絵本に映る白光と黒闇 閃の一色
お久しぶりです。
ギリッギリになりましたが、なんとか2ヶ月未満で更新。
( ̄▽ ̄*)
注・この世界観での「魔物」とは、「異形や異能を持つもの」の事です。
魔区と魔区外とを隔て、全てを見降ろすかのように佇むゲセドゥル山脈。
空には鈍色の雲が立ち込め、世界に重たい影を落としている。
魔区に存する己が我城から鋭い眼差しでその麓を見下ろし、魔王べルディルガ・ジョセフは呟く。
「いよいよか……」
暗い室内で窓辺に凭れ掛け、外を眺める魔王ヴェルディルガ・ジョセフ。
不吉な予感を呼び起す景色に、彼が口元を引き上げて不敵に笑った……その直後。
「ねぇ~、魔王さま~」
場違いに響いたのは間延びした明るい女の子の声。
暫しの沈黙の後……、振り返った魔王ジョセフのその顔は、折角のシリアスな雰囲気をぶち壊しにされたが故の仏頂面だった。
「なんだ?」
不機嫌も露わに返事をした魔王は、部屋の入り口からこちらを覗くバパムメレを睨む。
どうやら通り掛かりに声を掛けてきたらしいバパムメレは、特に気にした風もなく続けた。
「さっき、魔空樹海を歩いてたんだけど~。偶々、カニ足男を見掛けてねぇ~」
出てきた単語にギョッとしながら、魔王が叫ぶ。
「カっ、カニ足男って言うなぁッ!!」
もはや、シリアスな雰囲気などは微塵もないが、その事に魔王が気付く事はない。
「はいはい、ガニ股男ね、がに股男」
「ちっがぁ~う!!!」
拉致の明かないやり取りに、頭を抑えて魔王は叫んだ。
五月蠅い魔王に、眉を顰めるバパムメレ。
「も~、めんどくさいなぁ~。どっちだっていいじゃん」
「どっちも良い訳あるかあああぁッ!!」
面倒くさい魔王の主張を無視し、バパムメレは当初言い掛けていた事を口にした。
「そんで、そのがに股男なんだけど~、なんか死にかけてたよ?」
「――――っっ!!?」
声にならない三度目の叫びを上げた魔王ジョセフは、抱えていた絵本も投げ出して一目散に部屋を飛び出していく。
不吉の象徴バパムメレが去った後。
空に垂れこめていた暗雲は崩れ去り、穏やかに広がる青空から暖かな日差しが魔界全土に降り注ぐのであった。
ページが開かれた状態で、床に投げ出された一冊の絵本。
窓からの陽光に照らされたそれには、優しげな女神と真摯な眼差しの青年が描かれていた――――
* * *
昔々、女神ユセルアーナスによって創られたこの世界は、女神様の恩恵でとても豊かで美しいものでした。
大地は肥えて、水は清らか。風はとても優しく吹いて、緑は美しく芽吹きます。
人々は女神様に知恵を賜り、感謝を捧げながら穏やかに慎ましく暮らしていました。
しかし永い時が経つ内に、何時の頃からか人々は女神様の事を忘れていってしまいました。
豊かな暮らしを当たり前のものと考え、ただ日々を楽しく過ごす事ばかりに夢中になったのです。
人々は勉強も仕事もろくにしなくなってしまいました。
いくら女神様の恩恵で、豊かな大地と水が与えられようと、人が種をまき、水をやり、芽を育てなければ、作物は収穫できません。
女神様は何度も忠告しましたが、楽しみに耽る人々は、いつしか女神様のお言葉を聞く事が出来なくなっていたのです。
「やがて人々の怠惰な心や慢心は、良くないものを生み出し引き寄せる事でしょう。」
女神様は悲しみの涙を落とし、憂いの吐息を洩らしました。
少なくなった食料を廻って人々は争い、人の心は荒んでいきます。
そして、女神様の懸念の通り、世界に良くないもの――魔物がそこらに蔓延るようになってしまったのです。
人々を哀れに思った女神ユセルアーナス様は、ある村のひとりの若者の夢に出てこう言いました。
「このままでは悪しき魔物の手によって、世界は滅んでしまいます。貴方に私の加護を授けましょう。貴方は勇者となり、魔界に行って魔王を封じるのです」
こうして勇者となった若者は、世界を救う旅に出たのでした。
* * *
開かれたまま放置された絵本には、やがて二つの影が差す。
「ねえ、これ。魔王さまの絵本だよね?」
「ああ、この頃いつも持ってたよね」
静かな室内に響いたのは、まだ幼い少女と少年の声。
床に落ちていた絵本を拾い上げたのは、少年だった。
少年は絵本をパラパラ捲り、その赤い瞳の色とは裏腹に、子どもとは思えぬ程冷めた視線でそれを眺めながら隣の少女に問いかけた。
「ねえ、知ってる?」
少女はくるっとした大きな目を瞬かせて首をかしげる。
「何のこと?」
「あの噂」
「あの噂ってなあに?」
「ふーん。知らないんだ?」
「うん。教えて」
訳知り顔で意地悪く笑った少年に、少女は素直に教えを請う。
若干つまらなそうに鼻で息を吐いた少年は、白けた顔で少女に教えた。
「魔王さまがお芝居をするんだって。この絵本を台本に」
そう言って示された絵本を、少女は藍の瞳を輝かせて覗き込んだ。
「ほんと?わぁ~、楽しみ!どんな絵本なの、これ?」
「魔区外の人間が、勇者として魔王さまを倒しちゃうんだ」
「え~!?魔王さまを倒しちゃうの!?魔区外の人間が?うっそだぁ~」
「お芝居だから、フリをするんだよ。魔王さまが只の人間にやられる訳がないからね」
淡泊な少年の白いズボンからは、艶やかな毛並みの狐の尻尾が生えている。
そして、くるくると表情を変える少女のキルトで出来た黒いスカートからは、ふさふさとした狸の尻尾が揺れていた。
「そっか!そうだよね!魔王さま、強いもん」
「……魔王さまは、特別だからね。あの方には誰も敵わないよ」
一気に表情を明るくした少女に、少年は不満げながらも相槌を打つ。
「ねえ、クルス。クルスは物知りだね」
「レディアスが知らなさ過ぎるだけだよ」
突き放すように言い放った少年――クルスに、少女――レディアスはムッと頬を膨らませたが、絵本の一部に気を取られると、ころっと忘れたようにまた問いかける。
「ねえ、クルス。どうしよう?魔物のせいで世界が滅んじゃうって。私達も魔物なんだよね?」
疑う事を知らないレディアスに、クルスは溜め息を吐いた。
「そうだけど、魔力を持ってる者が居たって世界は滅びたりなんかしないよ」
「じゃあ、なんで魔物は悪者なの?」
「さあね。只の人間にしたら脅威に見えるからなんじゃない?」
「それって、強いから悪者ってこと?」
「簡単に言えばそういう事」
レディアスは少し考える様にして、また、問いを重ねた。
「じゃあ、魔王さま、お仕事サボったりとか悪い事しなかったとしても、すごく強いから悪者ってこと?」
「うん、まあ、そういうこと。……普通は、仕事サボったくらいでも、悪者呼ばわりなんかされないけどね」
「そっかぁ」
頷いて、暫く何かを考えていたレディアスは、ふと表情を曇らせた。
「……ねえ、クルス。魔王さまみたいに強くなったりなんかしないでね!」
いきなりの言葉に、クルスは訝しげな顔をする。
「なんで?」
「だって、勇者が倒しに来ちゃうかもしれないじゃない!」
「魔王さまみたいに強かったら、只の人間なんかに倒されたりなんてしないよ」
「あぁ、そっかぁ」
呆れた様な、それでいて柔らかな声音でそういうクルスに、レディアスはパッと顔を輝かせ、満面の笑みで納得した。
「そっか、そうだよね!」
うんうんと頷くレディアスは、またしても直ぐに表情を変えて不思議そうに呟く。
「それにしても、なんで急にお芝居なんてしようと思ったんだろう?」
「さあ?何でだろうね」
白髪を後ろで一つに括った少年と、黒髪を高く二つに結わえた少女。
閉ざされたその一室に、対象的なふたりの姿を見る者は無く、疑問に答える者も無い。
問いを含んだ二つの声は、只、部屋に響いて消えてった。
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読むのに100分掛かっちゃいますよ!!