22 浮遊都市の変態
「んっふふ……いいねえ、いいねえ! 最高だよまこっち!」
そう言って抱き着いてくる桃色の短い髪をした少女を誠は無理やり引きはがす。抱き着かれても誠の顎に少女の頭は届かない位の低身長だ。引きはがすのにそう力は必要ない。苦労したのは自分の腹部辺りに押し付けられた柔らかい感触が引き離されていくことを惜しんでしまう悲しい性が原因だ。
「ご満足いただけて何よりだよ」
「まさか一気に五十機以上も鹵獲してくるなんてね。整備班長も喜んでたよ。予備パーツが沢山貯蓄できるって」
「そりゃよかった」
話しながら誠の視線はがっちりと少女の額に固定されている。それ以上下に下げるわけには行かないのだ。ここがギリギリのラインだった。
優美香・バイロンという少女を語るのならば機械フェチ、機械オタクと言う言葉が相応しいだろう。「私は機械と結婚したい」という下手をしたらASIDを信仰しているのではないのかと疑われるほどに機械への愛を叫んでいる少女だ。その興味の全ては機械へと向けられており、自分に向けるのはその一割にも満たない。
ハイロベートの装甲を磨くのに一時間かけるのならば自分の身支度には十分もかけないと言う事だ。人生十九年。鏡で自分の顔を見るよりも磨き上げた装甲の表面に顔を写した回数の方が多いと言う変わり者の少女だ。自身をヴィクティムの嫁と豪語する当たり筋金入りである。
そんな彼女が持つ異名はもう一つある。即ち――残念おっぱい。
「よいっしょっと……とりあえずちょっと向こうから椅子持ってくるからちょっと待っててよ」
足元に置いていた工具箱を持ち上げるために屈んだ。その瞬間、誠は視界に入れてしまった。その低身長に不釣り合いなほど作業着を押し上げている胸の膨らみ――それも暑いのかきついのか誠には全く分からないがジッパーを上まで上げていないため下に来ているタンクトップから上部が露出している――をだ。
「あ、ああ。助かる」
そう言いながらも誠はその胸から目を離せない。吸い寄せらるように視線がそこに向かってしまい、固定したかのように動かせなくなる。そうなるのが分かっていたから視界に収めないようにしていたのだが一度入れてしまったが最後。彼女が視界から外してくれるまで自分の意志では中々外せない。
幸い優美香はすぐに振り向いて工具箱を置きに行ってくれたので誠も長時間絡め取られる事は無かった。
雫は防衛軍の方に報告に行っている。今の醜態を見た物はいないだろうと胸を撫で下ろしていると。
「随分と熱心に見ていましたね。誠君」
後ろからそんな声を掛けられて文字通り飛び上がって驚く。
「な、何の事かなリサ?」
悪あがきとばかりにすっとぼけるが、それを嘲笑うように――確実に誠の主観で実際にはそんな事は無いのだが――首を振りながらリサは近づいて肩を叩く。
「いえいえ、気付いているのはボク位ですよ。見るところが一緒でしたからね」
「お前時々おっさんくさいよな」
おっさん? と首を捻っているリサにわざわざ説明はしない。説明したところで実物を見る機会は恐らくないからだ。三人いる男性の中にそんな感じの人がいるのか分からないのだ。
「ごめんごめん。遅くなっちゃった。あれ、リサちーも一緒?」
「うん。ボクの機体の整備をお願いしようと思って」
「了解。先にこっち済ませちゃうからちょっと待ってて」
そう言いながら優美香は小さな椅子とテーブルを並べる。そこに誠と揃って着席するとやや大きめの電子端末を置いた。その様子を後ろからリサは興味深そうに眺める。
「何を始めるのですかね?」
「ん? ダーリンの整備計画かな」
端末は誠の知識に当てはめるとタブレットPCが形状として近い。浮遊都市では紙も電機製品も貴重品だが、海底から資源を採掘できる電機製品の方がまだ普及している。それ故に何か情報を閲覧する際には端末が良く使用されるのだ。紙媒体を使えるのは行政局のトップ、要するに安曇とその近辺位である。
そこに表示されているのはヴィクティムの見取り図。横にはハイロベートの見取り図が並べて表示されている。
「機体が大きく損傷した時に備えてハイロベートのパーツを流用できないか確認してるんだ」
大まかに分ければ人型、同じエーテルリアクターを搭載した機体だ。どこかパーツを共有化出来れば万が一の際にスムーズに修理が可能になるだろう。
誠の説明にリサは懐疑的な眼差しを向ける。
「……必要なんですかそれ? ボクには今のヴィクティムがそんな損傷するところが想像できないんですが」
「奇遇だな。俺もそう思う」
通常タイプならば百体の群れの中に放り込まれても恐らく無傷だろう。ジェネラルタイプとの戦闘があったとしても今の出力ならば一対一で後れを取るとは思えない。
誠もそう認識しており、この計画を進めている優美香も実際にヴィクティムにハイロベートのパーツを組み込むときが来るとは思っていない。この計画の本旨は別の所にある。
「ダーリンと部品が共通できるって事はそれ以外の部分を作れればダーリンをもう一機作れることだからね。うへへへへ」
優美香が何でもない事の様に言って不気味な笑みを浮かべているがリサとしてはそれは大ごとだ。隠しようもなく驚いた表情を浮かべて尋ねる。
「量産、出来るんですか?」
「まあ、まず無理だろうけどな」
否定したのは誠だ。まず現実的な問題として、ヴィクティムの中枢部分は完全なブラックボックスだ。そこの解析の目途が立っていない以上量産は出来ない。
更に言うのならRER、レゾナンスエーテルリアクターの問題もある。男女を乗せないと機能しない代物が大前提にあるのだ。仮に作っても三機目以上は予備機以上の意味を持たない。
「無理と思っては何も出来ない! まあせめて劣化版と言うか、簡易版でも作れないかと思って色々と聞いてるんだ。言うなれば私とダーリンの子供」
拳を握りしめて優美香が力説する。その際に大きく胸が弾んだがどうにか誠は視線を向けない事に成功した。リサは端末を見るふりをしながらそれを見ていた。二人とも今更優美香の一部ネジが吹き飛んで脳天を貫通したような発言には突っ込まない。慣れっこなのだ。
《エーテルリアクターの出力問題が解決できれば当機に搭載されている各種武装は再現可能である》
「そこなんだよね……今の出力じゃ機体の表面を軽く覆うエーテルコーティングと、駆動に回す分しか余裕が無いってのが問題」
髪に指を入れながら優美香はそうぼやく。極論を言ってしまえばそこだけが問題なのだ。他の箇所はヴィクティムの物をコピーすればいい。だがそれでは出力が圧倒的に足りない。
「ボクの素人染みた意見で申し訳ないんですが……例えばエーテルリアクターを二基積む、とかそう言うのではダメなんですか?」
「良い意見だね。リサちー」
そう言いながらどこからか持ってきたホワイトボードにサインペンを走らせる。
「エーテルリアクターの稼働原理は人の持つ生エーテルを燃料として精製エーテルを生み出すって物。その生エーテルは一人あたりの量が決まっていて、その全てはエーテルリアクター一基に使用されているんだ」
突然始まった講義に困惑しながらもリサは頷く。
「つまりこれを二基にするって言う事は二人乗る必要があるって事なんだ。ここまでは良いかな?」
「はい」
誠は既に退屈そうにあくびをしている。実の所同じ事を言って同じ講義を一度受けているのだ。
「複座型はダーリンでも採用されている。今はしずくんがサブドライバーとして乗っているけど、これはマッチング順位が現状で最上位だからこういう措置になってる。それは一人だから何とかなっているけど……仮に量産型ヴィクティム(仮)も同じ仕様にした場合、どこかからアシッドフレームの数分の人間を引っ張ってこないと行けなくなる。元々かなりタイトな人員配置をしているアークでそんな数の人間を引き抜いたら都市の運営に支障が生じちゃうからね」
水が流れるように捲し立てて分かるでしょ? と首を傾げる優美香。リサは数秒考えて漸く何を言っているのか理解したらしい。二度三度と首肯するのを見て優美香は満足げに頷く。
「じゃあフレーム部隊を半分にすればいいかって言うとそう言う訳でもない。フレーム部隊は戦闘だけが任務じゃない。索敵系の任務は眼が多ければ多いほどいいし、着陸時の警戒網を作るには数が必要でしょ? だから半分にしちゃうと困ったことになっちゃう」
「確かにそうですね」
この説明を最初に聞いた時、誠は思わず唸ってしまった物だ。機械以外には全く興味が無いのかと思っていたが、意外と色々と物事を考えていると。はっきり言って失礼極まりない評価だが、普段の印象とは全く違う。雫がこういうことを説明し始めたのならばまだ納得は行くのだが。
「だからその方式は却下したんだー」
「なるほど」
話がひと段落したところで誠は口を挟む。
「それで優美香。話を戻したいんだが」
「ああ、うん。そうだったそうだった」
端末に表示された一点を誠は指差す。
「ヴィクティムの解析結果だと、無加工で流用できる部品はやはり無いみたいだ」
「そっかー。この線でダーリンのコピー機を作る方向は考え直した方が良いかなあ」
「ヴィクティムには囚われずに多分新規設計した方が良いと思う。ハイロベートをベースにするとか」
「コスト下げるにはそれしかないか。うちに大量生産する余力は無いしね」
そんな風に会話を続ける二人をリサは珍しそうに見ていた。その視線が気になったのか、誠は頭を上げる。
「どうかした?」
「いえ、誠君が意外と優美香さんと会話成立してるんだと思って」
「私会話が成り立たない人扱いされてた!?」
ショックを受けた表情で固まる優美香を見てリサは言葉足らずだった事に気付いたのか慌てて補足した。
「ち、違いますよ? ボクが言いたかったのは誠君が優美香さんと会話を成立させられる位にその辺りの事分かってるんだなって」
「大したことは言ってないけどね。ほとんどが素人の思いつきだし」
「いやいや。まこっちの意見は役に立ってるよ。考え方が違うって言うのかな。いい感じに刺激になってる」
まさか誠も、昔見ていたロボットアニメの設定でありそうなことが優美香のインスピレーションを刺激する事になるとは思っていなかった。何が幸いするのか分からない物である。
「まあまたダーリンは借りて行くね。引き留めてごめんね。出撃後なんだからゆっくり休んでよ」
「別に気にしてないよ。リサは、機体整備だっけ?」
「はい。ちょっと足回りに違和感があったので」
「ん~この前新しい部品付けたから馴染んでないのかもね。ちょっと見てみるよ」
そう言って鼻歌交じりで優美香はスパナを器用に回しながらリサの機体に向かう。リサもその背を追って行った。それを見送って誠は辛うじて自分の耳で拾えるくらいの音量で呟く。
「帰るか」
パイロットスーツから私服に着替える。都市内では平凡なパンツとシャツ。そして深く被る帽子と首回りを隠すスカーフを巻いて外出用の装備は完了だ。
実は誠が都市内で暮らしていると言う事を知っている人間は少ない――と言うよりも誠自身が積極的な交流を避けてきたので顔を知っている人間もかなり少ない。それ故に都市内での誠の扱いは他の男性と同じ、いるのは知っているけどどんな人かは知らないという物だ。
与えられた屋敷に着き、扉を開けて中に入る。半年前と比較すると大分住む人達の色が染みついてきたように感じられた。
自室に辿り付いたら帽子を投げ捨て、スカーフを外す。深く椅子に腰かけて天井を見上げる。半年と言う時間が今更ながらに重く感じられてきた。
「未だに手掛かりゼロ、か……」
誠にとって誤算だったのは都市内の人間とのマッチング結果が芳しくなかった事だ。成人している十五歳以上を対象にマッチングテストを行い、一番成績が良かったのが雫だ。その結果、ヴィクティムの性能は向上した。だがそれだけだ。クイーンを倒すには至らないとヴィクティムの試算結果が出ている。
そしている間に一度行われた遠征。それに随伴する事は出来なかった。男性であると言う事もネックになっていたが……ヴィクティムの性能は都市を防衛すると言う観点に立てば十分すぎる物だったのだ。遠征の間下がる防御力をヴィクティムで補おうと言う考えが生じるのも無理は無い事だった。
それ故に、誠は殆ど都市に留まり元の世界に戻る手掛かり探しと言う彼の目的も、クイーンASIDを倒すと言う至上命題も何一つ進んでいないのであった。
「いや、全く無駄と言う訳じゃないか……」
そうぼやいて誠は脳裏にこの半年の事を思い浮かべる。一つ一つ。日記帳を捲るように。




