第14話(2) アンヌの視た真理子の視界
《《大久保公園の声》》
歌舞伎町のネオンが眩しい中、東急歌舞伎町タワー駐車場に到着した。予約のおかげでスムーズに入庫できた。そこからTOHOシネマズ周辺を抜け、大久保公園へ。そこは、トー横キッズたちがたむろする場所の一つだった。
「これで、話を聞いてみて。あなたが霊視できるなら、私にはそれができない分、せめて直接聞きたい」先生は財布から一万円札を何枚も取り出し私に手渡した。
私たちは、公園のベンチや地面に座り込む少年少女たちに近づいた。一万円を渡すと、彼らは警戒しながらも、ぽつぽつと話し始めた。
最初に話したのは、十六歳の少女だった。髪は染め、化粧は濃い。だが、目は虚ろで、どこか幼かった。
「家?ないよ。お父さんが……私に変なことしてきたから、家を出てきたんだ。母さんは見て見ぬふり。お金が欲しくて、売りしてる。五千円とかで。おじさんたちに連れていかれて……」
アンヌの顔が、わずかに強張った。
次は17歳の少年。痩せ細り、腕に傷跡が無数にあった。
「親が離婚して、どっちも俺をいらないって言われた。児童相談所?行ったけど、すぐ逃げてきた。ここなら、仲間がいる。薬やって、みんなで笑って……でも、時々、昔の友達が首吊ったって聞くよ。そいつも、家で虐待されてたって」
さらに別の少女。十五歳くらいか。
「埼玉からここに来たの。家には帰れない。兄が……夜中に部屋に入ってきて……。母さんは知ってるのに、何も言わない。お金稼ぐために売るしかないよ。一万円?……ありがとう。でも、これじゃ一晩しか持たないね」
先生は、黙って聞いていた。恵まれた家庭で育ち、医学の道を歩んできた彼女にとって、これはまったく別世界だった。彼女の手が、わずかに震えているのがわかった。
《《霊視》》
公園のベンチで、少女の話を聞いた後、先生は少し離れた場所に立ち、私をじっと見つめていた。ネオンの光が、彼女の顔を青白く照らす。先生は、医師の目で少年少女たちを診ていたが、今は私の顔を観察しているようだった。
「真理子……あなた、この子たちに憑いている霊が見えるの?どう見えるの?」先生の声は、低く、慎重だった。
「ええ、見えます。ほとんどの霊は、浮遊しているんですけど……」私は、地面に座り込んだ少女の影をちらりと視て、頷いた。
「浮遊?」
「はい。地面から一メートルから三メートルくらいの空中に、ふわふわと。もっと高く、天に向かって昇ったりはできないんです」
先生は、眉を寄せた。科学者の目で、私の言葉を解剖するように。
「もっと高く浮かばないのは、理由があるの?」
「たぶん、成仏できないから、重いんだと思います。怨念や未練が、魂を地に引きつけてるみたいで……天に昇れないんです」私は、少し考えて答えた。
先生は、黙って空を見上げた。灰色の夜空に、ネオンが反射している。
「それで……霊視した世界は、どう見えるの?」
「ダークな万華鏡みたいに見えます。普通の世界が、黒と紫と血のような赤のガラス片で歪んで、ゆっくり回転してるんです。影が渦を巻いて、怨念の顔や手が、万華鏡の模様のように浮かび上がったり、消えたり。光はほとんどなく、冷たい霧が常に流れていて、息苦しい。時々、叫び声が模様の中に混じって、視界全体が震えるんです」私は、目を細めて答えた。
「そんな世界を、見続けたら……気が狂わない?」先生の顔が青ざめた。
「もちろん、いつもいつも見ていたら、発狂します。だから、一眼レフカメラのレンズにつける偏光フィルターみたいに、意識の波長を変えて、見えなくしてるんです。偏光フィルターは、反射光を除去して見えない水面下の魚を見えるようにしますけど、私の場合は逆。霊の波長をフィルタリングして、普通の世界だけを見るように、意識を調整してるんです」私は、苦笑した。
「……意識の偏光フィルター?それ、すごいわ。でも、疲れないの?」先生は、目を丸くした。
「疲れますよ。でも、曾祖母から教わった方法です。完全にオフにできないけど、必要ない時は、ぼんやりとしか見えないようにしてるんです」
先生は、ため息をついた。ネオンの下で、彼女の手が、私の肩に触れた。「あなた、本当に大変ね……」
私は、先生の手の温もりを確かめながら、公園の闇を見つめた。霊たちの影が、低く浮遊している。重い怨念で、天に昇れない魂たち。
少年少女たちの話を聞き終えた後、私たちは少し離れた場所に移動した。ネオンの光が、冷たく地面を照らす。アンヌ先生は、腕を組んで、私をじっと見つめていた。
先生は、静かに呟いた。「……怖いけど、真理子が見ている世界を見てみたいと思ったわ」
私は、先生の顔をまっすぐに見返した。先生の瞳に、好奇心と、わずかな恐れが混じっている。「見たいんですか?本当に見たいのですか?」
「無理だろうけどね」先生は、少し苦笑した。
「無理じゃないですよ」私は、ゆっくりと先生の手を掴んだ。先生の手は、冷たく、わずかに震えていた。
私は、意識を集中した。曾祖母の血筋が、先生の視界に流れ込むように。先生の瞳が、瞬時に変わった。
先生の視野が、変わった。
大久保公園は、もはや公園ではなかった。現実の鏡像のような、核戦争後の荒廃した世界。地面は焼け焦げ、ひび割れ、溶岩のような赤い光が隙間から噴き出している。ベンチは歪んだ鉄の残骸、木々は黒く炭化した骸、ネオンは血のような赤い炎に変わり、空を焦がす。強風が吹き荒れ、転がるゴミや魂の欠片が飛び交う。悪魔のような影。
浮遊する霊たちが、翼を広げて徘徊し、苦しむ亡者の顔が、廃墟の壁に浮かび上がったり、消えたり。遠くで、叫び声が風に混じり、すべてが赤黒く、炎に包まれている。トー横の少女たちは、炎の渦の中で苦悶の表情を浮かべ、霊の爪が腹や首を掻き毟る。空は永遠の夕暮れのように暗く、救いの光はどこにもない。
先生は、私の掴んだ手を強く引っ張って、後退りした。顔が青ざめ、息が荒い。
「こ、これが……あなたに見える世界なの?」
先生の声は、震えていた。私は、ゆっくりと手を離した。先生の視界は、元に戻った。ネオンが、ただのネオンに戻る。
「ええ……いつも、こんなんです」私は、頷いた。
《《地縛霊》》
ふと、路地の奥に、座り込んでいる少女が見えた。高校生くらいだろう。壁に寄りかかり、腹を押さえてうずくまっている。顔は青白く、汗が額を伝っていた。
「あなた、どうしたの?具合が悪いの?」と私は思わず聞いた。
「お腹が……焼けるみたいに痛いんです……何かに、掴まれてるような……」
少女の声は、弱々しかった。私は先生と目を見交わし、近づいた。先生は、医師としてすぐに少女の脈を取ろうとしたが、私は手を挙げて止めた。肉体的接触が霊を触れた人間に呼び寄せることもあるのだ。
霊視した。
少女の腹に、黒い影が絡みついている。腫れが広がり始め、内部から何かが蠢いている。……これは、瘡だ。だが、首ではなく、腹を侵食している。
人の顔ではなく、ただの膿と怨念の塊。戦後の赤線禁止で、路頭に迷い、病や自殺で死んでいった売春婦の地縛霊。歌舞伎町の土に染みついた、強力な怨霊だろう。貧困と絶望の連鎖を、永遠に繰り返すために、この界隈で、何名も、何十名ものトー横女子を、腹を蝕んでとり殺してきたようだ。
少女は、見ず知らずの犠牲者。ただ、ここにいただけなのに。
私は、曾祖母の血が沸騰するのを感じた。先生が、私の腕を掴んだ。
「真理子さん……?」
「先生、離れてて。この霊は強いわ……」
私は少女の前に跪き、彼女の腹に手を当てた。目を閉じ、深く息を吸う。恐山の冷たい風を思い浮かべ、口を開いた。
「オシラサマ、オシラサマ、聞こえ給え。
古き魂よ、汝の無念は知る。
赤線の闇、禁じられた身の苦しみ、
病と飢え、死の淵での叫び。
されど、この世に留まるは、汝自身を縛るのみ。
恨みは深く、腹に巣食う怨は果てなし。
汝の名を呼び、汝の鎖を解く。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
極楽浄土へ、西方浄土へ、導き給え。
腹の瘡よ、膿を吐き、影を散らせ。
この子を離れ、汝自身を救え。
オシラサマの慈悲により、成仏せよ……
散れ、消え、成仏せよ、成仏せよ……」
私の声は、低く、響くように唱えた。古い祈りの断片を、即興で繋いだもの。風が吹き、少女の腹が熱くなった。影が、激しく抵抗した。腹の腫れが膨張し、少女が悲鳴を上げた。
「痛い……!お腹が、裂けそう……!」
「真理子さん、危ないわ!止めて!」先生が、慌てて少女を抱きかかえた。だが、私は声を大きくした。
「汝の苦しみは終わる。恨みは捨てよ。
この子を、この娘らを、これ以上蝕むな。
オシラサマ、慈悲を……成仏せよ、成仏せよ……」
突然、風が強くなった。少女の腹の腫れが、目に見えて縮み、影が引き剥がされるように薄れた。地縛霊は、完全に消えたわけではない。土に戻り、再び誰かを狙うだろう。でも、今は鎮まった。この少女だけは、救えた。
【注意・免責事項】
※本作に登場するすべてのキャラクターは18歳以上です。
※制服・学生風衣装・部活動ユニフォーム等の描写は、すべて演出上のコスプレ要素であり、現実の未成年を描写したものではありません。
※本作に登場する事件・設定・団体等はすべてフィクションであり、実在のものとは一切関係ありません。
※第4章以降では、過去の出来事や医療・倫理に関する重いテーマが語られますが、描写は簡潔に留めています。
※性的・暴力的要素を一部含みますが、過度に詳細な描写は行っていません。
※本作は特定の思想・行為を推奨するものではありません。
※苦手な方は該当章の閲覧をお控えください。
※飲酒・喫煙の描写が含まれます。




