苛む現実の中の疼痛 第一段階
西に聳えるゲセドゥル山脈が日を吞み込むと、魔区はすっかり闇に覆われる。
その寸前の薄暗い夕闇時は、複数の種族で構成される魔王城内において、昼行性魔族と入れ替わるように夜行性魔族が活動を始める時刻である。
度々脳裏に蘇る懐かしい呼び声を振り切るように、魔界の宰相ウィーズ・セズシルバスは前を見据えた。
其処には千年もの月日に磨き抜かれたビネイ樹の両扉が変わらずに存在する。
薄闇に浮かび上がるその扉の向こうでは、魔王ヴェルディルガが今日の執務を終わらせていることだろう。
魔王陛下に終日の挨拶を述べて私室に戻られるのを見送り、仕上がった書類を回収・確認して各部に振り分けるまでが私の仕事である。
扉をノックして名乗ると直ぐに入室の許可が出た。
入室の際の常として臣下の礼を取り顔を上げると、魔王陛下は嬉々として口早に尋ねる。
「ねえ!最近話題の似顔絵師、知ってる?今城内に来てるみたいなの!魔王城一階の中央通路から東二番廊に入って五番目の宿『綺羅の星夜亭』!あそこ、ダビール肉の香草焼きが結構美味しいのよね!ウィーズ宰相、食べたことある?」
明るい茶色の瞳を輝かせて此方に問いかけるのは、魔王ヴェルディルガ・コレット。
父に次ぐ魔力量の豊かさに因って、200年前に当代魔王に就任したヴェルディルガ・ジョセフの娘である。
三つ編みに結った赤茶の髪に隠れるように、お付きの赤リス、ジェデクが此方を伺っている。
「いえ。ありませんが……」
興味もありません、と答えようとしたものを最後まで聞かずにコレットは続ける。
「だと思った!あれは一度は食べないと絶対、人生損してると思うの!ウィーズ宰相がいつも疲れたような顔ばっかりしてるのも、きっと『本当に美味しいもの』っていうのを食べていないからよ!今日、私が連れて行ってあげるわ!いつもお世話になってるし。それで運良くシーアスさんが営業してたら、似顔絵、描いて貰いましょ。もちろん、私のおごりよ。その代わりといっては何だけど、ウィーズ宰相の似顔絵、何枚か友人にあげてもいいかしら?この前お茶会した時に何人かに頼まれて断り切れなかったのよ。ね、お願い!このとおり!」
そう言って拝むように手を合わせる魔王ヴェルディルガ・コレットに、どっと疲れが増した様に感じたセズシルバスは微かに眉間に皺を寄せる。
「以前も同じような頼みごとを聞いた際に、もう此れっきりにするからと仰っていた筈ですが」
「ほんと、ごめん。私も最初は断ったんだけど、なかなか諦めてくれなくて。」
全く悪びれた様子を見せず言い募る彼女の要求は、これで幾度目となるだろう。
断ろうとすれば相応の時間と労力が必要となり、受ける方が容易いことはこれまでの経験から身にしみている。
宰相ウイーズ・セズシルバスはこの後、魔王コレットの友人に囲まれ数時間、おしゃべりにつき合わされながら夕食を取るという苦行を強いられるのであった。
待っててくれた方、いらっしゃるか分かりませんが、6年ぶりに投稿!
果たしてこんな結末でいいのか悩みつつ、ちまちま書いておりました。
『2代目の勇者の災難』はまだ続きますよ~