【短編】底辺配信者の私が喚んだのは、放送事故級の『邪神ちゃん』でした ~百合で娘でママってなぁに?~
第1章 『私に”色”をくれる場所』
「えへへ。これで、契約成立だね♡」
ちっちゃ可愛いクロが、とろんとした瞳で私を見つめ。妖艶に、けれど無邪気に微笑んだ。
「ママは、ずーっと私のモノ。私はずーっと貴女のママ。だから、ね?」
――それはほんの数時間前の事。
世界はいつも灰色。
大学も、電車の中も、美術館も、コンサート会場も、全部灰色。
彩度を失ったモノクロ映画の世界が私の世界。ただ淡々と、無機質に過ぎ去っていく。
この、『穴』の中と、皆との『繋がり』を除いては。
「……こんしろぉ。底辺探索者の、『ましろ』……だよぉ。きょ、今日も渋谷初心者ダンジョンで。ゆるっと配信、します」
ドローンカメラに向かって、にへらっと、愛想笑い。口角を僅かに上げた……つもり。
端に浮かぶ同接数は『12』。
ドローンのモニターから、色があふれ出す。虹色の輝きが、私の視界を鮮やかに染め上げる。
『主、顔はいいんだよなぁ。もうちょいこう、大学生ならお化粧とかさぁ』
『ばっかおま、ダウナー合法ロリからしか摂取できない栄養があるんだぞ』
『テンション低めのゆるゆるボイス、はかどる』
『今日も不思議ちゃん呟き、待ってます』
『いつもの初心者ダンジョン巡り、和む』
コアなファンっていうのかな? 同時接続数はいつも何故か12人だけ。入れ代わり立ち代わり、12人。
でも、たくさんコメントをくれる人達。
「え、えへへ」
あふれ出た色彩、脳髄に直接糖分をぶち込まれたみたいに、頬の筋肉が勝手に緩む。
キモい笑顔になってないか不安で、慌てて口元を手で隠した。
『やっば、中毒になる笑顔』
『ダウナー不器用っ子なのに、コメに反応して、ほんにゃり笑顔。ガチ天使』
『絶やすなよ、コメントをよぉ。ましろちゃんの笑顔を消す奴は処刑』
13歳の頃から、私は色が見えなくなった。それで、イラストの専門学校への進学も諦めて、普通の大学に進んだ。
既存のどんな病気にも合致しなくて原因不明。
それから、お洋服はゴシック系のドレスをいつも着る事にしたの。浮いた痛い子って、冷ややかに見られることもあるけれど。
綺麗なコントラストカラーは私には見えなくても……せめて灰色の世界の中でも、モノトナスなだけなのよって、強がりたくて。
そんな私に、鮮やかな色を伝えてくれるモノがある。
一つが、配信のコメント欄。
直接人と会ってもダメ。オンラインゲームのチャットは……ちょっと色をくれる。
でも、このリアルタイムに私だけに向けられる配信コメントの色は別格。
そしてもう一つ。
「じゃぁ……進む、ね。行くよ、ポチ」
薄水色から、紺色へのグラデーションが満ちる洞窟。世界中にあふれるダンジョン。
世界にあふれる悪いマナの浄化装置。
でもそんなの関係ない。
私にとっては、世界で数少ない、『色』を魅せてくれる場所。
「てけり・り、てけり・り~」
皆には笛の音みたいな鳴き声にしか聞こえないらしい。私にだけ聞こえる、この子の変わった泣き声。
ぽよん、ぽよん、ずるずる、ぽよん。楽しそうに後をついてくる、スライムちゃん。
現代人は、誰でも一つは持ってるスキル。
私のは、召喚スキル。
それで呼び出した、真っ黒なスライムちゃんが、ポチ。
黒蝶真珠みたいなまぁるい硬いのが、出たり入ったり。目玉の代わりかな? って思ってる。意外と可愛い。それに、抱っこすると、ひんやりして気持ちいいし。
それになにより、この子はいつでも『漆黒』の色を私にくれる。灰色一色の世界にいつも変化をくれる子。
スキルがダンジョンと繋がってるから、かな? なぜかこの子の色はいつでも、見える。
いろんな『青』を見せてくれるダンジョンを進む私。ダンジョンによって色はみんな違うけれど、渋谷の初心者ダンジョンは綺麗な青のグラデーション。
昔、ママに連れて行ってもらった水族館みたいな色が私だけをお迎えしてくれる、大好きなダンジョンの一つ。
皆には見えない、私だけの『青』色。
たま~に出てくる、道中の歩くキノコさん達は、ポチがもぐもぐ食べてくれるから安心快適。
青色探索。
浅黄色、金青色、薄花色、深藍色、いろ~んな青が満ちている。
「あれ?」
夢中で青色を楽しんでいたら、違う色が混ざり始めてる?
ちょっと湿り気を帯びた洞窟ダンジョンの岩肌――よく見たら、私が通れちゃいそうな裂け目がある。
ぱくりと開いた大きな割れ目。その奥から極彩色の、とろりとした油絵具みたいな不思議な質感の光が漏れ出している。
こんなの初めて!
『あれ? ましろちゃん、そっちに道無いよ?』
『壁にぶつかっちゃう、危ないよ』
『ポチちゃん、ついて行こうとしてる。何か見えてる?』
『ポチ、いつにもまして黒真珠? が表面にいっぱい。ここまでくるとちょっと気色悪い』
「わぁ……わぁ」
こんな色とりどりなの、まだ色が見えていた頃だって、こんなの見た事ない。
「すごい。すごいすごい。すごい!!」
目から入った色彩の洪水が、私の頭の中を満たしていく。
異常な興奮に襲われているって、分かっている。
でも、やめられない、止まれない。
だって、だって、こんなに綺麗な色に満ちているんだよ!?
もっと、もっともっともっと……。
縦にぱっくりと開いた亀裂に足をそっと差し入れる。
真っ黒だった亀裂が、脚と触れたところから薄黄色の光を零す。
右手を差し入れる。
指が通ると、滅紫色、薄桃色、紅色、照柿色、裏葉色、色がどんどんあふれ出してくる。
「たのしい!!」
『え、え? ましろちゃんなにが?』
『ましろちゃんがダンジョンの壁に入っていく』
『どうなってるのこれ、レスキュー? 皆で探索者センターに緊急コールした方が良い?』
『ましろちゃん、お目目がグルグルしてない?』
◇ ◇ ◇
第2章 『私の“色”を返して』
『なにここ』
『ドローンまで壁をすり抜けた』
『まさかの未踏破領域? え、初心者ダンジョン1階層で?』
夢中で追いかけた光の先、亀裂の中は、学校の体育館くらいの大きさの行き止まりだった。
極彩色の綺麗な光が消えちゃった。海の中みたいな紺碧色に、群青色。
綺麗だけれど、どこか重い空気。
そこには、巨大な何かがうずくまっていた。
『なんだあれ』
『ましろちゃん、引き返そう。嫌な予感がする』
『お目目きらきらさせながら、キノコ狩りしてるましろちゃんが良いよ』
コメント欄の色が灰色に近い、くすんだ黄色になっちゃってる。
あ……これはちょっと嫌だな。
何か明るい事、楽しい事をしてあげなくちゃ。
『黒い……霧?』
『よく見えないけれど、真っ黒の何かにみえる』
『ゴースト系? 早く逃げて』
みんなには黒く見えているの?
私には違って見える。全ての色を混ぜ合わせて、煮詰めた……色が音を立てて腐っていくような、冒涜的な虹色。
神経の内側をぞりぞりって、くすぐられるみたいな、吐き気を催す腐った虹色
「でも、えへへ……不思議で面白い色ぉ」
手を伸ばす。
影が、ゆらりと動いた。
その瞬間。
フッ。
全ての色が……消えた。
指先の肌色、私の服、それが灰色なのはいつもの事。
でも、でもでもでも。
目の前の不思議な何かも、渋谷ダンジョンの青色も、全部全部全部、古いモノクロ写真みたいな灰色。
いつもの私の灰色の世界。
「な、なんでぇ。なんでよぉ、私から色を取らないで、ダンジョン。ダンジョンなのに色がないの、やあぁぁ……」
ぽよん。
「てけ~り・り~」
ポチ。あ、ポチ、ポチは黒い、まっくろくろちゃん。綺麗な黒。灰色の褪せた世界でたった一つ黒……。
「え……?」
「て~~けぇり……ぃ・りぃ」
色が抜けてく。黒が褪せていく。
ポチが灰色になっていく。
「てけ! り・り!!」
ポチが影に向かって威嚇する。身体がおっきく、ねと~って広がって、ぷよ~ん。
大きく膨らんで。
ぷっしゅぅ~。
空気が抜けたみたいに、完全な灰色になって、しぼんじゃった。
すーって黒色が、うずくまる影に向かっていくのが見えた。影が吸っているんだ。
世界から、色を。
「やだぁ」
伸ばした手は、でも、抜けていく黒色に触れる事も出来なくて。
「てけ……り・りぃぃ」
ポチの身体が崩れていく。乾燥した砂のように、サラサラと。
黒蝶真珠みたいな綺麗な粒粒お目目も、さらさら、さらさら。
「や、やめて……返して!」
『ましろちゃん、逃げて!』
『真白ちゃんが言っていること分からないけれど、とにかく逃げるんだ!!』
『ポチもやられたら、もう、真白ちゃんにできる事ないから、早く!』
ちりちり、ちりちり。
ゴシックドレスのスカートの下。サイハイソックスから剥き出しになった太ももに痛み。
ドローンカメラに見えないぎりぎりまでスカートを上げたら。
『おい、おいおいおい!』
『頼むレスキュー、早く!!』
『俺らのましろちゃんが。誰でもいい。この際クソイケメン野郎でもナンデモいいから、助けてくれよぉ』
『ましろちゃん、ましろちゃん!』
赤。
真っ赤。
「あは……私の血、赤い……赤いよ!! あは、あはははは」
さらさらと、崩れ始めている私の足。すーって、吸い出されるみたいに、灰色の粒子になって。
『だめだ、ましろちゃんがおかしくなった』
『いつも不思議な色の事はつぶやくけれど、これはダメだって』
『共感覚とかだろうけど、これは違う。絶望的すぎて心が壊れちゃったんだよ』
ねえ皆、鮮やかな『色』を見つけたの!
灰色の世界に映える『赤』!
私の血が灰色の足を伝って、灰色のソックスを赤く染めて、灰色のゴシックシューズを流れ落ちて。
足元に広がる。
鮮やかで綺麗な『赤』い色が広がる。
とくとく、とくとく、どんどん広がる赤い池。
影に吸われて灰色になるよりも早く、広がるその血だまりの奥底に、見たこともない『色』が滲んだ。
生命が溢れ出すような、温かくてねっとりとした、ママによしよしされるみたいな、温もりのある色。
あっちに行きたい。
あの『色』に、触れたい!
伸ばした指先に、いつもポチを召喚する時の魔法陣が。
召喚陣が広がった!!
◇ ◇ ◇
第3章 『星の智慧派、あるいは名状しがたき解説者』
――時を同じくして、ましろの配信画面。とある視聴者の視界。
彼女が見るビューアーに、ノイズが走った。
何か問題を抱えていそうな。
でも、ダンジョンに入ると現実の嫌なことを全部忘れたみたいに、うきうきと初心者ダンジョンをお散歩するましろ。
疲れ果てたOLの彼女には癒しだった。
同時接続数:12
……
同時接続数:13
12人を超える事が無かった、ましろの配信チャンネル。
その表示が初めて、『13』へと繰り上がった。
見慣れないハンドルネームのコメントが。
ましろへの心配と絶望で阿鼻叫喚の地獄絵図となったコメント欄に、ぽつりと投下された。
『アーカムの老教授:――直ちに接続を切れ。画面越しでも”汚染”されるぞ』
え?
「かわいい」「頑張れ」って一緒にましろちゃんを愛でるいつものメンバーとは、全然違う。
なんだか堅苦しい雰囲気。
『アーカムの老教授:カメラ越しでも計測器が狂っている。その“色”は、地球上のスペクトルに存在しないはずのものだ。“宇宙からの色”。生命力を啜り、全てを灰色の塵へと変える、生きたガス体。その“色”を見た者も皆、喰われるぞ』
『な、なぁ……それって、クトゥルフ……邪神……』
『教授って誰だよ! ふざけてる場合じゃないんだって、ましろちゃんが血まみれで、死んじゃうんだって』
『ましろちゃん、足! 足が!』
絶望するコメント欄。
その時、ましろちゃんが血の色に興奮しだして。
あぁ……ついにおかしくなっちゃった。そうだよ……ね。だってもう、助からない、
「あは……私の血、赤い……赤いよ!! あは、あはははは」
配信画面の中で、日々の癒しだった少女が。
ダンジョン配信は怖いから見なかった。
人が簡単に終わりを迎えてしまうから。
でも、ましろちゃんは。スライムのポチちゃんと、のんびり初心者ダンジョンをお散歩しているだけの彼女なら、安心して見られたのに……。
『アーカムの老教授:狂気か、あるいは適性か。娘、君は一体、何を見ている?』
教授のコメントが、震えているように見えた。
その時。配信画面の中で強烈な輝きが迸った。
ましろちゃんの指先で輝く魔法陣。
『アーカムの老教授:よもや、”魔女の集会”の完成、13人目……まさかこの私が儀式を完成させる最後の鍵にされたとでもいうのか!?』
◇ ◇ ◇
ましろからは『何故か』見えなかった、13人目の視聴者。
アーカムの老教授のコメントなど知らぬましろはただ、血の中に見える『色』へと手を伸ばし。
召喚陣に導かれるまま、言葉を口にした。
魂の抜けたような、
「いあ……」
生命の全てを失った、
「いあ……」
抜け殻のような声。
「しゅぶ=にぐらす……!」
空間が、裂けた。
ここに今、邪神召喚の祝詞は、紡がれた。
ドクン。
隔離された体育館程の広さの大部屋。ダンジョンの空気が、巨大な心臓の鼓動のように脈打った。
私の指先の召喚陣から溢れ出したのは、どろりとした漆黒の液体。
ポチよりもさらに黒い。温かくて、そして甘い腐臭を放つ漆黒の液体。
灰色の世界に、赤と黒が映える。
『何か出てきた?』
『ポチが再生? あるいは再召喚?』
『ポチ、お願い。ましろちゃんを助けて!!』
暖かいオレンジ色がコメントから漂って……でもすぐに、”あれ”に吸われて灰色になっちゃった。
これは、ポチじゃない。ポチはここまで完全な黒色じゃないの。
ぬらぬらとした液体が、私の足を、腰を、胸を包み込んでいく。
物理的な冷たさはない。むしろ、生温かい羊水の中に沈んでいくみたいな、たまらない安心感があった。
視界の端で、私からまた『色』を、残された数少ない色を奪い取った、“あれ”が、怯えたように隅へ隅へ、後退りするみたいに縮こまっていくのが見えた。ひょっとして、震えている?
「……ン、マ……」
液体の中から、濡れた声がした。無数の触手がにょろにょろと伸びて、私に絡みつく。くしゅぐったい。
トン、トン、トトン。蹄が付いた細い足が伸びる。
トン、トン、トトントン。ダンジョンの床を叩く蹄の音。
きっと普通の人は、悍ましい、気色悪い。そういって忌避する、心の底から不安と恐怖を覚える、漆黒の液体。
あ、視聴者さん達大丈夫かな。
……コメント欄が止まってる?
ついさっきまで心配してくれて、ポチが助けに来たかもって喜んでくれていたのに。
何も流れなくなっちゃってる。
漆黒の液体が、ぐにょんぐにょん、触手をいっぱい伸ばして、私を労わるように、そっと頬に触れた。
「あ……」
触れた瞬間、脳裏に色がはじける!
すごく可愛い桃色。
ちゅーって何かが吸われていく。そのたびに、頭の中でいろんな色がはじける。
ぎゅむぎゅむ。
昔子供の頃に遊んだ、柔らかいゴムのおもちゃみたいな音がする。
私に触れた部分から、黒い泥が白く変色していく。
漆黒の液体が、私からはがれていく。
もぞもぞ、もこもこ。
徐々に人型の輪郭へと変わっていく漆黒の液体。
ぺか~~。
黒い光……そうとしか言いようがない輝きがはじける。灰色の闇の中に、漆黒の閃光が走った。
一瞬、思わず目をつむってしまった私。
ぎゅー。
首に抱き着く暖かくて柔らかな感触。
「……まま~っ!」
無邪気な産声。
雪のように白い透き通るような肌。死神みたいな艶めく漆黒の髪。亀裂の中へと私を誘ったあの光のような、ありとあらゆる色を混ぜ合わせた極彩色の瞳。
私とそっくりな、でもしっかりと色を感じられる、白黒ゴシックドレスを着た少女が私の首に抱き着いていた。
甘い香り。並んで立ったらたぶん私の肩下くらいまでしかない、とても小柄な彼女からは、熟しきった果実と、濃厚なミルクの香りがした。
「……あなたは、誰?」
「だぁれ? うーん、わかんない! でも、ずっといっぱい、ママがくれて。ママが呼んでくれたから、来たの! ママを呼んだから、来たの!」
彼女はケラケラと笑うと、私の腕からすり抜け、くるりと振り返った。
「ママは、私のママで、私は、ママのママ? うにゅ?」
その背後には、逃げ場を失った”あれ”が、所在なさげに、ふるふる、震えてる。
白と黒、そして極彩色に彩られた女の子は、全てが灰色の私の世界の中にあって色あせていく様子なんて微塵もない。
少女の瞳が、三日月みたいに細められた。お口が、楽しい悪戯を思いついた子猫みたいにニンマリ。
「ねえ、ママ」
鈴を転がすような声。けれどその背中から、影が伸びる。
少女の影は人の形をしていなかった。無数の触手と大きな口を持つ、巨大な樹木のような影。
「この子、いらない子? ……食べて、いい?」
急にコメント欄が動き出した。戻ってきた色彩。軽い興奮の薄赤、困惑の橙色、安堵の青色。
いろんな皆のコメントが生み出す色が、戻ってきてくれた!
『唐突な女の子、いず、なに?!』
『後ろ! 影が! 影がヤバイ!』
『しょ、触手!?』
少女が指を鳴らす。
パチン。
その乾いた音が合図だった。
彼女の足元の泥から、どす黒い若木のような触手が一斉に噴き出した。
それは“あれ”を逃さず捕らえると、締め上げる。
「あはは! きれいな色! でもね――」
少女は無邪気に笑いながら、残酷に告げた。
「ママをいじめる悪い子は~、ママが産み直してあげるね♡」
グチャリ。
湿った音が響いた。
“あれ”が、樹木みたいな木目の見える触手の中でひしゃげる。
次の瞬間、怪物の身体が内側から弾け――無数の極彩色の『花』へと変わった。
「わ、わ、綺麗!!」
『ま、ましろちゃん!?』
『さすがにこれは綺麗ちゃう』
『ヘドロみたいなぐちゃみどろがあたり中に飛び散って……あれだよあれ、虹色のほら、口から滝みたいに』
『それ以上はいけない。想像してまうやろがい』
花が開き、ゆっくりと色づくみたいに瑞々しい断末魔。
毒々しい紫の薔薇。脈打つように赤い蔦。
木目の見えていた触手が“あれ”の色を吸い上げて、極彩色に染め上げられる。
灰色のダンジョンが、瞬く間に冒涜的な楽園へと書き換えられていく。
「素敵……」
いつの間にか私の痛みは消えていた。
ダンジョンの空気も、とっても素敵な青のグラデーション。渋谷初心者ダンジョンの色に戻ってた。
「てけり~・りぃい!」
ぽよん。女の子の陰からにゅるんと出てきたポチが、ぽよんと私の胸元に飛び込んでくる。
「ん~っ! おいちぃ!」
少女が、花へと変わった怪物の残骸から、真っ赤な果実をもぎ取って、口元を汚しながらかじりついていた。
そして、満面の笑みで私を振り返る。
「ママも食べる? 甘くて、おいしいよ?」
差し出された果実。
それは、ついさっきまで私を殺そうとしていた、私から残された色も奪い取ろうとしていた“あれ”から生まれた果実。
けれど、私は迷わずそれを手に取った。
がぶり、じゅるり。
ああ、なんて鮮やかなんだろう。
彼女の瞳も、肌も、飛び散った果汁の色も。
この世界で一番美しい、虹色に見えた。
◇ ◇ ◇
第4章 『契約の口づけ』
シャク、シャク、シャク。
私が果実をかじる音だけが、静寂に響く。
甘い。口の中に広がるのは蜂蜜と、少しの鉄錆、そして鼻に抜けるような爽やかな味。
「おいしい?」
目の前の少女が、首を傾げて私を見つめる。
口元には真っ赤な果汁がべっとりとついているのに、彼女の笑顔は天使のように無垢だった。
「うん……おいしいよ。ずーっと食べていたいくらい」
私は心からの言葉を返した。嘘じゃない。
だって、この果実を飲み込むたびに、身体の奥底から温かいものが湧き上がってくる。
灰色だった私の世界に、絵の具が注ぎ込まれていくみたいに。
『……ましろちゃん、それ、大丈夫なの?』
『ダンジョン飯配信とか確かにあるけれど、得体のしれない隠しエリアの正体不明の何か……のなれの果て?』
『いや、今はそれより……あの女の子、誰だ?』
『アーカムの老教授:母、木目、蹄……あぁ……よもや現実に』
私の視界に映る文字色は、心配そうな薄緑色から、困惑の青紫色へ。
あ、初見さんかな? 老教授さんっていう方がいらしてる。
「えっとね、みんな。この子は……」
私が口を開きかけた瞬間。ふわり、と。 濃厚なミルクの香りが鼻先を掠めた。
「……だ~め」
少女が、私の口を小さな手で塞いだ。そのまま、とん、と私の肩を押す。
抵抗する間もなく、私は背後の柔らかい何かに倒れこんだ。
そこは、彼女が作り出した極彩色のお花畑――元は”あれ”だった果実実る花畑。
「ママー。よそ見しちゃ、やだ」
彼女が私の上に跨る。
白と黒のゴシックドレスがふわりと広がり、まるで闇夜に咲く一輪の花のように私を覆い隠す。
極彩色の瞳が、間近で私を覗き込んでいた。
「あの箱の中の人たち、キライ」
彼女が指さしたのは宙に浮くドローンカメラ。その瞳から、あどけなさが消え、冷たい威圧感が宿る。
「ママを見ていいのは、私だけ。ママの色を知っているのも、私だけ」
ぞくり。
背筋に甘い悪寒が走る。
嫉妬、独占欲。それも、ただの子供の我儘じゃない。
私ごと世界そのものを塗り替えられてしまいそうに不安になる。心の奥底に撃ち込まれる楔みたいな。
『ひっ』
『なんか寒気が』
『おい、カメラの映像、歪んでないか?』
画面の向こうの視聴者たちが、彼女の放つプレッシャーに怯えているのが分かる。
でも、不思議。
私には、彼女のその瞳が、何よりも愛おしく思えた。
だって、こんなに真っ直ぐに、私だけに色を魅せてくれてる。
灰色の世界で、色を追い求めてダンジョンをさ迷い歩くだけだった私を、こんなにも鮮やかな『色』で満たしてくれる。
「……ごめんね。でも、あの子たちは私のお友達なの。私を、支えてきてくれた人たちなの」
うん。だって、数少ない『色』を感じさせてくれたのが、彼らだもの。
もし皆がいなかったら私はきっと、もっと無茶なダンジョンに迷い込んで、彩の中に溶けて消えていなくなってた。
私は、私の口を塞ぐ彼女の手首を、そっと掴んだ。華奢で折れそうなほど細い手首。
けれど、そこには脈打つような力強い生の色が流れている。
「私に『色』をくれる、大切な人たちなの。だから……仲良くして?」
私が微笑みかけると、少女はきょとんとして、それから不満げに頬を膨らませた。
「むー……。ママがそう言うなら、仕方ないなぁ」
彼女は渋々といった様子で私の上から退いた。でも、その手は私の服の裾をぎゅっと握ったまま。灰色の、私の服を。
きっとお揃いのはずなのに、私の色は灰色のまま。
「そのかわり!」
彼女は、私の顔を両手で挟み込み、逃げられないように固定した。顔が近い。長い睫毛の一本一本まで数えられそうなくらい。
「私に、名前をちょうだい?」
名前。
そういえば、まだ呼んでいなかった。
私は、彼女の瞳を見つめた。全ての色を飲み込んで、全ての色を孕む、美しい極彩色。
でも、それよりも印象的なのは生まれの漆黒。
「……クロ」
自然と、その言葉が口をついて出た。単純すぎるかもしれない。安直かもしれない。
でも私にとって、これ以上の名前はなかった。ましろな私と、漆黒のクロ。それに、ポチの色も黒だもん。
センスがない? むぅ、放っておいてよ。
「クロ……くろ」
彼女は、その音を口の中で転がすように繰り返した。そして、パァァッと、花が咲くような満面の笑みを浮かべた。
「んふふ! クロ! いいよ! 私、クロね! ましろの、クロ」
「うん。よろしくね、クロ」
「うんっ! ……じゃあ、契約のチュー♡」
「え?」
私の返事を待たず、クロが顔を寄せた。むちゅって、柔らかい唇が、私の唇に重なる。
ドクンッ!
心臓が跳ねた。唇の隙間から、甘い蜜のようなものが流れ込んでくる。
それは味覚としての甘さだけじゃない。膨大な『色彩』の奔流。
明滅する視界。
灰色だったはずの世界が、煌めく極彩色へと描き変わっていく。
空中に漂う塵の一つ一つが、宝石のように輝きだす。
世界が、書き換わっていく。
ううん、違う。
かつての私が見ていた世界よりも、豊かな色彩。極彩色の世界。
これが、彼女の見ている『世界』なんだ!
「ん……ちゅ……」
クロが、とろりと舌を絡めてくる。
背徳的で、濃密な口づけ。頭がくらくらする。
私が縋るように探し求め、彷徨い求めていた『色』なんて、偽物だったのかもしれない。
この子がくれる色こそが、本当の……。
『ファッ!?』
『ちょ、ましろちゃん!?』
『BAN! これBANされるって!』
『神々しい……』
『尊い……』
コメント欄から、ピンク色が溢れ出す。
唇が離れる。
銀色の糸が、ふたりの間でキラキラと光った。
「えへへ。これで、契約成立だね♡」
クロは、とろんとした瞳で私を見つめ。
妖艶に、けれど無邪気に微笑んだ。
その背後で、ポチが「てけり・りぃ!!」と祝福の声を上げる。
「ママは、ずーっと私のモノ。私はずーっと貴女のママ。だから、ね?」
その言葉は、呪いのように重く。けれど、私にとっては、どんな言葉よりも甘い福音だった。
私は、そっと彼女を抱きしめ返す。
この温もりが。この『色』があれば。私はもう、灰色の世界でも凍える事はない。
「うん。……離さないでね、クロ」
カメラの向こうの困惑も、今日の出来事がなんだったのかも、どうでもいい。
私たちの、新しい『色彩』に満ちた新しい日々が、今、ここから始まるのだから。




