01 世界の終わり
花の香りがした。
懐かしい匂いだった。だけどその匂いをどこで嗅いだのか。まるで思い出せないと彼は思った。それが溜まらなく悲しい。
匂いをきっかけに意識が目覚めて行く。嗅覚、触覚、聴覚。味覚は飛んで視覚。彼はゆっくりと眼を開ける。
眼を開けて分かったのは今彼がいるのは一寸先も見えない程の暗闇だと言う事だ。何故こんなところにいるのかと彼は茫洋とした思考で考える。眠りから目覚めたばかりの頭は常のスペックを全く発揮できていない。
自分が寝惚けていると言う自覚の合った彼は迂遠な程一つ一つ確認していく。自分の名前、年齢、家族構成などなど。そして、眠る前の状況を思い出す。間違いなく自室の布団に潜り込んだ筈であった。だと言うのに、今彼がいるのは頼もしい張りのある背もたれ付のシートだ。
「どこだ、ここ……?」
まだ意識ははっきりしていない。それでも今が異常事態だと言うのは分かった。明かりが欲しい。何よりも日差しが人の頭を覚醒させると言うのにここには僅かな光源すらも無い。仕方なしに勢いよく頭を振って強引に思考を覚醒させる。
意識がはっきりして分かったのはここは住み慣れた自分の部屋ではないと言う事だ。彼の部屋の間取りは少し広めの十二畳。間違ってもシートに座ったまま両手を広げれば腕を伸ばしきる前に壁に触れてしまうカプセルホテルの様な空間ではない。慎重に立ち上がりつつ上に手を伸ばせば頭が着くか着かないかの高さで触れた。同様に後ろに手を伸ばしても腕が伸び切る前に手が着く。
諦めてもう一度座ると膝が当たる。前に手を伸ばしていくと、膝が当たる位置から予測した壁には触れず、未知の空間が広がっていた。手探りで足元から壁を伝っていくと、腰の辺りで無くなっていた。恐る恐る壁の裏側に手を当てると今彼が座っていたシートと同じ感触が返ってくる。映画館の座席の様に高さが違うシートが前面に有るらしい。
前の座席のシートの背もたれで身体を支えつつ更に前に手を伸ばす。前側は上左右後ろに比べると空間に余裕があるらしい。手を伸ばしても中々壁には辿りつかない。
身体の伸縮性を試すかのような姿勢の中で彼は考える。ここは一体どこなのだろうかと。間違っても自宅ではない。こんな奇妙な縦長の空間には覚えが無い。つまり未知の場所。一筋の光明さえ無いここは棺桶めいた連想をさせる。何者かに拉致をされてここに放り込まれたのではないかと言う不安が頭を過ぎった。
そんな事を考えながらだったからか。背もたれを掴んで身体を支えていた手が滑った。体勢を崩して頭から前のシートにのめり込む。想定していなかった事態に受け身も取れず、短い悲鳴を上げて彼は悶える。
一頻り痛がった後、全く何の反応も無いと気付いて彼は不審がる。仮にこれが拉致誘拐の類だとするならばこれだけ派手に騒いで何も言ってこないと言うのも妙な話である。尤も、その想定はフィクションで得た誘拐犯に対する知識なので実際は違うのかもしれないが……逃げ出そうとした結果の騒ぎかもしれないのに何も言ってこないのはどんな目的の誘拐だとしても有り得ない程の無能だろう。
目が慣れてくる気配が無い。これはやはり一切の光源が無い空間と言う事なのだろう。前方もそう遠くは無い位置で行き止まりになっているのを確認した後、暗闇の中で彼は腕を組んで考え込む。改めて昨日一日の事を思い出す。
柏木誠という少年の一日はそう特筆すべきことは無い。
朝起きて、学校に行き、放課後は友達と遊び、夜には家で適当に過ごして寝る。それだけだ。十七歳の高校生の行動パターンとしては後はここにアルバイトが加わるくらいだろうか。
記憶にある中で特筆すべき点を挙げるのならば流星群が近づいていると言う話題が出て、最接近の日に友人と見に行こうと企画をした事。
他には何か無いかと記憶を探り――
『おやすみ』
誰かにそう言われたことを思い出した。家族と暮らしていればそんな挨拶を交わすことはいくらでもある。なのに何故、それがそんなにも気になったのかそれは彼自身にも分からない。
兎も角、普通に布団に入り寝たはずである。間違ってもこんな密閉空間に入って行った記憶は無い。そもそもが自宅にこんなサイズの部屋は存在しない。
そうなると彼が寝ている間に移動させられたという事になる。そうなると心当たりが無い訳ではない。彼の実家は所謂その土地の地主という存在だ。曾祖父の代からその土地に移り住んできた家だが、その曾祖父が商才に溢れていたのだろう。瞬く間に財を作り上げ、街を囲む山の一角を所有しそれなりに大きな屋敷も構えている。
なので身代金目当てで誘拐される可能性は否定できない。とは言えそれだけ家が大きいとセキュリティもしっかりとしている。登下校中に拉致られるならまだしも侵入して彼の様な高校生の身体抱えていくと言うのは難しい。そんな事をする位ならその辺の壺を盗んだ方が遥かに楽でリスクも低い。
もう一度彼は首を捻ってどうして自分がここにいるのか。そんな若干哲学的にも思える事考えていたところで――。
《充填完了。システム再起動》
彼が立てる音以外に存在しない空間に機械的な男性の音声が響いた。その声に誠は飛び上がるほどに驚いた。何も見えないのに周囲を見渡して恐怖心を誤魔化しながら誰何の声をあげる。
「誰、だ? 俺をここに連れてきた奴か……?」
それに対する返答は無い。代わりに返ってきたのは誠には理解不能な言葉の羅列。
《サブドライバーの覚醒を確認。メインドライバーの不在を確認。メインコントロールをサブドライバーに移行。承認を》
矢継ぎ早に告げられた内容は誠の頭には染み込んでいかない。耳慣れぬ言葉を並び立てられてもそれは最早外国語か呪文にしか思えない。ただ最後に承認を求めらていたことだけは辛うじてわかったが、何も分からない状態で頷くわけには行かない。兎も角、こちらが怯えていることを悟られないように努めて高圧的な言葉遣いを行う。散々両親から叩き込まれている事だ。交渉事で弱気になったら負け。常に強気で居るべしと。果たしてそれが誘拐にも適用されるのかどうか誠も疑問を抱いたが、今はそれしか縋る物が無い。
「お前は誰なんだ?」
《承認を》
「目的は何だ? 身代金か?」
《承認を》
「どうやって連れてきたんだ」
《承認を》
「………………」
《承認を》
全く会話にならなかった。というかそもそもこの声の主とは対話が可能なのだろうかという一抹の不安が彼の頭をよぎる。とは言え、黙っていても一定間隔で承認を促される。どうやらそうしない事には話が先に進まないらしい。一体どうするべきかと少しだけ考え込む。
ここで承認しないメリットは現状を維持できることだ。それがメリットと言えるのかどうかは拉致監禁状態であるので微妙だが、少なくとも悪化はしない。
承認した際のメリットは全くの逆。少なくとも現状は変えられる。その結果悪化する可能性も十二分に考えられるのだが。
黙考の末、誠は承認する方向で考えを固めた。現状を維持しても打開策が見つかりそうにないと言う非常にシンプルな理由からだ。白紙の契約書にサインをするような恐怖があるが、それを堪えてはっきりと声に出す。
「分かった、承認する」
《登録情報の変更を承認。メインドライバーの搭乗を確認。サブドライバーの不在を確認。メインシステム起動》
その言葉と同時に光源の一つも無かった空間が光に包まれる。暗闇に慣れ切っていた誠の眼はその眩しさに耐えきれず目を硬く閉じる。何か変化が起きるとは身構えていたがつい咄嗟に文句を言ってしまった。
「眩しっ……何かするなら言ってくれよ!」
《了解。事前通知を行います》
思わず出た文句だったが声の主は思いのほか素直に従った。その事に意外さを感じながら明かりに順応してきた目を開く。視界に飛び込んできたのは俄かには信じがたい光景だった。
正面はディスプレイなのだろうか。今は何も映っていないが歪曲したパネルが広がっている。それよりも自分に近い位置にはいくつもの数字が動いている計器や小さなディスプレイ。そして極めつけは足元と、手元に出現したペダルと操縦桿だ。一番近いのは昔写真で見た事のある戦闘機のコクピットだ。しかし配置的に航空機の物ではない。まるでアニメーションの世界のロボットのコクピットである。
首を曲げて後ろの席も見ると同じような光景が広がっていた。複座型のコクピットの様だった。
ますます訳が分からない。そんなコクピットに監禁されている理由が全く分からない。
更に誠は自分の服装を見る。これまたアニメーションで来ているようなぴっちりとしたスーツだ。触ってみるとゴムの様な感触が返ってくる。
「ここどこだよ」
まさか情報が増えて余計に分からなくなるというのは予想していなかった。何かしらの手掛かりが得られればと思っていたが、手掛かりがあってもそれらを結びつけることが出来ない。
《現在位置の検索を開始します》
そう言う意味で行ったのではないのだが確かに気にはなる。この声が正しい事を言っている確証はないが、少なくとも何も知らないよりはマシな結果が出るだろう。どの様な形式であれ現在位置が分かればまだ推測が出来ると言う物だ。
《検索中……GPS情報の所得に失敗。光学観測による位置推定……失敗。現在位置情報は消失しています》
「役に立たねえ……」
大仰な言い方をしているが結論はどこにいるのか分からないと言う物だ。状況の打開を求めていた誠からすれば役立たずと言わざるを得ないだろう。そもそもそれ以前に。
「お前は一体なんなんだ?」
《当機はヴィクティム。対クイーンASID戦の為に建造された特殊型EAOFです》
困った、またよく分からない単語が並べられた。全く持ってこの声の主は不親切であると言わざるを得ないだろう。話す側が知っていることを聞く側も当然の様に知っていると思い込んでいる。誠は悪態を吐きながらも考えを巡らせる。兎も角良く分からない目的は置いておいて、着目すべきはここだろう。
「当機、ってことはお前はこのコクピット……? で動かせる機体そのものって事か?」
《肯定》
「つまり、機械? 人工知能?」
《広義ではそれに該当します》
「マジっすか」
誠としてはてっきりどこかで誰かがこちらをみて通話なりをしていると思っていたのでこの返答は予想外だった。なるほど確かに。機械ならばこの融通の利かなさも納得できる。だがそれ以上に人間と対話が成立するような人工知能が完成しているなんて話を誠は一度たりとも聞いたことが無かった。
そして人工物である以上それを作った人間がいる。そう、彼はもっと早くにこの質問をするべきだった。
「誰か他に人はいないのか?」
《周辺スキャンを開始します》
違う、そう言う意味じゃない、やっぱり融通が利かない、と誠は心の中で一通り悪態を吐く。とは言え、誠にとっても有用な調査である。誠自身以外にどれだけこの良く分からない場所にいるのか。同じ境遇なら多少の安心感を、この状態に突き落とした相手ならばそこからの打開の可能性が得られる。尤もこの機体もそちら側と考えるとそう上手く事が運ぶと楽観は出来ない。
《測定完了。生体反応2。距離6000。方位三時方向。仰角八度》
人が見つかったのかと誠が意外に思うよりも早く、ヴィクティムを名乗る機体は報告を続けた。
《敵性反応4。距離6100。方位三時方向。仰角八度。生体反応を追跡中。敵性集団Aと呼称》
「敵性反応?」
不穏な単語だ。そして日常では耳にすることのない単語だ。社会の中で生活していれば不仲な相手の一人や二人はいるだろうが、敵と断ぜられる程の相手はそうはいない。この異質な状況と相まってその単語は思った以上に誠の身体を冷えさせる。
オウム返しに尋ねた誠の言葉に律儀に対応してヴィクティムは言葉を続けた。
《ASIDです。更に敵性反応9追加。敵性集団Aの後方距離500を追尾中。敵性集団Bと呼称》
ASID。その単語を聞いた時に自分の内に生じた感覚を誠はどう形容していいのか分からなかった。自分にとってもあまりに突然。腹の底から湧き上がってくるようなその感覚は怒り、と呼ぶに相応しい物だった。
自分の突然の感情変化に彼は怒りながらも困惑する。何故自分はこんなにも怒っているのだろうかと。困惑している間にもヴィクティムの報告は淡々と続いて行く。
《外部カメラ検索……完了。メインスクリーンに外部映像を投影します》
告げると同時、コクピットの真正面に何かの映像が映し出される。そこに映っていたのは砂漠の様な光景だ。細かい粉じんに塗れた土。風が吹く度に舞い上がる細かい粒子。そして空は真っ赤に見える細かい粒子で覆い尽くされている。その現実離れした光景を見せつけられて誠は首を捻った。
「何だ、これ?」
《外の映像です》
「これが?」
こんな場所日本に会っただろうかと彼は頭を悩ませる。生憎と地理の成績はあまりよくは無い。砂漠っぽいと言うのならば鳥取砂丘が思いつくが、こんな排気ガスで覆われたみたいな空では無かった筈だ。そうなると外国と言う事になるがそれも現実感が無い。そもそもが海外だとしても灰色の砂漠などと言う物があるのだろうか。少なくともエジプトでもない事は確かだった。
《間もなくカメラの前を通過します》
何が? と聞く間は無い。声の直後に画面を過ぎ去っていく姿を見て誠は絶句させられる。
灰色の大地を疾走する人型。だがそれは間違っても人ではない。サルなどの類人猿でもない。直立二足歩行をする金属質の体表を鈍く輝かせる物。手長猿の様に全体のバランスからすると不釣り合いな程に長い両腕を持つロボット、だった。
「何だ今の」
《先ほど映ったのがASIDです》
頭が混乱する。今のが現実だと言うよりも、映画か何かのワンシーンだと言う方が信じられる。公開日は是非とも教えて欲しい。本物にしか見えない迫力があった。だと言うのに、誠の頭は認めていた。今のがASIDだと。滅ぼすべき敵だと。
《生体反応1消失。残り1は継続して逃走中。残り七分で上部を通過します》
端的な解答と、その報告に背筋に氷を突っ込まれたかのような悪寒を感じた。消失という単語から良い結果を連想するのは誰であっても難しい。怒りと等量の不安を感じながら誠は問いかけた。
「消失って……」
《状況から死亡したと推測されます》
死亡。これは良く聞く言葉だ。だがそれが現実の物として身近に感じられる人は少ないだろう。彼自身だってそうだ。フィクションで良く聞いて、ニュースでも良く聞いて。だが実際に目の当たりにすることは殆どない。
無論、今の言葉がそれほど身近かというとそうでもない。近所で起こった事故のニュースを聞いた。その程度の物だ。だがその事故が現在進行形で続いて近づいてきているとなると話は別だ。
「も、もう一人は大丈夫なのか!?」
《否定。現状を維持した場合、最長で十七分後に後方集団に追いつかれると予想。その場合の結果は同じく死亡と推測》
「ここにいれば俺は大丈夫なのか……?」
《肯定。当施設の隠蔽度は万全。現在接近中の敵性集団に探知される可能性は皆無です》
それを聞いて誠は少しだけ落ち着きを取り戻す。現金な物で自分が安全だと分かるとどんな危険も対岸の火事だ。大変そうだな、何か出来る事は無いかなと無責任なやじ馬でいられる。そして落ち着いた事で先ほどまでに聞いた言葉の一つを思い出す。それが誠にとって重要な事であるかのように。
「なあ……ヴィクティム、でいいのか?」
《肯定》
「さっき何のために建造されたって言ってたっけ」
《当機は対クイーンASID戦の為に建造されました》
「そのくいーんあしっどって言うのは今上にいるあしっど、って奴よりも強いのか?」
何を質問しているのだろうと言う気持ちが彼自身の中にもある。まだ実感はわかないが、上には危険が迫っていてここは安全。ならば上で逃げている人には悪いが引きこもるのが上策だ。知り合いならば何とかしたいとは思うだろう。友人ならば多少の危険も顧みない。家族ならば身を挺してでも助けるつもりだ。だが顔も名前も知らない縁もゆかりもない赤の他人の運命など誠は知った事ではない。
《肯定。クイーンASIDは全てのASIDの頂点に立つ存在。通常のASIDと比較した場合戦力比は一対千にも及びます》
「お前はその凄く強いクイーンあしっどって言うのと戦うために作られたんだ。だったらそいつとは互角に戦えるんだよな?」
《否定。互角ではありません。当機が十全に性能を発揮すれば圧倒できるとの計算が出ています》
「だったら、その通常のあしっどって奴なら千体居たって大丈夫だよな?」
《肯定。ドライバーが望むのでしたらその倍でも殲滅して見せましょう》
引きこもるのが上策。だと言うのに何故こんなにもやる気に満ちているのだろうと彼は自分の心理に疑問を覚える。決してこの様に赤の他人を助けるために奮起するような性格ではなかったはずだ。人助けを趣味にするようなマゾヒストでは無かったはずなのだ。だと言うのに彼の口は最初からそう決まっていたかのように滑らかに言葉を発する。
「ヴィクティム。俺は今逃げている奴を助けたい。力を貸してくれるか?」
《イエス、マイドライバー。貴方の命があるのなら当機ヴィクティムは貴方の剣です。貴方を守る盾です。貴方の可能性を運ぶ翼です。如何なる命令にも答えて見せましょう》
操縦桿を握りしめる。それに呼応するように正面のディスプレイに明かりが灯る。首筋辺りに小さな電気が弾ける様な感覚があった。それが誠の脊椎、その中を通っている神経を走る電気信号を読み取る状態になった事を示す物。
《起動シークエンス実行中。機体コンディショングリーン。サブドライバー不在。RERは最低出力で駆動中。使用可能兵装に制限がかかります。セーフティ解除。ヴィクティム戦闘モードで起動》
その言葉の合間合間でディスプレイの表示はめまぐるしく変わっていく。そのほとんどは始めてみる物だが――不思議と内容が理解できた。ヴィクティムと言う機体の事を既知の情報としてとらえている。その事がふと気になって尋ねてみる。
「なあ、もしかしてお前って搭乗者に使い方を教え込ませるような機能付いてる?」
《肯定。操縦に必要な知識をドライバーの脳に転写するインストーラーが搭載されています》
「納得」
誠はヴィクティムの解答で今自分がヴィクティムと言う機体についての知識を持っている事を納得した。意識すれば動かし方も分かる。何よりこの機体がどんな形をしているのかも。
「巨大人型ロボット……冗談だろ」
カメラ越しに見える白い装甲はヒロイックさを感じ、僅かに気分が高揚するがそれ以上に困惑が強い。全長二十メートル近い有人人型ロボットの存在など聞いた事も無い。最新の軍事兵器が秘匿されることくらいは誠も知っているが、これはそう言うレベルではない。人間サイズの人型を走らせるのにだって苦労しているのだ。その十倍のサイズをどうやって可能にしているのか見当もつかない。これが対ASID兵器だと言うのならASIDも同じ程度のサイズなのだろう。そんな物がいると言うのは寡聞にして知らない。
一番可能性として高いのは夢なのだが、既にその可能性は除外している。つい先ほど口の中を噛みしめた。現実感が無い時、ひやりとする様な目にあった時にする誠の癖だ。痛みを感じる事で自分がそこにいる、生きているのを確かめるために。そして変わらずに痛かった。
ならばここはどこなのだろうか。平和な世界の裏側で起こっていた戦いに巻き込まれたのか。異世界に飛ばされたのか。未来にタイムスリップでもしたのか。宇宙人に誘拐されて謎のゲームに巻き込まれたのか。候補は幾らでも浮かんでくるがそのどれもが妄想に近い物だ。情報が少なすぎる。
いずれにせよ、動かないと何も始まらない。その動くと言うのがいきなり己の命を担保にした戦場と言うのは馬鹿げた話だと誠は思わず口元を歪める。
《エレベーター起動。上昇開始。偽装ハッチ解放――エラー。ハッチ外縁部に堆積物を確認。物理的に排除するのが妥当と判断》
上部のハッチは既に解放されている。だがその上に積もった土が道を塞いでいる。どうすればいいのかと誠は一瞬考え込むがすぐに結論は出た。というよりもヴィクティムが既に示していた。
「打ち抜け!」
小さく口元を吊り上げて、操縦桿を通じてヴィクティムを操る。狙うは頭上。そこに飛び上がりながらヴィクティムは拳を叩きつけた。
まるで薄紙を貫くが如き容易さで積もった土を貫通し、一気に地上に飛び出る。目の前には二十メートル近い人型をした何かと、一面に広がる灰色の大地。そして霧の様な物で覆われた赤い空。
茶色い土など一つまみも存在しない。
青い空何てどこにもない。
「何なんだ」
己の中の常識を打ち壊す光景を見せつけられて彼は大きく動揺する。地球のどこか? タイムスリップした未来? 頼むからその二つだけはあって欲しくないと思った。こんな見渡す限りの何も無い光景。遠い遠い空まで真っ赤に染め上げられた世界。そんな物が自分の日常の延長線上にあって欲しくない。
「どこなんだよ、ここは!」
己が知る世界とは全く別の光景を見せつけられて、彼は叫んだ。