プレリュードは魔界より
事の発端は、パーン族の族長バパムメレの一言にあった。
およそ三年前の出来事である。
「魔王さまって、力の成長なかなか終わんないね~。そのうち体の方が破裂しちゃったりして~」
ふふっと無邪気に笑うバパムメレ。
一年ごとに、魔区に住まう各部族の族長が、それぞれに行う部族報告。
その報告後、帰り際にふと思い出したように振り返った彼女は、そんな言葉を口にした。
羊らしくクルンとカールした自らの髪を指先で弄ぶと、じゃあね~といって扉に向かう。
衝撃に固まる魔王をそのままに謁見の間を出て行った。
静まり返る謁見の間。
「そ、そんな……こと、ある訳な……よ、な?」
しばらくの後、上ずった声で訊ねてきた魔王に目を向けると、玉座に居るにも拘らずに顔を青褪めさせて不安そうに見上げてきた。
魔王の威厳は何処へやら。
魔区の民は、普通の人間とは一風変わった異形異能の者たちである。
ただ単に、獣の姿が混じっただけの者もいれば、人には過ぎる怪力や摩訶不思議な魔法を操る能力をその身に宿した者もいる。
多種多様な姿と力を持つ魔区の民はその習慣も様々で、似たような者たちで集まって形成した部族を基本にして生活をしていた。
魔王をはじめとする魔城の者たちは、魔区の民のまとめ役であり、魔区内の治安維持や部族間のいざこざの仲裁等を仕事にしているのである。
何はともあれ、先にバパムメレが言った力の成長。
それは、魔力の器の成長を指している。
魔区の民の中でも魔法を操る者たちは、その身に魔力を宿し、身体の成長――人間で言う所の第一次成長と第二次成長が終わると、第三次成長としてその身に宿す魔力量の成長が見られる。
俗に「力の成長」と言われるそれは、種族によってその期間は異なるが、概ねゆったりと200~300年ほどで終了し、その身に宿す事の出来る魔力の絶対値が決まる。
体力と同じように、魔力は魔法を使えば消耗し、酷使すれば死ぬこともある。
己の魔力量の絶対値を超える魔法は、何らかの補助なしには使う事ができない。
魔力量の絶対値が高ければ高い程、容易に魔法が扱えるというわけではないが、一度扱いを覚えればその力は計り知れないのである。
歴代魔王の中でも随一の魔力を誇る現魔王は、525年前から魔力の成長が見られ、その成長スピードは未だ衰える事を知らない。
魔力量の成長は、魔法を扱う者にとって喜ばしいものではあるが、現魔王のそれは確かに異常と言えた。
「そうですね。確かに貴方のそれは異常と言えるでしょう。魔力量の成長過多による身体破裂などという事象は、今まで報告された例はありませんが、通常200~300年ほどで終了するはずのものが、525年、となると有り得ないとは言えません」
誰よりも抜きん出た魔力量を保持する魔王には、その側近を務める私ですら足元にも及ばない。
それ故、政務から逃げた魔王を追跡・捕獲・強制連行し、執務机に固定しておくにも、魔力量に物を言わせて抗われたならば敵うはずも無く、私が魔王の分まで仕事をこなす事になるのだ。
現魔王の魔力成長が異常なことも、魔力量の成長過多による身体破裂が、今まで例に無くとも有り得ない事ではない、ということも嘘ではないが、日ごろの鬱憤を晴らし、ささやかな灸をすえる為に主君を少々威す事くらいしてもいいだろう。
一層顔色を無くした己の上司に満足しつつ、茫然自失となった魔王を執務室へと追い立てた。
己の仕える王がこれまでになく強いというのは誇らしいが、太刀打ち出来ないのは厄介だ。
成長などというものは、己の意思でどうこうなるものではないが、精神的圧迫で少しは抑圧されるかもしれない。
魔界の宰相セズシルバスは、この時の発言と安易な考えを、此ののち幾度も後悔した……。