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『ただの美味しい水です』~追放された底辺錬金術師が辺境で売る水、実は死者すら蘇生する【神話級エリクサー】だった~

作者: キュラス
掲載日:2026/03/26

「ノア、お前は今日限りでこのパーティを追放する。明日からは俺たちだけで最深部へ向かう」


瘴気(しょうき)が渦巻くAランク迷宮『亡者の大穴』の第七層。

 その安全地帯であるセーフエリアで、王都が誇るSランクパーティ『紅蓮の牙』のリーダーであり、勇者の称号を持つレオンは、冷酷な目で荷物持ちの青年を見下ろして言い放った。


「……えっと、追放、ですか?」


名前を呼ばれた錬金術師の青年――ノアは、水筒のキャップを開けようとしていた手を止め、きょとんと首を傾げた。


「ああ、そうだ。俺たちはこれから、この迷宮の最深部である『猛毒の層』へ挑む。そこは空気を吸うだけで肺が腐り落ちる死の領域だ。だが、お前のスキルはどうだ? 錬金術師のくせに高度なポーション一つ作れず、【清水生成】とかいう水出し魔法しか使えない。そんなゴミスキルしか持たない足手まといを、これ以上連れて行く余裕はないんだよ」


レオンの言葉に、他のパーティメンバーたちも嘲笑(ちょうしょう)を浮かべて同意する。

 天才魔導士の女が、鼻で笑いながら杖でノアの肩を突いた。


「勇者様の言う通りよ。戦闘ではいつも後ろに隠れているだけで、休憩時間になれば『お水どうぞ』ってバカみたいに水筒を差し出してくるだけ。私たちのようなSランクエリートの編成に、ただの水汲み係なんて最初から必要なかったのよ。王都の店で買った『極上ポーション』があれば、お前の水なんて一滴もいらないわ」


ノアは、自分の手元にある革袋の水筒を見つめた。

 彼が生成する水は、無色透明で無味無臭。ノア自身、「ただちょっと美味しくて、冷たくて飲みやすいお水」程度の認識しか持っていない。

 確かに、最前線で命を懸けて戦う彼らにとって、派手な治癒魔法や強力なバフ効果を持たない自分は、不釣り合いなのだろう。


「……わかりました。今まで足手まといになってしまって、すみませんでした」


ノアは深く頭を下げると、荷物の中から自分の私物だけを取り出し、静かに立ち上がった。

 怒りも、悲しみもない。むしろ、「これからは危険なダンジョンに入らず、のんびり暮らせるぞ」という安堵の気持ちの方が大きかった。


「これは少ないが退職金だ。せいぜい野垂れ死なないように、王都の隅で泥水でもすすって生きるんだな」


レオンが投げ捨てた数枚の銀貨を拾い集め、ノアは迷宮の出口へと歩き出した。


――この時、『紅蓮の牙』のメンバーは誰一人として気づいていなかった。

 彼らが今まで、どれほど凶悪な魔物の毒を浴びても、どれほど致命傷に近い傷を負っても、休憩のたびに「無傷で完全回復」して連戦連勝を重ねられていた本当の理由に。

 ノアが無自覚に生成し、彼らに飲ませていた「ただの水」が、あらゆる呪詛(じゅそ)や猛毒を完全に中和し、欠損した四肢すら一瞬で再生させる【神話級エリクサー(万能薬)】そのものであったという事実に。


ノアという最強の命綱を自ら断ち切った勇者パーティが、市販のポーションでは到底回復できない猛毒の層で、凄惨な地獄を見るのは数日後のことである。


◆ ◆ ◆


勇者パーティを追い出されたノアは、王都には戻らず、真逆の方向にある辺境の村『ルミナス』へとやってきていた。

 王都の喧騒(けんそう)が苦手だったノアにとって、緑豊かで空気が澄んでいるこの村は、まさに理想のスローライフの舞台だった。


「よし、今日からここが僕のお城だ」


ノアは退職金と、これまでのわずかな貯金をはたいて、村外れにあるボロボロの空き家を買い取った。

 屋根の穴を塞ぎ、床を磨き上げ、廃材で作った小さなカウンターを設置する。

 彼が始めたのは、得意の【清水生成】を活かした小さな『水屋』だった。


手作りの不格好な木の看板には、こう書かれている。


『水屋・ノアのしずく』

・おいしいお水 銅貨一枚

・あたたかい白湯 銅貨一枚

・つめたい氷水 銅貨二枚


「これでよし。冒険者稼業みたいに命の危険もないし、村の人たちの喉を潤して、細々と生きていければ十分だな」


ノアは満足げに頷き、エプロンを身につけてカウンターの奥で椅子に深く腰掛けた。

 窓から吹き込む風が心地よい。誰かに怒鳴られることも、魔物の咆哮(ほうこう)に怯(おび)えることもない、完璧で穏やかな日常。


しかし、当然のことながら、ただの「水」を金を出して買う村人などおらず、開店から三日間、客は一人も来なかった。

 それでもノアは焦ることはなく、自分の作った水を飲みながら、のんびりと読書をして過ごしていた。


――四日目の、夕暮れ時のことだった。


ドサァッ!!


突然、店の入り口の木戸が乱暴に開け放たれ、何かが床に倒れ込む鈍い音が響いた。


「えっ? お客さん……?」


ノアが慌ててカウンターから身を乗り出すと、そこには一人の人間が倒れていた。

 全身を純白の甲冑で包んだ、長い銀髪の美しい女性。しかし、その甲冑はひどくひしゃげて赤黒い血に染まっており、美しい顔面は苦悶(くもん)に歪み、浅く乱れた呼吸を繰り返している。

 さらに恐ろしいことに、彼女の右腕から首筋にかけて、毒々しい紫色の『呪いの紋様』が蠢(うごめ)きながら侵食していた。


「ひ、ひどい傷だ……! それにこの変なアザ、なんだかすごく熱を持ってる……!」


ノアは急いで彼女のそばに駆け寄り、その身体を抱き起こした。

 彼女は、大国から派遣され、この辺境の森の奥深くに封印されていた『厄災の魔竜』を単騎で討伐しに向かった、大陸最強と謳われる【剣聖】エリスであった。

 彼女は見事魔竜を討ち果たしたものの、死に際に放たれた【神級の腐敗呪毒(ふはいじゅどく)】を真っ向から浴びてしまい、命からがらこの村まで逃げ延びてきたのだ。


「あ、ぁ……もう、ここまでか……。王国の、最高位ポーションでも、この呪いは、解け、ない……」


エリスは薄れゆく意識の中で、自らの死を悟っていた。

 どんな回復魔法も受け付けない、魂まで腐らせる神殺しの猛毒。もはや世界中のどんな聖女を集めようと、自分を救うことはできない。


しかし、目の前にいる優しげな青年は、焦った顔で彼女に問いかけてきた。


「大丈夫ですか!? すごい汗だし、熱もあるみたいだ! とりあえず、水分補給しないと!」


「すい、ぶん……?」


「はい! うち、水屋なんです。ちょっと待っててください、今とびきり冷たくて美味しいお水を出しますから!」


ノアは急いでカウンターに戻ると、木製のジョッキに自身のスキル【清水生成】でたっぷりと『水』を注いだ。

 コロン、と氷を一つ浮かべたそれは、見ているだけで喉が鳴るほど澄み切った、至高の一杯だった。


「さあ、ゆっくり飲んでください。冷たくて美味しいですよ」


ノアに口元までジョッキを運ばれ、エリスは朦朧(もうろう)とする意識のまま、こくりと、その無色透明な液体を喉の奥へと流し込んだ。


――その瞬間。


「…………えっ?」


エリスの身体を劇的な変化が襲った。

 喉を通ったただの『水』が、まるで星の瞬きのような圧倒的な浄化の光となって、彼女の全身の細胞一つ一つに爆発的に染み渡っていったのである。


「…………えっ?」


剣聖エリスの身体を、劇的な変化が襲った。

 喉を通ったただの『水』が、まるで星の瞬きのような圧倒的な浄化の光となって、彼女の全身の細胞一つ一つに爆発的に染み渡っていったのである。


ドクン、と心臓が大きく鳴った。

 右腕から首筋にかけて蠢(うごめ)いていた、神殺しの【腐敗呪毒(ふはいじゅどく)】。どんな高位聖女の祈りでも浄化できなかった赤黒い紋様が、水に溶けるインクのように一瞬で消え去り、白く滑らかな肌が露わになる。

 それだけではない。竜の爪で引き裂かれた腹部の致命傷が、肉芽を盛り上げて数秒で完全に塞がり、傷跡一つ残さずに治癒(ちゆ)されたのだ。

 失血によって冷え切っていた身体には、恐ろしいほどの活力が満ち溢れ、魔力に至っては以前の最大値を遥かに超えて限界突破(オーバーフロー)している。


「あ、れ……? 痛みが……ない。呪いも、完全に消え去っている……!?」


エリスは弾かれたように跳ね起き、自身の身体を信じられない面持ちで見下ろした。

 夢ではない。つい数秒前まで死の淵に立っていたはずの彼女は、今や全盛期以上の圧倒的なコンディションで完全復活を果たしていた。


「おや、もう起き上がって大丈夫なんですか? すごい回復力ですね」


カウンターの奥で、エプロン姿の青年がのんびりとした声で尋ねてくる。

 手には水差しのジョッキを持ったままだ。


「あ、貴方が……私を救ってくれたのか? 今の液体は、一体……世界樹の根元から一滴ずつ採取されるという、伝説の【神話級霊薬(エリクサー)】か!? いや、それ以上の効力……っ!」

「いえ、ただの美味しいお水ですけど」


エリスの悲痛なまでの問いかけに、ノアは首を傾げてあっさりと答えた。


「ただの水!? 馬鹿な、いくら私が瀕死(ひんし)だったとはいえ、神殺しの呪いが水で洗い流せるはずがない! 貴方は一体、どれほどの奇跡を――」

「あ、おかわりいります? まだ氷水、たくさんありますよ」

「…………」


エリスは絶句(ぜっく)した。

 彼女は生まれつき、他者の魔力の流れを視認できる【魔力眼(まりょくがん)】という特異体質を持っていた。その眼で、目の前でニコニコと笑う青年の魔力を覗き込んだ瞬間、彼女は呼吸を忘れた。


(な、なんだこの魔力は……っ!?)


ノアの背後に、広大で底知れない、宇宙のように澄み切った無尽蔵の魔力の海が見えた。

 彼が息をするだけで、周囲のマナが歓喜に震え、極限まで浄化されている。彼が【清水生成】という初級魔法を発動した瞬間、その魔法陣は神の領域と直結し、あらゆる不純物を消滅させる『究極の神水』を現世に生み出していた。


(この青年は……無自覚に、神の奇跡を『水』として湧き出させているというのか……!)


恐るべき存在。もし悪意を持った国が彼を利用すれば、世界のパワーバランスは一日で崩壊する。

 エリスは即座に居住まいを正し、床に片膝をついて深々と頭を下げた。


「……命を救っていただき、感謝の言葉もありません。私は剣聖エリス。どうかこの御恩に報いるため、金貨一万枚の支払いを……!」

「えっ、金貨!? いやいや、困ります! うちはお水一杯で銅貨一枚ですから!」

「ど、銅貨一枚!? この神の奇跡(きせき)が!?」


あまりの価格破壊に、エリスは三度目の驚愕(きょうがく)に目を見開いた。

 この青年は、自分の価値を全く理解していない。このままでは必ず、彼を利用しようとする輩(やから)が群がってくる。

 エリスは決意した。命の恩人であり、この底知れない力を持つ純朴な青年を、自分が命に代えても守り抜くことを。


「……分かりました。では、せめて私がこの店の『用心棒』として住み込みで働くことをお許しください。報酬は、毎日その……一杯のお水で構いませんから!」

「えぇっ!? まあ、村の人しか来ない暇な店ですけど……エリスさんがいいなら、歓迎しますよ」


こうして、ただの辺境の『水屋』に、大陸最強の剣聖がタダ働きで住み着くという、異常なスローライフが幕を開けたのである。


◆ ◆ ◆


――一方その頃。

 王都から遠く離れたAランク迷宮『亡者の大穴』の最深部。

 【猛毒の層】と呼ばれるその領域で、勇者レオン率いるSランクパーティ『紅蓮の牙』は、かつてない窮地(きゅうち)に立たされていた。


「ゼァッ、ハァッ……! くそっ、なんだこの瘴気(しょうき)は! 息をするだけで喉が焼けつくようだ!」


レオンは愛用の聖剣を杖代わりにしながら、脂汗を流して嘔吐(おうと)した。

 空中に漂う紫色の毒霧。それに触れた皮膚が爛(ただ)れ、体力が恐ろしいスピードで削り取られていく。


「リリア! 早く最上級の【広域解毒(げどく)】を使え! それに回復魔法もだ!」


天才魔導士であるリリアもまた、美しい顔を土気色に染め、肩で息をしていた。


「さっきから何度も使ってるわよ! でも、毒の浸透が早すぎて回復が追いつかないの! 王都で買った『極上ポーション』も、さっきから三本は飲んだけど、身体の重さが全然抜けない……!」


レオンは苛立(いらだ)たしげに舌打ちをした。

 彼らはSランクだ。これまでどんな凶悪な魔物と戦っても、どれだけ深い傷を負っても、一回の休憩を挟めば必ず「無傷」の完全な状態に回復し、連戦連勝を重ねてきた無敗のエリートである。

 だが、今日はどうだ。


魔物の群れを一掃するたびに、蓄積した疲労が身体に深く刻み込まれていく。

 ポーションを飲めば傷は塞がるが、骨の髄まで染み込んだような重い倦怠感(けんたいかん)と、肺にこびりついた毒の名残(なごり)は、一向に消える気配がなかった。


「おかしい……。俺たちはもっと強かったはずだ。なぜ、こんなに息が上がる? なぜ、剣がこんなに重いんだ……!」


レオンは血走った目で周囲を睨みつける。

 これまでは、休憩時間に必ず、あの荷物持ちのノアが「お疲れ様です、お水どうぞ」と水筒を差し出してきていた。

 無味無臭の、冷たくて美味しいだけの水。

 それを一息に飲み干した瞬間、どれほど疲労困憊していても、嘘のように身体が軽くなり、毒も麻痺も綺麗に吹き飛んでいた。彼らはそれを「自分たちの生まれ持ったSランクの素質と、自然回復力のおかげ」だと完全に信じ切っていたのだ。


「……まさか、あのゴミがいなくなったからか? いや、ありえない! ただの水出し係だぞ! あんな底辺錬金術師に、俺たちの命運が握られていたなどと……!」


レオンは自らの脳裏をよぎった最悪の可能性(・・・・・・・)を、激しく首を振って払拭(ふっしょく)した。

 プライドの高い彼にとって、あんな無能に依存していたなどという事実は、絶対に認めるわけにはいかなかった。


「お、おいレオン! 前を見ろ、マズいぞ……!」


盾役の重騎士が、絶望に満ちた声を上げる。

 毒霧の奥から姿を現したのは、無数の毒蛇を髪に持った巨大なSランク魔物【腐毒の魔女】だった。

 万全の状態であれば、一時間で討伐できる相手だ。しかし、今の彼らの体力と魔力は、すでに半分以下まで落ち込んでいた。


「くそっ……! 俺たちは勇者パーティだぞ! こんなところで立ち止まるわけにはいかない! 総員、攻撃態勢を取れぇっ!!」


レオンの悲痛な咆哮(ほうこう)が、猛毒の層に虚しく響き渡る。

 絶対的な回復源であるノアを失った彼らが、真の「命の削り合い」という地獄を味わうのは、まさにここからであった。


◆ ◆ ◆


剣聖エリスが『ノアのしずく』の専属用心棒として住み込み始めてから、二週間が経過した。


「ノア様! 本日の『神水』も、五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡る圧倒的な霊力(れいりょく)にございます! 我が剣の冴(さ)えも、かつての三倍に跳ね上がりました!」

「ただの冷や水なんだけどなぁ……。エリスさん、あんまりガブ飲みするとお腹壊すよ?」


ノアは呆れ顔でエプロンを締め直しながら、カウンターを布巾で拭いていた。

 エリスは王都への定期連絡の際、「私は辺境の村で神の奇跡に触れ、呪いを克服した。これより生涯をかけて、その偉大なる御方を護衛(ごえい)する」とだけ書き送り、完全にこの店に定住してしまったのである。


しかし、大陸最強と謳(うた)われる剣聖の報告を、王国上層部が無視するはずもなかった。

 のどかな辺境の村『ルミナス』の静寂を破るように、一台の豪奢な馬車が土煙を上げてノアの店の前に停まったのは、ちょうど昼下がりのことだった。


「ここか……エリスが手紙に記していた、奇跡の泉というのは……」


護衛の騎士に抱きかかえられるようにして馬車から降りてきたのは、豪奢なローブを羽織った一人の老人だった。

 彼は王国筆頭魔導士、ガルドス。数々の国難を退けてきた伝説の魔法使いだが、彼の右半身は恐ろしいことに、どす黒い岩のような物質に変化していた。

 高位の魔物から受けた【侵蝕石化(しんしょくせっか)】の呪い。いかなる高位解呪魔法でも進行を止められず、あと数日で全身が石となり砕け散る運命にあった。


「いらっしゃいませー。あ、おじいさん、体調悪そうですね。とりあえずお水でも飲みます?」


ノアはいつものように、のんびりとした声で木製のコップに水を注ぎ、カウンターに置いた。

 ただの無色透明な水。しかし、長年魔導の極致を探求してきたガルドスの目は誤魔化せなかった。


「な、なんだこれは……っ!?」


ガルドスは残された左手でコップを引ったくると、震える瞳でその液体を凝視(ぎょうし)した。

 水面に波打つのは、極限まで圧縮された生命力の輝き。彼が一生をかけても到達できなかった『神の領域』の魔力が、ただの水としてそこに存在しているのだ。


「いただきます……っ!」


ガルドスは縋(すが)るようにコップを煽り、中身を一息に飲み干した。

 直後、彼の身体を覆っていた石化の呪いが、まるで春の雪解けのようにボロボロと崩れ落ちていく。どす黒い岩肌の下から、若々しい血色の通った皮膚が再生し、失われていた右腕が瞬く間に元の姿を取り戻した。

 のみならず、老衰で枯渇(こかつ)しかけていた彼の魔力回路が、数十年前の全盛期以上に太く、力強く脈動(みゃくどう)を始めたのである。


「おお……おおぉぉっ! 治った! わしの石化が、跡形もなく消え去っておる! それどころか、魔力が泉のように湧き上がってくるではないか!」


ガルドスは涙を流しながら、ノアの前に深々と平伏した。


「偉大なる神の使いよ! わしの命を救っていただき、言葉もありません! 我が全財産である白金貨一万枚と、王都の一等地にある屋敷をどうかお受け取りください!」

「えっ!? いやいや、困ります! お水一杯で銅貨一枚ですから! お釣り出せませんよ!?」


白金貨などという見たこともない金額を突きつけられ、ノアは慌てて首を横に振った。

 しかし、ガルドスの驚愕(きょうがく)と歓喜(かんき)は、瞬く間に王都全土へと伝わることになる。

 この日を境に、『ノアのしずく』には「どんな死病も治す神水」を求めて、大貴族や他国の王族、果ては人語を解する伝説の神獣までもが、金銀財宝を抱えて大行列を作るようになるのだが……ノア本人は「最近、喉が渇いてる人が多いなぁ」としか思っていなかった。


◆ ◆ ◆


その頃。王都にある王立治癒(ちゆ)院の特別病棟には、地獄のような凄惨(せいさん)な光景が広がっていた。


「ぎ、ぎぃぃぃっ! 腕が! 俺の腕が燃えるように熱い! 早く治癒魔法をかけろぉぉっ!!」


ベッドに縛り付けられた勇者レオンが、血走った目で絶叫(ぜっきょう)を上げている。

 彼の右腕は、【腐毒の魔女】から受けた猛毒によって赤黒く腫れ(はれ)上がり、肉が腐り落ちて骨が露出(ろしゅつ)していた。

 隣のベッドでは、魔導士のリリアが喉を押さえて悶絶(もんぜつ)している。毒霧を吸い込んだ彼女の声帯は完全に焼け焦げ、二度と呪文の詠唱ができない身体になっていた。盾役の重騎士に至っては、両足を膝から下で切断され、虚ろな目で天井を見つめている。


「レオン様、申し訳ありません……。我々、最高位の神官を十人集めて治癒の儀式を行いましたが、あなた方の身体を蝕むSランクの複合呪毒(ふくごうじゅどく)は、完全に中和することが不可能です」


王国の筆頭神官が、重苦しい声で告げた。


「腐敗の進行を止めるのが精一杯です。……残念ですが、右腕は切り落とすしかありません。当然、これ以上冒険者として迷宮に潜ることは……不可能です」


「ふざ、けるな……っ! 俺は選ばれた勇者だぞ! こんなところで、こんな惨めな終わり方をするはずがないだろうがぁぁっ!!」


レオンは残された左手でシーツを握りしめ、歯を食いしばった。

 最深部での戦いは、一方的な蹂躙(じゅうりん)だった。市販の『極上ポーション』など、Sランク魔物の猛毒の前では気休めにもならなかった。彼らは仲間を盾にし、命からがら逃げ帰ってくることしかできなかったのだ。


「なぜだ……。今まで俺たちは、どんな凶悪な魔物の攻撃を受けても、必ず『無傷』で切り抜けてきたはずだ! こんな猛毒、今までは休憩さえ挟めば、すぐに完治していたじゃないか……!」


レオンが血を吐くような声で呟(つぶや)いた、その瞬間。

 彼らの脳裏に、かつての光景が鮮明に蘇った。


――激戦の後の、ひどい疲労と毒に侵された身体。

 ――そこに、いつも控えめな笑顔で差し出されていた、革袋の水筒。

 ――『お疲れ様です。お水、どうぞ』


その、無色透明な水を飲み干した瞬間、彼らの身体から一切の傷と呪いが完全に消え去っていたという、あまりにも明確で、恐ろしい事実。


「まさか……。あいつが、俺たちを……っ?」


声帯を焼かれたリリアも、ベッドの上でガクガクと震え出した。

 彼ら自身の隠された才能でも、Sランクの自然治癒力でもなかった。

 自分たちが「ゴミ」と見下し、パーティから追放した底辺の荷物持ち。彼が生成していた『ただの水』こそが、彼らに無敗の栄光をもたらしていた、文字通りの神の奇跡だったのだ。


「あ、あああ……っ! 俺たちは、自分から神の加護を蹴り捨てたというのか……っ!」


レオンは絶望に顔を歪め、ボロボロと涙をこぼした。

 失って初めて、その圧倒的な価値に気づいたのだ。だが、もう遅い。彼らの身体はすでに一生消えない傷と呪いに侵され、栄光の冒険者人生は完全に終わりを告げた。


「……探せ! ノアを探し出せ! あいつに頭を下げて、あの水を飲ませてもらえば、俺の腕も、リリアの喉も元通りになるはずだ!」


レオンは狂乱したように叫んだ。

 もはやプライドなど微塵も残っていない。自分たちが捨てた青年に土下座してでも、あの『水』を手に入れなければ、彼らはこのまま一生、ベッドの上で朽ち果てるしかないのだ。


「あいつを……ノアを連れ戻せぇぇぇっ!!」


王都の空に、後悔と絶望に満ちた勇者の悲鳴(ひめい)が空しく響き渡っていた。


◆ ◆ ◆


数日後。

 王都から遠く離れた辺境の村『ルミナス』に、三人のボロボロの浮浪者が足を引きずりながら辿り着いた。

 右腕を失い、顔面を土気色(つちけいろ)に染めた男。喉を押さえて声も出せない女。そして、両足を失い這って進む大男。

 かつて王都で最強と謳(うた)われたSランクパーティ『紅蓮の牙』の、無惨な成れの果てであった。


「ハァッ……ゼァッ……。ここだ……この村に、ノアがいるはずだ……っ!」


勇者レオンは血走った目で、村外れにある一軒の小さな店を睨みつけた。

 『水屋・ノアのしずく』。

 その粗末な看板を見た瞬間、レオンの目に狂気じみた希望の光が宿る。


「ノア! ノアぁっ! 俺だ、レオンだ! 頼む、あの水を……お前の水を俺に飲ませてくれぇぇっ!!」


プライドも何もかも捨て去り、レオンは地面を這いずりながら店の入り口へと手を伸ばした。

 これで助かる。あの水を一口でも飲めば、失った右腕も、身体を蝕む呪いもすべて元通りになる。そして再び、栄光の勇者として――。


しかし、レオンの手が木戸に触れる直前。


「――その汚らわしい手で、我が主の店に触れるな。下賤のゴミが」


凄絶(せいぜつ)なまでの殺気を伴った冷たい声が、頭上から降ってきた。

 レオンが強張(こわば)った顔を上げると、そこには白銀の甲冑を纏った美しい女騎士が、抜刀の構えで彼を見下ろしていた。

 大陸最強の【剣聖】エリスである。さらに彼女の後ろには、王国筆頭魔導士ガルドスや、王家直属の近衛騎士団が、アリ一匹通さないほどの鉄壁の陣形で店を取り囲んでいた。


「け、剣聖……様……!? な、なぜ、貴女ほどの御方がこんな辺境の……っ!」

「私はノア様の命により、この店の用心棒を務めている。お前のような薄汚い輩(やから)が、神聖なる『水』を求めてノア様のお手を煩わせるなど、万死に値する」

「よ、用心棒!? あの無能の!?」


レオンの言葉に、エリスの瞳がスッと細められた。

 次の瞬間、目にも留まらぬ神速の刃が閃き、レオンの鼻先数ミリの地面を深く抉(えぐ)った。


「ひぃぃっ!?」

「次、我が主に無礼な言葉を吐けば、首を落とす」


氷のような宣告に、レオンは恐怖で顔を引きつらせた。

 ノアはただの荷物持ちではなかったのか? なぜ、国中がひれ伏すような英雄たちが、こぞって彼を「主」と呼び、この小さな店を死に物狂いで守護しているのだ。


「あ、あああ……っ! の、ノアぁぁっ! 俺が悪かった! お前は無能じゃない! だから、俺を助けてくれ! 俺たちは仲間だろうがぁぁっ!!」


レオンはエリスの足元に縋(すが)りつきながら、奥のカウンターに向かって絶叫(ぜっきょう)した。


「ん? なんか外が騒がしいな。エリスさん、どうしたの?」


木戸が開き、エプロン姿のノアが呑気な顔で姿を現した。

 レオンは弾かれたように顔を上げ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらノアを見た。


「ノ、ノア! 俺だ、リーダーのレオンだ! あの水を! 俺たちにあの水を分けてくれ! 金ならいくらでも払う、いや、一生お前の奴隷になってもいい! だから……っ!」


必死に命乞いをする、かつての傲慢な勇者。

 しかし、ノアはその惨めな姿を見下ろして、ただ不思議そうに首を傾げた。


「……えっと、誰ですか?」

「…………は?」


レオンの動きが完全に停止した。

 ノアの瞳には、軽蔑も、怒りも、復讐心すら一切浮かんでいなかった。ただ純粋に、「見ず知らずの不審者が暴れている」としか認識していないのだ。


「いや、本当に誰ですか? うち、お水しか売ってないんで、治療なら王都の病院に行った方がいいですよ。エリスさん、迷惑だからお引き取り願って」

「はっ。承知いたしました、ノア様」


ノアにとって、彼らは自分を追放した憎き相手ですらなかった。

 そもそもパーティに未練など微塵もなく、辺境でのスローライフを満喫している今、彼らの顔も名前も完全に忘却の彼方へと消え去っていたのである。


「お、お待ちくださいノア様ぁぁっ! 私です、リリアです! 声が出ないんです、お願いっ……!」

「嫌だ! 俺は勇者だ! 俺を置いていくなぁぁぁっ!!」


エリスと騎士団によって、無情にも引きずられていく勇者パーティ。

 彼らは二度とこの村に足を踏み入れることを許されず、一生治らない呪いと痛みに苦しみながら、路地裏の泥水をすすって惨めに生きていくこととなる。最大の宝を自ら手放した代償は、あまりにも重かった。


◆ ◆ ◆


数ヶ月後。

 『ノアのしずく』は今日も大繁盛していた。


「ノア様! 今日も素晴らしいお水ですね! 我が国の王が、ぜひノア様の銅像を建てたいと申しておりまして!」

「いやいや、銅像とか絶対やめてください。目立ちたくないんで。はい、氷水ですね、銅貨二枚です」


今日も今日とて、世界中のVIPたちがただの水に大金を払い、平伏している。

 しかしノア本人は、自分の持つ規格外の神話級スキルに全く気づかないまま、大金貨を「綺麗なメダル」程度に受け取りながら、のんびりと店を切り盛りしていた。


「定時の十六時になったから、今日はもう閉めるよ。エリスさん、夕飯はシチューでいい?」

「はい! ノア様の手料理、心より楽しみにしております!」


かつての理不尽な労働や、見下される日々に怯えることはもうない。

 最強の英雄たちに絶対の忠誠を誓われながら、本人はあくまで「ただの美味しい水」を売り続ける。

 底辺錬金術師ノアの、無自覚で最強なストレスフリー・スローライフは、今日も平和に続いていくのだった。

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