34 レコードホルダー
「行ったかな?」
『はい。第三ゲートに入っていくのを確認しました』
リサはルカのその返答を聞いて一つ息を吐く。少なくとも一番やらなくてはいけない事を終える事が出来た。後は自身の生存を優先すればいいだけだ――それが出来るのならば。
「脱出……出来たらいいんですけどね」
誠の見立て通り、もう一度同じ事をやる余力は無い。そもそもがヴィクティムが脱出するだけの隙間も常時二機が足止めをすることで成立していたのだ。自分たちも移動しながら穴を空けるのは容易ではない。
第三ゲートの守備隊が包囲を外から崩そうとしているが余り上手くは行っていない。ヴィクティムが脱出した時点でこの包囲は内側に閉じ込める物ではなく、外側を迎撃する物に変わった。今リサとルカを追っているのはこの場の四分の一にも満たない十体のASIDだ。プラス思考で考えるのならば一度に相手する数が減った。マイナス思考に考えるのならばこの数で十分に処理できると思われている、と言った所だろうか。
そしてそれは正しい。
「くっ!」
スナイパーライフルが弾切れした。腰から予備のマガジンを取り出す。だがリロードする前に横合いからタックルされて手から離れて行く。こうなってしまえば最早無用の長物。それに執着する愚を犯さずリサは即座に投げ捨て腰にマウントした長剣を手にする。
せめて妹だけでも脱出させたい。その一心でリサは策を練り続ける。だが間に合わない。頭を働かせようにもその暇が無い。襲い来るASIDを捌き、捌き切れずに長剣を手にした手首が叩き潰される。寸前に長刀を手放し逆の手で掴むが状況は刻一刻と悪化していく。
『お姉ちゃん!』
ルカの機体は四体に囲まれながら獅子奮迅の動きを見せていた。鋭い足技は上下左右。変幻自在に相手を襲う。それを捉え切れずにASIDは次々と損傷を深めていく。それでも限度がある。囲まれているので思う様に移動できない以上、蹴りの始点はほぼ一定。本来ならば動き回る事でその足技は完全に不随の物となるのだ。制約を掛けられている以上見破られるのは道理だった。
頭部を砕こうとした一撃を受け止められる。純粋な人間ならば、脚力は腕力の三倍あると言われている。それは身体を支える足とそうではない腕の違いだが――機械であるASID、アシッドフレームにその様な差異は無い。腕力も脚力も同等。脚を掴まれたままルカ機はもがくが外せない。解放されたのは別のASIDが掴んだ脚、その膝部を破壊したからだ。
膝から下の部分を投げ捨ててASIDがルカ機を追いつめて行く。片足だけになっても未だ巧みな技術で攻撃を避け続けるルカは既に限界が近い。
利き腕とは逆の腕で剣を操作する感覚は余裕の無いリサの頭を更に酷使する。間に合わない間に合わない。どれだけ考えを巡らせても一手足りないどころか根本から何もかもが足りない。戦力も時間も何もかも。
どうにか一体のASIDの頭を潰すことに成功する。だが焼け石に水だ。まだ残り九体。一体を倒す間に二人の機体は既に半壊。三体目に取りかかった辺りで四肢を失い無残に破壊されるだけとなるだろう。
第三大隊出撃の報はまだない。今この瞬間に来たとしても到着まで五分。その五分で果たしてリサとルカの機体は立っていられるかどうか。
ギリギリでルカ機が包囲から抜け出す。それに合わせてリサ機が駆け寄り、背中合わせで敵と向き合う。
「ルカ。あとどれくらい機体は動きますか?」
『運動を制限して十分……お姉ちゃんの方は?』
「ボクの方はまだまだ動けます。どうにか包囲に隙間を作りますから、先にルカはそこから――」
まだ考えがまとまらぬまま、それでもどうにか妹を生かそうとする姉の姿。麗しき姉妹愛だが、ルカはその言葉に小さく首を横に振る。
『脱出するならお姉ちゃんが先です。私の機体はもう限界です。きっと突破する際の激しい運動に残った脚は耐えられない』
その言葉を聞いてリサは先ほどの誠の気持ちを痛い程に理解する。自分だけ逃げろと言われて。その可否は兎も角、そんな事を言われて抵抗を覚えない訳が無い。私情を抜きにすれば、あの時一番に生かさないと行けないのは誠とヴィクティムであり、そしてその次は遠征隊隊長を務め、今も隊長職に就いているリサだ。ルカに脱出を促したのはただただ、姉としての私心に流された結果だ。
そして、自分にルカを見捨てられない事は分かり切っていた。
コクピットの一角。そこにある赤いボタンに眼を落とす。セルフディストラクションシステム――つまりは自爆装置だ。このボタンを押し込めばその瞬間にエーテルリアクター付近に仕込まれた爆薬が炸裂し、機体とその周辺を確実に焼き払ってくれる。
機体をASIDに再利用されないようにと言う理由もある。だがそれ以上に苦痛を一瞬で終わらせると言う意味合いが強い。金属に押し潰され、即死できればそれでいい。だが運が悪いと確実に助からないが、意識が途切れるまで全身押し潰されたまま過ごす事になる。事実そう言った事例は過去に存在する。そうなる前に確実に己の命を絶つ。その為の装置だ。
だが今リサが考えていたのは己の事ではない。如何なるタイミングでこれを使えば敵に最大の損害を与えられるか。そこだけが彼女の思考を占めていた。
「……一人にはしませんよ、ルカ。ボクから離れないでください」
『はいっ!』
話が終わるのを待っていた訳では無いだろう。分かれて追っていた二つの群れが合流し、九体の群れとなってASIDが二人の機体を取り囲む。二重の円はどう足掻いても二人では突破できない。残された手は最後まで抵抗して、最終手段を使うしかない。
剣が手から離れて行った。
腕がもがれた。
脚が折れた。
数瞬で二機は立つ事も出来ず擱座する。
コクピット中にレッドアラートが鳴り響く。最早いくら動こうとしても機体は微塵も動かない。脱出を指示されるが、ここで脱出したとしても待っているのは押し潰される未来だろう。
「ここまでですね」
やれることは全てやった。だから悔いはない。そう思いながらリサは赤いボタンを押し込もうとして――その指が止まる。ほんの一瞬。生と死の狭間に自ら立った瞬間。
何もかもを飛び越して頭に浮かんで来たのは浮遊都市の事でも、今隣にいる妹の事でも無く、誠の事。それも戦えるかどうかとかそう言ったことではなく、これまで自覚もしてこなかった正体不明の感情。
死に際に感じる物がそんな自分でも持て余す様な覚えのない感覚だと言うのが困った物だとリサは思う。明確な未練が残ってしまう。トータスカタパルトを落とした帰り道に友人だと言われた事を思い出すと不思議な熱を感じる。
この感覚の正体をリサは知らない。
今更になってそんな事を感じる鈍感さに皮肉げな笑いを浮かべて、今まさに棍棒を叩き下ろそうとするASIDに先んじて今度こそ赤いボタンを押そうとする。
その一瞬の停滞が明暗を分けた。
『悪いが、私の任務は特第一小隊を援護する事だ。そこで死なれては困る』
声と共に空から影が舞い降りる。
両手に槍を握り込んだ細身のシルエット。真下へと向けられたそれは機体の持つ位置エネルギーを貫通力に変えて今まさに棍棒を叩きつけようとしたASIDを脳天から貫く。躊躇なくそれを手放したかと思うと両の手に握られているのは小振りのコンバットナイフ。リサの持つスナイパーライフルと同じだ。キッチリと研がれた刃は支給されている長剣の様な重さで叩き斬る物ではなく、正確に急所を狙う為の物。それを扱えると認められたフレーム乗りにしか装備が許可されない特別製だ。
そして今この浮遊都市でそんな密着戦闘を強いられる扱いの難しい武器を使う人間など一人しかいない。
「レコードホルダー……」
『その呼び方は好きじゃない』
少しだけ嫌そうに、金髪を揺らして顔を顰めながら嘉納玲愛は言った。
浮遊都市のASID撃墜最多記録保持者。それは現在、と言う話ではなく六百年間を全て見渡しても彼女を超える撃墜数はいない。文字通り浮遊都市で最強の存在、だったと言えよう。流石にヴィクティムには負けるがその武威が薄れる訳では無い。
彼女が乗る機体はハイロベートのカスタム機。本来ならば規格から外れた機体は整備の関係上好ましくない。だが玲愛の場合はその類稀な実績と、その改修内容に因って許可された。
基本フレームはハイロベートと全く同じ。違うのはその上、つまりは装甲だ。元々ハイロベートはそのベースとなったASIDと比較しても装甲は薄くなっている。その装甲を更に削ぎ落とすどころか大半を外したのが玲愛の機体だ。それによって運動性能は飛躍的に向上した。重量を比較すれば三割は軽くなっているのだ。動きが早くならないはずがない。だがそれ以上に防御能力は下がったのだが、ピンポイントでエーテルコーティングを展開させると言う手法でそれを強引に解決した。と言うよりもその技術があったからこそ玲愛はその様な改造を望んだのだが。
兎も角、結果として玲愛の機体は自由自在に展開するピンポイントのエーテルコーティングと、ハイロベート以上の運動性で高い攻撃性能、防御力、機動性を手に入れたのだ。無論、真似をする人間は一人もいない。
潜り込んで腹部にナイフを突き立てる。熱したナイフでバターを切るよりも容易く――余談だが浮遊都市ではバターを切ると言うのは大変難しい事の意味で使われている。理由はその希少さからである――装甲を切り裂きエーテルリアクターを貫く。
『次』
冷たくそう言うと引き抜いたナイフを無造作に投げつける。銃弾と見紛うほどの速度で放られたそれは正確にルカ機にトドメを刺そうとしたASIDの額を貫く。そして投げた次の瞬間には別のナイフが手に握られている。
「どうしてここに……嘉納さん」
『他の機体よりも私の機体が一番早いから来ただけ』
「いえ、そうではなく……第三大隊出撃の報は聞いていなかったのですが」
『うん。だって勝手に出てきたから』
何でもない事の様に言うが、リサはその言葉に絶句する。当然だが軍に限らず組織には規律と言う物がある。それを守る事で円滑な運用を可能としているのだ。なのに堂々とそれを無視したと言われては順守している側の立場が無い。
そんな横紙破りが許されるのもレコードホルダーという替えの利かない人材だからだろうが、そんな事をした理由が分からない。流石にここまで派手な命令違反を連発していたらリサの耳にも噂が届きそうな物だが。
『誠がここにいるって言うから急いできたのにいない……』
呼び捨てである。しかもそのためにここに来たのかと思うとリサは頭が痛くなる。先日のお茶会で誠と玲愛の関係が話題に出たが、まさか本当だったのだろうかと思う。別にその時は興味以上の感覚は無かったが、自分の感情を自覚してしまうと妙に気になる。
『まあいいや。とりあえずそこで寝てて。その間に片付ける』
慎重に囲んでくる六体のASIDを前にして何でもない事の様に――いや、実際何でもない事なのだろう。玲愛にとっては大した障害ではないらしい。それでもリサは警告を飛ばす。
「気を付けてください。こいつら今までのとは違って動きが……」
『え、何? 聞いてなかった』
「素早いです。気になってないみたいですが」
これまでのと比較すれば手ごわくなっているはずなのだ。それを感じさせない速さで玲愛の機体は六体のASIDを解体していた。いずれも額か腹部――即ちASIDの急所に的確にナイフが刺さっている。
その時になって外側を向いていたASIDも自分たちの懐にとんでもない物が紛れ込んでいるのに気付いたのだろう。数体が新たに追加されるが既に遅い。
第三ゲートから新たな部隊が続々と現れる。その識別信号が示すのは第三大隊。もう一つの――むしろ数的にはこちらがメインの遊撃部隊だ。
すぐさま第三ゲート守備隊と合流し、磨り潰すようにASIDの群れに襲い掛かる。
そんな中で玲愛機はリサ機とルカ機の側で佇んでいた。
「行かなくていいんですか?」
『さっきも言った。私の任務は特第一小隊の援護。ここで死なれたら困る。だから守ってあげる』
淡々と、興味無さそうに言うが今のリサにはそれが有り難かった。今の混沌とした感情は何がきっかけで暴発するか分からない。
だがとりあえず……。
「生き残れた……」
『ですね、お姉ちゃん』
流石に今回ばかりは無理だと思った。特第一小隊はヴィクティムの突破力を当てにした少数部隊だ。それが封じられてしまえばただの少数部隊。まともにASIDの大群とぶつかれば全滅は免れない。
運が良かった。その一言に尽きるだろう。
『誠様におこられますね、きっと』
「ボクもそう思います」
あんな言葉を交わしてもう一度会うのは気恥ずかしくもあるが、今はその気恥ずかしさが何よりも心地いい。
『機体はダメそうだな……放棄する。コクピットブロックを排出してくれ。担いでいく』
そんな玲愛の声がかけられたのは十数分後。アークに落下してきたASIDの群れは殲滅されていた。




