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蜜毒の令嬢——貴方が私に与えた愛は、蜜のように甘い毒でした

作者: uta
掲載日:2026/04/10

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

「君との婚約を破棄する」


王太子エドワルドの声が、煌びやかなシャンデリアの下に響き渡った。


満場の貴族たちが息を呑む。豪奢なドレスを纏った令嬢たちが扇で口元を隠し、燕尾服の紳士たちが眉を顰める。王国最大の舞踏会という晴れ舞台で、まさかの婚約破棄宣言。


私——リーゼロッテ・フォン・シュヴァルツェンは、ただ静かに睫毛を伏せた。


(ああ、やっと)


胸の内で、歓喜が弾ける。


五年。長い長い五年間だった。この瞬間のために、私はどれほどの夜を費やしたことか。どれほどの仮面を被り続けたことか。


「リーゼロッテ嬢」


エドワルド殿下は、まるで憐れむような視線を私に向けた。金糸のように輝く髪、海のように青い瞳。端正な顔立ちは確かに『理想の王子』そのものだ。


けれど私は知っている。その美しい仮面の下に潜む、底知れない傲慢と愚かさを。


「君は確かに完璧な婚約者だった」


殿下の傍らには、涙を浮かべた少女が寄り添っていた。蜂蜜色の巻き毛に翡翠の瞳、薔薇色の頬。清楚な白いドレスに身を包んだ彼女こそ、この国の『聖女』マリアベル・エーデルシュタイン。


「だが、君の愛は……重すぎた」


(重すぎた、ですって?)


私は内心で盛大に笑い出しそうになるのを必死で堪えた。


愛? そんなもの、最初から一欠片も持ち合わせていませんでしたけれど。


「マリアベルのような純粋で慎ましい愛こそ、僕にはふさわしいのだ」


殿下は聖女の肩を優しく抱き寄せる。マリアベルは大粒の涙を零しながら、私に縋るような視線を向けた。


「リーゼロッテお姉様……ごめんなさい、ごめんなさい……!」


嗚咽交じりの声。震える肩。絵に描いたような『清純な被害者』の姿。


(あら、禁術で他人の生命力を吸い上げておいて、随分と可憐な涙を流せるのね)


私はそっと顔を上げ、殿下を見つめた。


薄紫水晶の瞳に、一筋の涙を浮かべて。


「……かしこまりました、殿下」


声を震わせる。唇を噛み締める。俯く。


完璧だ。傷ついた令嬢の姿として、これ以上ないほどの出来栄えだろう。


周囲からざわめきが起こった。


「なんて酷い……」

「あのお優しいリーゼロッテ様を……」

「聖女様、本当に聖女なのかしら」


同情の声。憐憫の視線。それらが私に集まるのを感じながら、私は小さく微笑んだ。


(殿下。貴方は今、取り返しのつかない選択をしたのですよ)


「お幸せに、殿下」


私は深々と一礼する。


その瞬間、胸元で淡く光る——殿下に贈り続けてきた『お守り』と対になるペンダントが、微かに熱を持った。


五年分の記録。五年分の証拠。全てはこの中に。


「……リーゼロッテ嬢?」


踵を返す私に、殿下が戸惑ったように声をかける。おそらく、もっと縋りつくことを期待していたのだろう。泣いて喚いて、醜態を晒すことを。


生憎ですが、そんな茶番に付き合う義理はもうありませんの。


「私からは以上です。どうぞお気になさらず、舞踏会をお楽しみくださいませ」


微笑む。蜜のように甘く、毒のように致死的に。


広間を出る直前、人垣の向こうに漆黒の髪が見えた。


深い紺碧の瞳と、一瞬だけ視線が交わる。


レオンハルト・フォン・ヴァイスブルク。この国で唯一、私の本性を知る男。


彼は無表情のまま、しかしほんのわずかに口角を上げた。


(見届けてくれるのでしょう? レオン)


私もまた、誰にも気づかれないほど小さく微笑み返す。


広間の扉が閉まる。


その瞬間、私は深く、深く息を吐いた。


◇◇◇


「お疲れ様でございました、お嬢様」


影から現れたのは、侍女のエルザだった。栗色の髪をきっちりと結い上げた彼女は、いつも通りの無表情で私に外套を差し出す。


「ええ、本当に疲れたわ。五年間、あの愚か者に微笑み続けるのは」


私は仮面を外すように、表情を緩めた。控えめで儚げな令嬢の顔から、本来の——冷徹な策略家の顔へと。


「それはそれは。お優しい笑顔で、次は誰を破滅させるおつもりですか?」


エルザの声には皮肉が混じっている。けれどそれは親愛の証だ。彼女は私の右腕であり、唯一の共犯者なのだから。


「あら、言い方が悪いわ」


私は外套を羽織りながら、くすりと笑う。


「ただ真実を届けるだけよ。——蜜のように甘く包んでね」


夜風が銀灰色の髪を揺らす。


見上げた月は、まるで私を祝福するかのように煌々と輝いていた。


(さあ、始めましょうか)


五年間かけて調合した『毒』を、そろそろお届けする時間だ。


殿下、貴方が甘いと感じていたものの正体を、これからゆっくりとお教えして差し上げますわ。


◇◇◇


婚約破棄から三日が経った。


「——それで、聖女マリアベル様の過去の調査結果ですが」


エルザが差し出した書類を、私は優雅にティーカップを傾けながら受け取った。


シュヴァルツェン伯爵邸の私室。陽光が淡いレースのカーテン越しに差し込む、穏やかな午後のひととき。


……に見えるだろう。表向きは。


「孤児院出身、というのは公表通りですが」


「ええ」


「その孤児院で、不審な死亡事故が複数件」


「あら」


書類をめくる。


死亡した孤児たちには共通点があった。皆、聖女マリアベルと親しくしていた子供たちだ。そして死因は全員——原因不明の衰弱死。


(他者の生命力を吸い上げる禁術、ね)


聖女の『奇跡の治癒能力』。その正体を、私はとうに掴んでいた。


彼女が行う治癒は、自らの力によるものではない。他者から奪った生命力を移し替えているだけ。いわば、見えない吸血鬼のようなもの。


「表向きは疫病として処理されていますが、当時の司祭が不審に思って記録を残していたようです」


「有能ね、エルザ」


「お褒めに預かり光栄です。——それと、こちらが王太子殿下の横領に関する帳簿の写しです」


「あら、もう手に入れたの?」


「殿下付きの侍従の一人が、賭博で首が回らなくなっておりましたので。少々融通を利かせて差し上げましたら、喜んで協力してくださいました」


私は思わず微笑んだ。


蜜で誘い、毒で縛る。私の流儀を、エルザは完璧に理解している。


「リーゼロッテ」


窓辺から声がかかった。


振り返ると、いつの間にか黒衣の青年が佇んでいる。漆黒の髪に深い紺碧の瞳。彫刻のように整った美貌だが、表情は氷のように冷たい。


レオンハルト・フォン・ヴァイスブルク。ヴァイスブルク公爵家の嫡男にして、この国で王太子よりも実質的な権力を持つ男。


「ノックくらいしてくださらない? レオンハルト様」


「した。三回」


「聞こえませんでしたわ」


「お前が書類に夢中だっただけだろう」


深い紺碧の瞳が、私の手元——マリアベルの調査報告書を一瞥する。


「……また誰かを破滅させる気か」


「まさか」


私は完璧な微笑みを浮かべた。


「ただ真実を届けるだけよ。悪いのは真実を隠していた人たちでしょう?」


「詭弁だな」


「お褒めの言葉として受け取っておきますわ」


レオンハルトは小さくため息をついた。けれどその目に非難の色はない。


この男は知っているのだ。私がなぜこうなったのか。


十年前。重い病に倒れた幼いレオンハルトを救ったのは、私の母だった。貴重な魔道具と引き換えに、彼の命を繋ぎ止めた。


その代償として、母は政敵に弱みを握られた。そして——


(考えるのはやめましょう)


私は首を振って、過去を振り払う。


「それで? わざわざ公爵家のご嫡男が、婚約破棄された令嬢の元を訪れるなんて。噂になりましてよ?」


「構わない」


「私は構いますわ。まだ計画の途中ですもの」


「……忠告に来た」


「忠告?」


「王太子派閥が動いている。お前を社交界から完全に締め出すつもりらしい」


「あら」


私は微笑んだ。今度は、本当の笑みだった。


「それは好都合ですわね」


「好都合?」


「ええ。追い詰められた可哀想な令嬢が、必死に身を守ろうとして暴いてしまった真実——という筋書きの方が、同情を集められますもの」


レオンハルトの目が細められる。


「お前は……」


「なあに?」


「いや。……気をつけろ」


それだけ言い残して、彼は窓から姿を消した。


(気をつける、ですって)


私は小さく笑う。


気をつけるべきは、私ではない。今頃、婚約破棄の成功に酔いしれているであろう殿下と聖女様。そして彼らの周りに群がる者たち。


「お嬢様」


「なあに、エルザ」


「ゲルトナー侯爵家のアウグスト様が、早速お嬢様の悪評を広めていらっしゃるようです」


「あら、そう」


アウグスト・フォン・ゲルトナー。王太子の取り巻きの筆頭格。舞踏会で私を公然と嘲笑していた男だ。


「丁度いいわ。彼には『前座』を務めていただきましょう」


「前座、でございますか」


「ええ」


私は新しい書類を取り出した。ゲルトナー侯爵家の不正取引の記録。これもまた、五年間かけて集めた『蜜』のひとつ。


「蜜は甘ければ甘いほど、毒になるのよ」


窓の外では、薔薇の花が風に揺れていた。


血のように赤い、美しい薔薇が。


◇◇◇


社交界に復帰したのは、婚約破棄から二週間後のことだった。


リリアン伯爵夫人主催の茶会。表向きは『傷ついた令嬢を慰める』という名目の集まりだ。


「まあ、リーゼロッテ様。お気の毒に……」

「聖女様も酷い方ですわ。人の婚約者を奪うなんて」


令嬢たちの同情の声に、私は儚げに微笑んでみせる。


「いいえ、きっと殿下とマリアベル様は運命で結ばれていらしたのです。私などが間に立つべきではありませんでしたわ」


(白々しいにも程があるわね、私)


内心で苦笑しながらも、表情は完璧に制御する。


「なんて健気な……」

「やはりリーゼロッテ様こそ、真の淑女ですわ」


同情と称賛。それらは全て、私が望む通りに流れている。


そこへ——


「おや、これはこれは。傷心の令嬢様ですか」


嘲笑うような声が響いた。


派手な衣装を纏い、香水の匂いを撒き散らしながら現れたのは、アウグスト・フォン・ゲルトナーだった。金髪を流行りの形に整え、指には宝石をこれでもかと嵌めている。


「婚約破棄された身で、よく社交界に顔を出せますね。恥を知らないのですか?」


周囲の令嬢たちが凍りつく。


(来た)


私は睫毛を伏せ、傷ついたように唇を震わせた。


「申し訳ございません……ただ、皆様にご挨拶だけでもと思いまして……」


「ご挨拶? 笑わせる。王太子殿下に捨てられた女が、どの面を下げて」


「アウグスト様、言い過ぎですわ!」


リリアン伯爵夫人が声を上げる。しかしアウグストは鼻で笑った。


「伯爵夫人こそ、こんな負け犬を庇って。ゲルトナー侯爵家を敵に回す覚悟がおありで?」


(傲慢ね。本当に)


こういう輩が一番扱いやすい。自分の立場を過信し、周囲を見下し、足元を確認しない愚か者。


「……失礼いたします」


私は静かに立ち上がった。涙を堪えるように、ハンカチで目元を押さえながら。


「リーゼロッテ様!」


令嬢たちの悲痛な声を背に、私は茶会を後にする。


完璧な被害者の姿で。


◇◇◇


「アウグスト様を追い詰めるには、絶好のお膳立てでしたわね」


馬車の中で、エルザが淡々と言った。


「ええ。彼が私を侮辱したという事実は、もう社交界中に広まるでしょう」


「そしてその直後に、彼の不正が暴かれる」


「まるで因果応報のように、ね」


私は窓の外を眺めながら微笑んだ。


ゲルトナー侯爵家の汚職証拠は、既に然るべき筋に流してある。王国財務院の監査官で、私が密かに支援している人物の手元に。


あとは時間の問題だ。


「リーゼロッテ様を侮辱したから天罰が下った——そういう噂になりますわね」


「偶然よ。全ては偶然」


「ええ、ええ。偶然ですとも」


エルザの声には微かな皮肉が混じっている。私は思わず笑ってしまった。


三日後。


ゲルトナー侯爵家の不正取引が発覚し、侯爵位剥奪の沙汰が下った。


アウグストは泣き喚きながら王太子に助けを求めたという。しかし殿下は「そのような不正に関与した覚えはない」と切り捨てた。


(薄情な方。ご自身も横領しているくせに)


社交界は騒然となった。そして同時に、ある噂が囁かれ始める。


『リーゼロッテ様を侮辱した者には、天罰が下る』


迷信じみた噂。けれど貴族たちは、そういった話が大好きなのだ。


「これで、しばらくは私に手を出せなくなりますわね」


「ですが、王太子派閥が黙っているとは思えません」


「ええ。だからこそ、次の手を打ちますの」


私は新しい書類を取り出した。


聖女マリアベルの『奇跡』に関する調査報告。孤児院での不審死の記録。そして禁術に関する古文書の写し。


「エルザ。この情報を、教会の監査機関に届けてちょうだい」


「かしこまりました。どのルートで?」


「そうね……『匿名の善意ある市民』からということにしましょうか」


私は微笑んだ。


甘い蜜をたっぷりと塗った毒の手紙が、まもなく届けられる。


聖女様、貴女は私を『脅威にならない地味な女』と見下していらしたわね。


その判断が、どれほど致命的な過ちだったか。これからゆっくりと、思い知ることになりますわ。


◇◇◇


聖女マリアベルに対する教会の調査が始まったのは、ゲルトナー侯爵家没落から一月後のことだった。


「——聖女様の『奇跡』は、禁術ではないかという疑惑が……」

「まさか、あの清らかな方が」

「しかし、孤児院での不審死の記録が……」


社交界は再び騒然となった。


私は自室で、優雅に紅茶を啜りながらその報告を聞いていた。


「順調ですわね」


「はい。聖女様は現在、王城にて軟禁状態とのことです」


エルザが淡々と報告する。


「王太子殿下は?」


「必死に聖女様を庇っていらっしゃいます。『これは陰謀だ』と」


「あら、陰謀」


私は小さく笑った。


陰謀ではない。ただの真実だ。私は何も捏造していない。ただ、闇に葬られていた事実を掘り起こし、然るべき場所に届けただけ。


「しかし、殿下の庇い立てが、かえって疑惑を深めているようです。『何か隠しているのでは』と」


「当然ですわね。彼は横領の共犯者ですもの」


横領の証拠も、既に然るべき筋に流してある。今は聖女の件で手一杯だろうが、遠からず表沙汰になるはずだ。


「それと、お嬢様」


「なあに?」


「レオンハルト様がいらっしゃっています」


◇◇◇


「教会が動いたそうだな」


応接室に通されたレオンハルトは、開口一番そう言った。黒を基調とした装いは相変わらず隙がなく、彫刻のような美貌は相変わらず無表情だ。


「あら、早耳ですこと」


「お前の仕業か」


「私は何もしていませんわ。匿名の善意ある市民が、真実を届けただけです」


「詭弁だ」


「何度目のご指摘かしら」


私は肩をすくめた。


レオンハルトは深いため息をついて、ソファに腰を下ろした。その瞳には非難ではなく、どこか諦めに似た色が浮かんでいる。


「……お前の復讐は、どこまで続くつもりだ」


「復讐?」


「とぼけるな。聖女だけじゃない。王太子も、お前の父親も——全て標的だろう」


私は微笑みを消した。


「……貴方には隠し事ができませんわね」


「十年以上、お前を見てきた」


「そう。貴方だけよ、私の本当の顔を知っているのは」


窓の外を見つめる。


母を失った日のことを思い出す。政争の道具にされ、命を落とした母。貴重な魔道具を敵対貴族に渡さざるを得なくなり、その弱みを握られ、最後には——


(殺されたのよ。私の目の前で)


そして残された私を、父は『道具』としてしか見なかった。王太子との婚約も、家の利益のために強いられたもの。娘の意思など、最初から存在しないかのように。


「私は『道具』として生きることを強いられてきました」


「ああ」


「だから、私を道具として使った者たちに——同じ苦しみを味わわせたいの」


レオンハルトは何も言わなかった。


「止めないの?」


「止まるのか? 俺が止めろと言えば」


「……いいえ」


「なら言わない」


静かな沈黙が流れた。


窓から差し込む午後の光が、二人の間に柔らかな影を落とす。


やがてレオンハルトが立ち上がった。


「一つだけ言っておく」


「なあに?」


「復讐を終えた後のお前を、俺は見届けたい」


「……どういう意味?」


「そのままの意味だ」


深い紺碧の瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。そこには何か、言葉にならない熱が宿っているように見えた。


「お前が自由になった時——その時に、改めて話したいことがある」


「レオン……」


「今は聞かなくていい。まずはお前の望みを果たせ」


彼は踵を返し、部屋を出ていった。


残された私は、しばらく動けなかった。


(復讐を終えた後、ですって)


そんな先のことを、考えたこともなかった。


復讐だけを見つめて、五年間を生きてきた。その先に何があるのか、考えることを避けてきた。


「……お嬢様」


エルザが静かに入ってきた。


「王太子殿下の横領が、財務院に発覚したようです」


「そう」


私は表情を引き締めた。


感傷に浸っている暇はない。復讐は、まだ終わっていないのだから。


◇◇◇


王太子派閥の崩壊は、雪崩を打つように進んだ。


聖女マリアベルの禁術使用が確定し、聖女の称号剥奪。教会は彼女を『偽りの聖女』として糾弾し、これまでの『奇跡』の全てが見直されることになった。


王太子エドワルドの横領が発覚し、王位継承権剥奪。国庫から流れた金の行方が次々と明らかになり、民衆の怒りが王城に向けられた。


彼らの周囲にいた貴族たちも、次々と不正が暴かれて没落していった。


全ての崩壊の起点には、かつて私が『善意で』渡した情報や人脈があった。


親切な令嬢として差し出した助言。困っている貴族に紹介した『信頼できる』商人。悩みを聞いてあげた侍女たち。


全ては、いつか使うための『蜜』だった。


「最近、社交界でこんな噂が流れております」


「なあに?」


「『あの方々を没落させたのは、リーゼロッテ様の呪いではないか』と」


「まあ、失礼な噂ね」


私は優雅に微笑んだ。


「私は何もしていませんわ。ただ——」


窓の外を見つめる。


「真実を届けただけですもの」


呪いなんて、そんな曖昧なものじゃない。


これは計算と戦略と、五年分の忍耐の結晶。


蜜のように甘く、毒のように致死的な——復讐の果実。


◇◇◇


全てを失った王太子が、私の元を訪れたのは、深夜のことだった。


「リーゼロッテ……!」


応接室に駆け込んできたエドワルドの姿は、かつての面影を失っていた。


乱れた金髪。充血した碧眼。皺だらけの衣服。王族としての威厳も、貴公子としての気品も、全て剥がれ落ちていた。


王太子という地位も、婚約者という後ろ盾も、全てを失った男の末路がそこにあった。


「殿下。こんな夜更けに、何のご用でしょうか」


私は完璧な令嬢の微笑みを浮かべた。


「助けてくれ……! 君しかいないんだ、君だけが僕の味方だった!」


エドワルドは床に崩れ落ち、私の足に縋りついた。かつて傲慢に私を見下ろしていた男が、今は惨めに這いつくばっている。


「マリアベルは僕を裏切った。あいつは僕を利用していただけだった。父上は僕を見捨てた。誰も僕を助けてくれない……!」


(ああ)


私は静かに彼を見下ろした。


かつて舞踏会で傲慢に婚約破棄を告げた男。私の五年間の献身を『重荷』と切り捨てた男。私を道具としてしか見ていなかった男。


その成れの果てが、これ。


「殿下」


「なんだ、リーゼロッテ。君は許してくれるだろう? 君はいつも優しかった。僕のことを誰よりも愛してくれていた」


「ええ、そうでしたわね」


私は微笑んだ。


蜜のように甘く。


「私は殿下のことを、誰よりも愛していました」


「だろう? だから——」


「——と、思っていらしたのね」


エドワルドの顔が凍りついた。


「殿下。私の愛は、最初から毒でしたのよ?」


「な……何を……」


「貴方が甘いと感じていたのは、毒が回る前兆でしたの」


私は一歩後ろに下がった。


縋りつく手が空を切る。


「私が殿下に贈り続けた『お守り』、覚えていらっしゃる?」


「お守り……? ああ、あの——」


「殿下の行動を逐一記録する魔道具でしたの。五年分の記録、全て私の手元にありますわ」


「なっ……!」


「横領の証拠も、不正の記録も、密会の様子も。全て、私が集めたものですの」


エドワルドの顔から血の気が引いていく。


「そんな……嘘だ……」


「嘘ではありませんわ。殿下、貴方は最初から私の掌の上だったのです」


私は窓辺に歩み寄った。


「私を『地味な女』と見下していたマリアベル様も。私を『道具』としてしか見なかった父も。全て、同じ」


「リーゼロッテ……お前、最初から……」


「ええ。最初から、貴方を捨てる準備をしていましたの」


振り返る。


薄紫水晶の瞳には、もう偽りの優しさは宿っていない。氷のような冷徹さだけが、月明かりに照らされている。


「ねえ殿下。蜜は甘ければ甘いほど、毒になるのをご存知?」


「く……狂っている……!」


「狂っている? そうかもしれませんわね」


私は静かに笑った。


「でも、私を狂わせたのは貴方たちですわ。殿下」


◇◇◇


エドワルドが衛兵に連行されていく姿を、私は窓から眺めていた。


彼の叫び声が遠ざかっていく。「僕は王太子だぞ」「こんな扱いは許さない」——もはや誰も耳を貸さない空虚な言葉。


「終わりましたわね」


「ああ」


いつの間にか傍らに立っていたレオンハルトが、静かに頷いた。


「後味は?」


「……空虚、ですわね」


正直に答えた。


五年間、この瞬間のために生きてきた。復讐を果たすことだけを考えて。仮面を被り続け、蜜を調合し続け、毒を仕込み続けた日々。


それが終わった今、胸に残るのは——


「虚しいわ」


「だろうな」


レオンハルトの大きな手が、そっと私の肩に置かれた。温かい。こんな温もりを感じたのは、いつぶりだろう。


「復讐は、そういうものだ」


「知っていたの?」


「ああ。だから、俺は止めなかった」


「……どういう意味?」


「お前が自分で気づく必要があった。復讐だけでは、心は満たされないと」


窓の外では、夜明けの光が空を染め始めていた。闇を追い払うように、淡い紫から橙へと、空が色を変えていく。


「レオン」


「なんだ」


「貴方が話したいことって、何?」


「……聞くのか? 今」


「ええ。もう隠し事はいらないでしょう?」


レオンハルトは私の方を向いた。


深い紺碧の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。いつも無表情なその顔に、今だけは何かの感情が浮かんでいた。


「お前の母上に命を救われた日から、俺はずっとお前を見てきた」


「知っているわ」


「お前が復讐に身を焦がす姿も、毒を調合し続ける姿も。仮面の裏で泣いていた夜も。全て見てきた」


「それで?」


「それでも、俺はお前を求めている」


息が止まった。


「仮面の裏の冷酷さも、復讐に染まった心も。全てを知った上で、俺はお前が欲しい」


「レオン……」


「答えは今すぐでなくていい。ただ——」


彼の手が、そっと私の頬に触れた。固い掌。けれど、どこまでも優しい温度。


「これからは、毒ではなく蜜を味わえ。リーゼロッテ」


涙が溢れた。


五年間、いや、十年間。ずっと堪えていた涙が、堰を切ったように流れ出す。


「私は……」


「泣いていい。もう仮面は要らない」


「っ……」


レオンハルトの胸に顔を埋める。彼は何も言わず、ただ私を抱きしめてくれた。


窓から差し込む朝日が、二人を優しく包み込む。


長い夜が、ようやく終わろうとしていた。


◇◇◇


後日談。


王太子エドワルドは全ての爵位を剥奪され、辺境の修道院へ送られた。二度と都に戻ることは許されないという。


聖女マリアベルは禁術使用の罪で処刑された。最期まで「私は悪くない」「全てあの女のせいだ」と叫んでいたという。誰も彼女の言葉を信じなかった。


シュヴァルツェン伯爵——私の父は、王太子派閥との繋がりが暴かれ、爵位を返上することになった。


「お前が……お前がこんな……」


全てを失った父が、私を見上げる。かつて娘を道具としてしか見なかった目に、今は恐怖と困惑が浮かんでいた。


「父様。私を道具として扱った報いですわ」


私は冷たく微笑んだ。


「母様を見殺しにした時から、この日は決まっていたのです」


「リーゼロッテ、待ってくれ——」


「さようなら、父様」


私は振り返らずに、実家を後にした。


もう二度と、この場所に戻ることはないだろう。


◇◇◇


「お嬢様、いえ——リーゼロッテ様」


エルザが、珍しく柔らかい声で呼びかけた。


「なあに?」


「ヴァイスブルク公爵家から、正式な求婚状が届いております」


私は手紙を受け取り、開封した。


『リーゼロッテへ


俺は言葉が下手だ。だから簡潔に書く。


俺の妻になってほしい。


お前の全てを知った上で、それでも俺はお前を求めている。


答えを待っている。


レオンハルト・フォン・ヴァイスブルク』


レオンハルトらしい簡潔な文面。けれど、その短い言葉の一つ一つに、誠実な想いが込められていた。


「エルザ」


「はい」


「返事を書くわ。……『お受けいたします』と」


エルザの表情が、ほんのわずかに緩んだ。


「おめでとうございます、リーゼロッテ様」


「ありがとう、エルザ。——これからも、そばにいてくれる?」


「もちろんです。お嬢様のお毒舌に付き合えるのは、私くらいのものですから」


私は思わず笑ってしまった。


窓から差し込む陽光が、銀灰色の髪を輝かせる。


五年間、毒を調合し続けた手で、私は初めて——


本当の幸福を、掴もうとしていた。


(蜜のように甘い愛を、今度こそ)


毒ではなく、本物の蜜として。



数ヶ月後。


ヴァイスブルク公爵邸の庭園で、私は薔薇の手入れをしていた。


「リーゼロッテ」


背後から声がかかる。振り返ると、レオンハルトが立っていた。


「あら、お帰りなさい。会議は終わったの?」


「ああ。——また薔薇を増やしたのか」


「ええ。赤い薔薇は美しいでしょう?」


「血の色だな」


「まあ、縁起でもない」


私は笑った。今度は、何の偽りもない本当の笑顔で。


レオンハルトの表情が、ほんのわずかに緩む。


「……幸せか?」


「どうかしら。まだ、よくわからないわ」


正直に答える。


長い間、復讐だけを見つめて生きてきた。幸福という感情を、私はまだ上手く認識できない。


「でも——」


私はレオンハルトの手を取った。


「貴方と一緒にいると、悪くない気分よ」


「そうか」


レオンハルトが私の手を握り返す。無骨で大きな手。けれど、どこまでも優しい温度。


「なら、いい」


「それだけ?」


「俺は言葉が下手だと言っただろう」


「もう少し甘い言葉を期待していたのだけれど」


「……善処する」


不器用な夫だ。けれど、そんな彼が愛おしいと思える自分がいる。


「ねえ、レオン」


「なんだ」


「蜜は甘ければ甘いほど、毒になる——そう言ったことがあるでしょう?」


「ああ」


「でも、本物の蜜は——」


私は微笑んだ。


「ただ、甘いだけなのね」


陽光が庭園を照らす。赤い薔薇が風に揺れる。


毒を調合し続けた令嬢は、ようやく本物の蜜の味を知った。


これは復讐の物語であり、再生の物語であり——


何より、愛の物語だった。



『蜜毒の令嬢』——了

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