23 頭の検査が必要な人
誠が浮遊都市の一角に居を構えて二日が経った。
半ば強制的に同居人となったリサとルカの部屋も決まり、生活の基盤が整った辺りでルカが緊張気味に声をかけてきた。
「ま、マコト様」
「様って」
様呼びにむず痒さを感じずにはいられない。同年代の相手にその様に畏まれると非常に肩が凝る。ましてやこれから共同生活を送るとなれば尚の事だ。
「えっと、ルカさんさ」
「さんなどと恐れ多い……! 私の事はおね、姉と同じように呼び捨てで構いません」
「じゃあルカ」
そう呼ぶことに若干の気恥ずかしさを感じた。初めて見た時から思っていたのだが――ルカの見た目は誠の好みに近い。そんな相手をファーストネームで呼ぶことは十七歳の少年としては実の所ハードルが高かったりする。本人の意志とは無関係に僅かだが心拍数が上がった。
「はい、マコト様!」
「その、マコト様って言うのを止めて――」
欲しいんだけど、と続けようとしたのだが途中でルカが絶望、と題を付けたい程に見事な顔をしたので中断した。
「私では、マコト様に仕える事は許されないのでしょうか」
「いや、仕えるとかじゃなくて」
普通にしようよ、と言おうと思った所で思い直す。これが浮遊都市の普通なのかもしれないと。男性相手ならばこういう態度が普通で、リサの方が例外なのかもしれないと言う考えが浮かんで来たのだ。
結論から言えばそれは間違いだったのだが。
兎も角、その時の誠はそれで納得してしまった。リサとよく似た顔立ちの少女が絶望感を露わにしている事に耐えられなかったと言うのもある。何だかんだ言ってリサ・ウェインという人間は誠の中で特別になりつつある。恋愛感情はまた別としても、現在浮遊都市で最も頼りになる人間と言う認識だ。恐らくこれは知己が増えたとしても変わらないと誠は思う。
「分かった。様で良いよ。それで何か用事?」
誠の指摘で脱線したが、元々何かあって話しかけてきたのだ。生活用品で足りない物でもあったから買い出しだろうかと予想する。
「おね……姉から聞きましたが、マコト様は記憶を失っているとの事ですが」
「ああ、うん」
思わず遠い目になる。その場をしのぐための方便がここまで響きとは思っていなかった。真摯に身を案じる視線を向けられると日光を浴びた吸血鬼の様に灰になりそうだ。少なくとも直視は出来ない。
そんな誠の罪悪感には気付いていないのか、ルカは言葉を続ける。
「その、旧時代の物と比べれば劣るとは思いますが、一度検査を受けた方が良いのではないでしょうか?」
「検査、って言うとここに来るときに一応受けたんだけど」
「姉から聞いた内容ですと多分脳の方まではしっかり検査していないと思うので……いえ、もしかしたらマコト様のは内容が違うかもしれませんけど」
そう言うのでルカが聞いた検査内容と誠の受けた検査内容を比較した所ほぼ同一の物だと言うのが分かった。
「やはり、病院で一度検査を受けた方が良いと思います」
「病院なあ」
正直に言って気が進まない。理由はいくつかある。まず一つに何の自慢にもならないが誠は病院が嫌いである。未就学児童の様な理由だがあの薬臭い空気が途轍もなく苦手だった。二つ目がそもそもが嘘なので検査をしても何の異常も出ないであろう事が分かっているからだ。そして最後に、例の検査の時にべたべたと胸筋を触られまくったのが軽いトラウマになっている。どうして柔らかくないんだろうとか言いながら代わる代わる触られたのはちょっとした恐怖だ。
改めて思い返すとどれも大したことの無い理由だったと誠は自分の浅さにちょっと落ち込む。落ち込んだところでどうしようかと考える。
はっきり言ってしまえば別に行っても行かなくても問題は無いと言うのが彼の結論だ。気分的な問題であり、ルカが自分の身を案じて言ってくれた事だ。無下に断るのも良くないだろうと思う。
「……そうだな。一度受けておいた方が良いかもしれない」
だから誠はそう言った。それを聞いたルカは顔を輝かせる。
「分かりました。それでは僭越ながら私が案内しますね!」
「うん。よろしく。そう言えばリサはどこに行ったんだ?」
「おね……じゃなくて姉でしたら多分防衛軍の方だと思います。報告書を作っているんじゃないかと」
花がしぼむ様にルカのテンションが大きく下がる。報告書と聞いて誠にも心当たりがあった。リサは今回ほぼ全滅した遠征隊の隊長だ。その全てについて報告し、判断を仰がなくてはいけないのだろう。
少なくとも良い結果にはならないはずだ。何らかの責任を負わされるのは確実だろう。
「まあ仕方ないよな……」
詳細は誠も聞いてはいない。リサが頑として語ろうとしないのもあるし、何で全滅したのかなんて無神経に尋ねる事も出来ない。
「……やはり、姉がいないと駄目ですか?」
誠の呟きを誤解したのか、恐る恐るルカがそう尋ねてくる。一瞬何を言われているのか分からずに言葉に詰まった。一拍遅れて誠の頭にも理解が広がる。
「いや、そうじゃないよ。リサが報告するって言うのは仕方のない話って事」
「そうでしたかっ。では行きましょう!」
一瞬で機嫌は回復した。テンション高く家から出ようとするルカの背を誠は追いかける。同じ妹だからだろうか。誠の実妹もこんな風に先を歩いて、その背を誠が追うと言う形になる事が多かった。そんな事を思い出したらたったの十日程度なのに懐かしくて涙が出そうになる。
やはり帰りたいと誠は強く思った。ここに来るまでずっと戦場だったと言っても良い。そんな極限状況では気にならなかったがこうして平穏な日常を過ごし始めると自分が今までいた場所への郷愁を強く感じる。
浮遊都市が悪いと言う訳ではない。ASIDの脅威は確かに深刻だが、それを無視すれば居心地としては悪くは無い。着たばかりでそうなのだから、歳月の経過に応じて更に馴染んでいくだろう。
だがそれでも生まれ育った郷土をその意思も無く離れてしまったことは不安を覚えずにはいられないのだ。帰りたいと思わずにはいられないのだ。
そんな事を思って立ち止まってしまった誠に気付いてルカが振り向いた。
「どうしましたかマコト様?」
「いや、何でもないよ」
「何でもないなんて顔してませんよ。そんな泣きそうな顔……」
そう言われて誠は己の頬に手を当てる。涙は流れていない。だが今にも流れそうな顔をしているのかとルカの心配そうな表情で気が付かされた。鏡で見てみたかった物だと自虐的な笑みを浮かべる。その様子をみて更に心配そうな顔をするルカを見てぽつりと言葉が漏れた。
「リサとそっくりな顔してるな」
特に深い意味があった言葉では無かった。以前見たリサの心配顔ととても良く似ていたと言うだけの話だ。ふとそう言ってからルカがリサの代理品の様に扱われていたと言う話を思いだし、配慮が足りなかったかと不安になる。
「マコト様は私が一番して欲しい事をしてくれますね。最高の褒め言葉です。それ」
頬を染めて、少し照れたようにそう言うルカの顔を見てその心配が杞憂だったと安堵する。
「でもそんな言葉で誤魔化されると思ったら大間違いですよ。本当に大丈夫ですか?」
「ああ。大した事じゃないよ。何となく、懐かしいと思っただけ」
その言葉にルカは喜んでいいやら悲しんでいいやら分からなくなったらしい。二色が入り混じった表情を浮かべる。
「それは、記憶が戻りつつあるって言う事でしょうか?」
「いや、どうだろう? 俺にも分からん」
そう言って誠は彼女の背を追い越す。表情を見られないように前に出て背中を見せる。玄関を出て真っ先に目に入るのは天まで伸びて行く強化ガラスのドーム。そしてその向こうにあるのは塵に覆われて赤くなった空だ。
「やっぱここじゃないよな」
その光景を見て、誠はやはり帰りたいと言う思いを強くした。
◆ ◆ ◆
車のハンドルはルカが握っていた。誠の感覚からすると、同い年くらいの少女が車を運転していると言う事に違和感を覚えずにはいられない。
「浮遊都市って車の運転は何歳から許可されてるの?」
「十五歳からです。マコト様。軍部の人間は全員免許を取ります」
「そうなんだ。何か俺の記憶だと十八歳からって事になってたからびっくりした」
十五歳となると中学生だ。誠の頭の中にセーラー服を着た少女が車を運転しているイメージが出てくる。やはり違和感しか感じない。
「旧時代はそうだったのかもしれないですね。そうなると私はあと一年運転できませんが」
「って事は十七……同い年か」
「えっ!?」
ぽつりとつぶやいた誠の言葉にルカは眼を剥く。助手席に座っている誠の方を振り向きたいが、運転中なのでそれも出来ない様だ。正面を向いたまま驚いた様子を隠そうともせずに質問する。
「マコト様十七歳だったんですか?」
「そうだよ。言ってなかった?」
「初耳です。もっと上かと思ってました」
「……姉妹揃って同じようなこと言うのな」
リサに続いてルカも実年齢よりも年上に見ていたとなるともしかして老けているのかと誠は自分の容姿が気になる。少なくとも今まで一度もその様な事は言われた事が無い。それを根拠に自分の考えを否定。そうなるとこの都市の男性が童顔と言う可能性がある。
「大人っぽい見た目なんですよ。マコト様は」
「そりゃ、どうも」
そう言われれば悪い気はしない。老けていると大人っぽい。どっちも同じ年配に見えると言う意味なのに印象が全く違うのが不思議だと誠は思った。
「まあだから同い年に様付されるのにも抵抗があったんだけど、今更止めろとか言わないからハンドル握ったまま泣きそうな顔するのは止めてくれ」
「ああ、良かった。そんな事になってたら私きっと自損事故起こしてました」
「怖っ!」
予想以上にメンタルが弱いのだろうか、と誠は心配になる。とりあえず運転中に迂闊な発言は控えようと決意。
「それで病院だけど、俺が行っても大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。離宮の方々の診察を許されてる数少ない医師ですから。スタッフ含めて口は堅いです」
「なら安心だ」
そこで会話が止まった。生活の準備を整える時もつい話しやすさからリサの方に話しかけてしまい、誠がルカについて知っていることはそう多くは無い。それ故に話題が見つからなかった。共通の話題と言ったらそれこそリサの事しかない。
「趣味とかはあるの?」
精一杯知恵を絞って出てきた質問がこれだった。我が事ながら誠は情けなくなる。もっと他に気の利いた話題の振り方は無いのかと。
「マコト様。それじゃあまるでお見合いです」
この都市にもお見合いはあるのか、と誠は一つ賢くなった。自分でもどうかと思う切り出しだったが思いの外ルカには好評だったらしい。
「趣味、と言うほどではありませんが休日は良く環境保全区画の方に散歩に行きますね」
「環境保全区画、っていうとあれか。この星に有った植物を保存するために森林みたいになっているって言う」
「はい。そこです。出入りは自由なのでとてもいい場所ですよ。気分転換したい時はお勧めです。夏季は湖が解放されるので泳ぎに来る人もいます」
「覚えておくよ」
この都市にも四季はあるらしい。泳ぎたいと言う気持ちはある。だが流石に水着になるわけには行かないだろう。流石にそれは一発で男だとばれる。そうなった状況を想像して誠は身震いする。べたべたと身体を触られる恐ろしい光景しか想像出来なかった。
「マコト様の趣味は……」
「俺は自転車に乗ってた……はず。自転車ってあるよね?」
「はい。主要な交通手段ですよ。サイクリング、と言う事でしょうか?」
「レースだったかな。多分」
うっかり記憶喪失と言う設定を忘れてボロを出しそうになる。
「自転車のレース……アークには残っていない文化ですね」
「そっか……まあそんな気はしてた」
競技人口自体が元々多かったとは言えない種目だ。浮遊都市となった時に途絶えてしまったのだろう。
――いや、そもそもそう言う文化があったのかさえ不明だ。
誠は自分にも聞こえない程の音量で呟く。忘れそうになるが、ここは自分がいた世界ではないのだと彼は自分に言い聞かせる。そうしないと時々忘れてしまいそうなのだ。
「マコト様が気に入るか分かりませんが、自転車でしたら普通に買えると思います。今度見に行きますか?」
「そうだな。また今度よろしく頼むよ」
「はい。お任せください。到着です」
雑談をしている間に目的地に着いたらしい。外から見ても痛いほどの白。一目で病院と分かる赤十字マーク。前回検査を受けた場所とはまた違う場所の様だった。幾ら人類が十万人にまで減ったとはいえ、病院が一つでは足りないのだろう。
「こっちです。マコト様」
ぼんやりとその威容を眺めている誠の手に柔らかい感触。一拍遅れて手を引かれているのだと気が付いた。同年代の女子に手を引かれていると言う事実とそれがまるで子供に対する物の様である事という二重の羞恥で頬が赤くなるのを感じる。乱暴にならないようにそっと振り払う。
「子供じゃないんだから迷子にはならないって」
「あ、すみません。つい、お姉ちゃ――姉にするようにしてしまって」
「リサに?」
「はい。病院嫌いなので……」
意外な共通項に親近感を持った。
先導するルカは足早に正面口を通り過ぎて、そのまま裏口へと入っていく。誠は青色のポニーテールが揺れている姿を見ながら後ろを振り返る。
「受付とか……しなくていいんだよな」
疑問を口にするつもりだったが、途中で自己解決した。通常の手順で診察を申し込んだわけではない。一応立場的には秘密裏だ。
「失礼します。マクレガン先生との約束があってきました」
守衛室らしき場所にルカが声をかける。既に話は通っているのであろう。小さく頷くと二つ分の入館証を渡してきた。
「館内ではこちらを見える位置に付けていてください。マクレガン先生の部屋は三階です」
「ありがとうございます」
ルカのお礼に合わせて誠も小さく頭を下げる。そうして階段を上り、三階へ辿り付く。目的地は分かっているのだろう。迷うことなくルカは一つの部屋に歩いて行き、ノックした。
「マクレガン先生。ルカ・ウェインです」
「……ん? ああ。入りたまえ」
気怠そうな、ゆっくりとした声で返答があった。入室を許可されたルカは一言失礼しますと言って入っていく。誠もそれを真似て後に続いた。
その部屋は執務室兼自室なのだろう。セパレートで区切られている手前側は執務机が。二人からは見えないセパレートの向こう側はベッドなどの一般的な家具が置いてある。ここで生活していると言うよりはちょっと寝泊り出来る程度と言った方が正確だろう。
「マクレガン先生?」
「すまないね。昨日は寝るのが遅くて……さっきまで寝ていたんだよ」
「ああ、そうでしたか。ご用件は聞いてますよね?」
「無論だとも。今そっちに行く。少し待っていてくれたまえ」
話しているうちに意識が目覚めてきたのか。徐々に言葉がはっきりとしてきたのを誠は感じた。そして待たせたね、という声と共にセパレートの向こうから一人の女性が歩いてきた。
背の高い女性だ。長い金髪を無造作に後ろで括り、グラビアアイドルも裸足で逃げ出すほどのスタイルを惜しげもなく披露していた。何故そんな事が分かるかと言えば彼女の格好は素肌にワイシャツを一枚羽織っただけ。少なくとも誠にはそうとしか見えなかった。浮遊都市では客を迎えるのにこの格好で良いのかと驚いていたが、ルカの驚きはそれ以上だった。
「ま、マクレガン先生! 何て恰好をしてるんですか!」
「ん……? 見ての通りだが」
それがどうかしたのか、という堂々とした態度は誠の先の考えが正しいように思えてしまう程に強烈だった。胸を張った拍子に大きく弾むのを見てしまい無言で視線を逸らしながらも気になってチラチラと見てしまう。
「見ての通りじゃありません! ちゃんと服を着てください!」
やっぱりあの格好は非常識なのかと誠は安堵とも悲しみとも付かない感情を抱く。あんな格好が世間に溢れていたら目の保養にはなるが、そんなの所にほおり込まれるのは相当に緊張するだろう。でもやっぱりちょっとだけ見てみたかったと言うのは彼の偽る事の出来ない本音だった。
「人を待たせてはいけないと思ってね……」
「良いですから! 少しくらい待たせても良いですから! 何か着てきてください!」
「分かった……。キミがそこまで言うのならば」
そう言ってまだ名乗ってもいないマクレガン医師はセパレートの向こう側に戻っていく。揺るがない足取りの背中を見送りながら誠は口を開いた。
「ルカ……今のは」
「言いたい事は分かります。優秀なんです。優秀なんですよ。医者としては掛け値なしに」
それはもしかして医療以外ではからっきしと言う奴ではないのかと誠は思ったが賢明にも口には出さなかった。マクレガン医師が戻ってきたのは一分足らず過ぎた頃だ。
「待たせたね。今度こそ始めようか」
「白衣羽織っただけじゃないですか! ちゃんと服を、全身に着てきてください!」
裸ワイシャツに白衣と言うマニアックにも程がある姿を披露したマクレガン女史はルカの渾身の突っ込みを受けて再びセパレートの向こう側へと消えて行くのであった。




