので。
次回は説明会の予定。あとできればちょこっとユウ視点の番外を挟む予定。