第14話(1) アンヌの視た真理子の視界
真中真理子は、深夜の自室で、何度も同じ動画を繰り返し見ていた。
最初に目にしたのは、Xに投稿された短い動画だった。意識が朦朧とした若い少女が地面に座り込み、周囲の若者たちがスマホで撮影したり、棒で突いたり、笑いながらからかう様子。
少女は抵抗できず、ただ虚ろに倒れ込むだけ。他のYouTube Shortsも似たようなものだった――歪んだ顔で座り込む少女、誰も助けようとしない群衆、楽しげな嘲笑。
これが、東京・新宿歌舞伎町のTOHOシネマズ新宿周辺、いわゆる「トー横」の現実だということだった。家のない若者たちが集まり、薬物やアルコールに溺れ、互いを食い物にする場所。
彼女はトー横へ向かった。ゴスロリのスカートを翻し、TOHOシネマズの近くを歩く。動画の少女を探すのは、難しくなかった。あの特徴的な顔、虚ろな目は、すぐにわかった。
少女は、ビルの陰に座り込んでいた。まだ十代半ばだろう。真理子は近づき、財布から一万円札を取り出した。
「これ、あげるから、少し話さない?」
少女は怪訝な顔をしたが、金を見ると頷いた。二人は近くの大久保公園へ移動した。真理子は自動販売機で温かい飲み物を買い、少女に手渡した。
「ありがとう、お姉さん……珍しいね、こんなこと」
少女の声は、かすれていた。真理子はタブレットを取り出し、最初のXの動画を再生した。
「これ、あなたよね?」
少女は画面を見て、肩をすくめた。
「うん、私。でも、別にいいよ。みんなやってることだし。私も前は、似たようなことしてたから」
その言葉に、真理子は息を飲んだ。真理子は目を閉じ、霊視した。
少女の背後に、別の影が重なる。同じくトー横キッズだった少女、自殺した仲間。首に縄の痕が残り、顔は怨念で歪んでいる。だが、瘡のように一体化しておらず、ただ薄く、弱く、少女の周りを彷徨っているだけだった。
真理子は、直接、霊に語りかけた。
「なぜ、この子に取り憑くの?あなたを殺したのは、誰?」
……あの子が、私を笑った。最後に、私が首を吊ったとき、周りで撮影して、笑ってた……。でも、罰が……届かない……。
怨念はあった。だが、弱すぎて、ただ彷徨うだけ。罰は下されない。加害者は、報いを受けずに生きている。
真理子は目を開けた。少女はまだ飲み物の缶を握りしめ、遠くを見ている。さらに真理子は、別の動画に出ていた少女たちを探して同じことを聞き、霊視してみた……結果は似たようなものだった。いずれの少女にも霊が取り憑いていた。
神は、なぜこれを許すのか。なぜ、救わないのか。
その疑問を抱えたまま、真理子は東大病院へ向かった。
曽根崎アンヌの研究室へと。
《《神の不在》》
ある日、真中真理子が私の研究室に急に来た。
ノックもなしにドアを開け、ゴスロリのスカートを翻して入ってきた彼女の顔は、いつもより蒼白だった。瞳の奥に、底知れぬ疲労と、何かを決して振り払えないような影が宿っている。
「アンヌ先生、神は実在するんでしょうか?」
いきなりの問いだった。カルテをめくる手を止め、私は彼女を見上げた。彼女は椅子にも座らず、机の前に立ったまま、震える声で続けた。
「神は実在するとして、なぜ、世界に偏在しているのでしょうか?神の概念とは、偏在ではないはずでしょう?」
その言葉に、私は一瞬、息を止めた。
「最近、また視えたのね」
私が言うと、彼女は小さく頷いた。
「二件……いえ、三件目です。どれも、悪意に満ちた人間が、報いを受けずに生き延びている。過去の罪を反省せず、平然と日々を過ごしている。……あの人たちに憑いた霊は、叫んでいるのに。助けを求めているのに、誰にも届かない。まるで、神が……もし神がいるなら……あえて見ないふりをしているみたいで」
彼女の声が途切れた。瞳に涙が浮かんでいる。
「神が存在するなら、なぜ、悪が放置される場所があるんですか?なぜ、怨念が晴れないまま、霊が永遠に彷徨うんですか?神が本当にいるなら、すべてを平等に見て、すべてを裁くはずでしょう?なのに……偏っている。救われるべき魂が救われず、罰せられるべき人間が罰せられない」
私は、煙草を一本取り出し、火を点けた。紫煙を吐きながら、静かに答えた。
「真理子さん。あなたは、神を『正義の執行者』として想定している。でも、もし神がいるとして……その神は、必ずしも人間の考える『正義』を執行する存在とは限らないのかもしれない」
マアちゃんは、ゆっくりと顔を上げ、私をまっすぐに見つめた。涙が頰を伝い落ちていたが、声は不思議と落ち着いていた。
彼女の瞳に、深い虚無が広がっていた。まるで、曾祖母から受け継いだ「視える」血筋が、今度は神の不在を視えてしまったかのように。
「アンヌ先生、このXとユーチューブ動画を視て、どう感じますか?」
画面に映ったのは、明らかに意識が朦朧とした若い少女だった。地面に座り込み、頭を垂れ、反応が鈍い。酔っているのか、薬物の影響か、どちらにせよ、正常な状態ではない。周囲には若者たち、主に男性が取り囲み、スマホで撮影したり、長い棒のようなもので彼女を突いたり、からかったりしている。少女は抵抗もできず、ただ倒れ込んだり、転びそうになったりするだけ。最後のほうでは、誰かに押されて体が傾き、地面に崩れ落ちそうになる様子が映っていた。
動画は短かったが、見終えた瞬間、私の胸に強い不快感と心配が広がった。正直に言うと、腹立たしささえ感じた。あの少女は未成年のように見える。脆弱な状態の人間を、誰も助けようとせず、むしろ楽しむように弄ぶ様子は、ただのハラスメント、いじめを超えて、残酷さに近いものがあった。
これは、おそらく「トー横キッズ」と呼ばれる、家のない若者たちが集まるグループの様子を切り取ったものだろう。渋谷や新宿の路上でたむろする彼らの文化の一端で、日本全体を代表するものではない。でも、そんな事情を知っていても、胸の悪感情は消えなかった。
「……真理子さん。これは、神の問題じゃなくて、人間の問題よ。あの子は、薬物やアルコールの影響下で、路上で脆弱な状態に置かれている。社会の歪み、家庭の崩壊、教育の失敗、貧困……そういうものが積み重なった結果だわ。神がいるかいないか以前に、私たち人間が、こんなことを許している」
「アンヌ先生、彼女は薬物やアルコール摂取していたかもしれませんが、彼女には、自殺した彼女の知り合いの女の子の霊を憑いているんですよ。彼女だけじゃない、他のこういった動画の女の子には、だいたい生前苛められ嘲られた霊が憑いているみたいです。そういった彷徨える霊を救済しない神というのは……神は、本当に存在しますか?先生?」
マアちゃんの瞳が、冷たく光った。
「それが、神の不在の証拠じゃないですか?人間が悪いのは分かっています。でも、神が本当に遍在するなら、なぜこんなおぞましいことを止める力を持たないんですか?あるいは、持っていても使わないんですか?それとも……神なんて、最初からいない?」
《《歌舞伎町に連れて行って》》
先生は、珍しく私を病院近くの小さな喫茶店に呼び出した。白衣ではなく、ダークグレーのコートにマフラーを巻いた私服姿。いつもより柔らかい印象だったが、瞳の奥に揺れるものは、いつもの冷静さをわずかに乱していた。
「真理子、あのトー横の話……もう少し、詳しく知りたいの。歌舞伎町に連れて行ってくれない?」
私はコーヒーカップを置いて、先生を見返した。科学者として「人間の問題」と切り捨てたはずの人が、なぜ? でも、彼女の声には、拒否を許さない静かな決意があった。医師としての使命感か、それとも、動画を見たあの日から芽生えた、ただの人間的な衝動か。
「……わかりました。でも、これからだと夜遅くになりますよ。新宿は、危ないところもあります」
「それでもいいわ。あなたがいれば、大丈夫でしょう?」
私は頷いた。
【注意・免責事項】
※本作に登場するすべてのキャラクターは18歳以上です。
※制服・学生風衣装・部活動ユニフォーム等の描写は、すべて演出上のコスプレ要素であり、現実の未成年を描写したものではありません。
※本作に登場する事件・設定・団体等はすべてフィクションであり、実在のものとは一切関係ありません。
※第4章以降では、過去の出来事や医療・倫理に関する重いテーマが語られますが、描写は簡潔に留めています。
※性的・暴力的要素を一部含みますが、過度に詳細な描写は行っていません。
※本作は特定の思想・行為を推奨するものではありません。
※苦手な方は該当章の閲覧をお控えください。
※飲酒・喫煙の描写が含まれます。




