第4話 スーパーカミオカンデ
《《茂住立坑入口へ》》
東京駅の八重洲口で、凜花と真理子と小平先生と一緒に待っていた。朝のラッシュ時間だ。私たち女性三人は、スーツケースを抱えて興奮気味に話していた。道路の方を見ると、青みがかったミニバンが近づいてきた。あれが恵美の運転する車かな?
トヨタ ヴォクシーだって聞いたけど、私、車のこと全然知らない。でも、スタイリッシュで広そう、いい車だよね? と思う。車が停まって、恵美が窓から手を振る。「みんな、乗って!」と声をかけてくる。私たちは荷物をトランクに積み込み、後部座席に滑り込む。凜花と私が後ろ、真理子が隣、先生が助手席へ。ドアを閉める。
私たちのカミオカンデへの旅は始まった。
そうなんだよ、目的地はスーパーカミオカンデの現場、岐阜県飛騨市神岡町の地下深くに潜む茂住立坑入口。ニュートリノの謎を追う科学の聖地。私と凜花の目指す場所だ。約320キロメートルのドライブ。
地図アプリが示すルートは、中央自動車道経由で、山岳路。だから、恵美曰くの、ガソリン車のダイナミックトルクコントロール4WDタイプを選んだんだね?……ダイナミックトルクコントロールって何?ま、いいか!
東京駅の周辺道路を抜ける。すぐに首都高速道路へ合流。都心環状線を西へ向かい、渋谷や新宿のビル街を横目に走る。
高速入り口の料金所を通過した。最初の区間は、八王子方面へ。中央自動車道に入ってすぐ、最初の休憩ポイントとして談合坂サービスエリアに。
凜花が食べたそうだ。でも、恵美が、食事は、諏訪サービスエリアだから、今はダメと言う。舌打ちをする凜花。ミニバンから降りて、凜花と私はストレッチをした。
中央自動車道をさらに西へ。出発から約2時間半で諏訪サービスエリアに到着。地元の信州そばを食べた。凜花は大盛り。
恵美が、信州そばをズルズルかきこみながら、「凜花の彼氏って、悠馬っていうの?」と凜花に聞いた。
「ズルズル……ハイ、宮本悠真です!」
「宮本悠馬……ああ、四年生の理論物理研究室の!あのイケメンくんかぁ」
「イケメンなんですか?」
「ああ、女子に人気があるわよ。そうか……あれ?あの子、彼女いたんじゃなかったっけ?確か、化学科の今度留学する高橋彩花……」凜花がむせた。
「高橋彩花……高橋凜花……あれ?」
「……そうです……その『あれ』です!彩花は姉です」
「あ!そう!姉妹で、NTRぅ?」今度は私がむせた。姉妹だけじゃない!
「……いえ、成り行きで……」
「ねえ、今晩、旅館で話してね。私、そういうのが好物でさあ」
「恵美、趣味悪いですわね」とレーセーに呟く真理子。
「真理子、あんた、その方面は興味なしだもんね?」
「オスとメスがくっついたの、離れたのって、珍しくないでしょ?なにか、面白いでしょうか?」
「つっまんないヤツだね、真理子は。そんなんじゃあ、彼氏できないわよ?」
「オスは、キスしてポイって決めてます」
「……」
さすが、真理子。ひと言で痴話ばなしをぶち壊した!
岡谷ジャンクションで長野自動車道に分岐。松本インターチェンジで高速を降りる。ここまで約3時間、200キロメートル。料金所を抜け、国道158号線へ。
一般道の旅。
松本市街を抜けると、道はすぐに山道へ。上高地方面の標識が現れる。
道幅が狭くなる区間もあるが、ミニバンの安定感が頼もしい。平湯のバスセンター付近で休憩。足湯があった!
安房峠道路に入る。トンネルを抜けると、岐阜県側。道は国道158号から中部縦貫自動車道へ移り、高山方面へ。
「恵美、もう四時間以上運転してますね?代わりましょうか?」
「お断りします!」
「え~、真理子、運転できるの?」と聞いた。
「できますよ。18歳の時に取得しました」
「高校生の時?」
「ええ、文化人類学、民俗学を専攻すると決めていたので、フィールドワークに必要なので、取りましたわ。遥は持ってないの?凜花も?」
「……持ってません」
「恵美も持ってるでしょう?実験系の物理学を選ぶのなら、こういうドライブも必要。観測機材を積んで、東京から鹿児島とか行くこともあります」
「遥!夏休みに免許合宿に行こう!」
「凜花は簡単に取れそうだけど、私は実技が……」
「凜花は筆記で落ちて、遥は実技で落ちる。二人合わせて二で割ればよろしいことね?」
「……」真理子にまたぶち壊された!ムカつく!
それまで寝ていた小平先生が起きた。
「そうだ!恵美くん、真理子くんと一緒に、筑波まで彼女の運転で行ったことがあったな!」
「先生、そうです。だから、私は『お断りします!』と申し上げました!」
「なぜ、恵美はそんなに真理子の運転を嫌うの?」
「遥、ハイエースのマニュアルミッション車で、常磐自動車道をポルシェに張り合う人間の運転など私は『お断りします!』」
「……」
「あれは、すごかったな。ゴスロリで、クラッチ、アクセル、ブレーキを叩き込む足技はすごかった」
「先生、先生は、真理子のつま先ではなく、股間を凝視しておられましたよね?パンツ、見てましたね?」
「儂は、つま先とパンツと比較して、クラッチ操作とブレーキ操作で、どちらがパンツが見えるかの統計をとっただけじゃ」
べ、勉強になる!……運転は、真理子じゃなく、恵美に習おう!
しばらくみんな無言だ。ノーベル賞受賞の可能性のある大教授が、パンチラおっさんだったことに凜花はショックを受けているようだった。そりゃ、そうだ。先生が未来の私たちの上司、指導教授になる可能性があるからだ。一回パンツ見せたら、論文の校正をしてくれるとか、起こりかねない。
私は先生への質問を思いついた。まったく、物理学に関係のない話だ。そんなことを世界広しとして探しても私しか思いつかない質問。
「先生!質問があります!先生は、パンツを見たいんですか?パンツの中身には興味ないんですか?」恵美が運転しながら呆れたようにバックミラーで私を見た。
「いい質問だ。発想の転換だ。物理学を目指すなら、そういう意表をつく質問を思いつく、それが適性があるということだ」とちょっと狼狽気味。
「質問は、パンツそのものか?中身が最終目的か?ということです」
「遥くん、中身には興味がない。儂は世界中の中身を観測した。結論は、肌の色での違いはなかったということだわい」
「遥!先生だけじゃなく、あなたもセクハラよ!先生は、人種のことに触れたから性差別確定!」と恵美。
「エチオピアに観測旅行に行った時、カイロ大学の研究生も同行した。漆黒の肌のマサイ族の美女だった。彼女を観測したが、日本人となんらかわらん。メラニン色素の量の違いだけだが、それの表皮だけ。中身はピンクだった。つまり、変わらないんだよ、遥くん。それに引き換え、パンツは千差万別、それをわざわざ女性は隠したがる。男性は見せたがる。小学生の男の子だろうが、儂だろうが、それは男性の本能なんだ」
「……」一同真理子以外沈黙した。
「じゃあ、先生、私のパンツは見たがるのに、恵美のパンツには興味ないですね?なぜですか?」あ~、この真理子の破壊力。
「……恵美は……毎日、隣りにいる。だから、あえて、そんな近くの恵美のパンツに興味はない。真理子はたまに会う。恵美と違って、ゴスロリも着る。結論は、接触の頻度と魅惑的なパンツのバリエーションで決まる。恵美のパンツは白ばっかりじゃ!」
「そうですのね。じゃあ、今度、恵美に私のパンツを貸しましょう」その発言、違うと思う。凜花が車の天井を仰いだ。
勉強になりました。私も真理子にパンツを借ります!
飛騨清見インターチェンジで降り、高山西インターチェンジへ。ここから国道41号で神岡町を目指す。一般道は田舎道になり、飛騨川沿いに走る。
神岡町に入ると、鉱山の歴史を感じる看板が増える。
町の中心を過ぎ、茂住方面へ。道は細くなり、山道へ。猪谷駅方面の標識を頼りに、約10分。
ついに茂住立坑入口に到着。
無標識のトンネル口で、周囲に駐車スペースがある。ヘルメットが置かれた小屋があり、警告看板が並ぶ。風が吹き出し、発電機の低い音が聞こえる。
ここがスーパーカミオカンデへの門。
ミニバンを停め、振り返る。都市から地下へ、その変遷が楽しい旅だった。
《《茂住立坑入口》》
茂住立坑入口に着いた私たちは、ミニバンから降りて、まずは小屋のヘルメットを被った。警告看板がずらりと並んでいて、「放射線管理区域」「立入禁止」の文字が厳しい。
恵美が受付みたいなところで手続きをし、私たちに白い防護服とベストを手渡す。「これを着て、汚染を防ぐの」みんなで着替えた。なんだか宇宙飛行士みたい。
「これでニュートリノ捕まえられるかな?」と凜花が笑った。
「ニュートリノは服なんか関係なく貫通するわよ」と真理子。
恵美が「ここからバスでトンネルを進むわ。約2キロよ」と説明した。2キロも水平移動!
待機していた小さなバスに乗り込む。運転手さんが「ようこそ、神岡鉱山へ」と挨拶して、エンジンをかける。バスはゆっくりとトンネルに入り、照明が等間隔に並ぶコンクリートの壁が続く。窓ガラスが少し曇る。
「このトンネルは元々鉱山用で、今は実験施設に使ってるの。岩盤が厚いから、宇宙線をブロックしてニュートリノだけを通すのよ」と恵美が講義モード。
バスが揺れながら進む。壁に配管やケーブルが張り巡らされていて、水滴が落ちる音がする。
真理子は窓から外を眺めて、「この岩盤の組成、面白いわね。花崗岩主体かしら?」と独り言を呟く。
「真理子くん、君は地質学もかじっておるのかの?」
「いえ、フィールドワークで基本は押さえましたわ。物理学だけじゃつまらないでしょ?」
「ふむ、儂も若い頃は鉱山を歩き回ったものじゃ。ニュートリノの検出器を建てるのに、この場所が最適だったんじゃよ」
「先生、フィールドワークができなくなったら、引退を考えたほうがよろしいですわ」
「……」
《《スーパーカミオカンデ》》
約10分でバスが止まる。アトリウムみたいな広いホールで、ここが中間点らしい。エレベーターの前にセキュリティチェック。
「身分証を見せて」と守衛さん。みんなパスポートみたいなIDカードを提示した。
エレベーターは小さくて、ゴンドラみたい。みんなでぎゅうぎゅうに乗り込んで、地下深くへ降りる。
下降中、耳がキーンとする。「標高差で気圧が変わるの。ゆっくり息を吐いて」と恵美。
エレベーターが止まってドアが開くと、長い通路が続く。足音が響いて、遠くから機械の音が聞こえる。
「ここから検出器エリアよ。管制室はもう少し先」と恵美。
歩きながら、壁に貼られたポスターや機器の説明を読む。
「この配管は純水供給用ね。50,000トンの超純水タンクを維持するなんて、すごいですわ」と真理子が珍しく感嘆した。
「そうだよ、真理子。水の純度が命。少しの不純物で検出精度が落ちるの」と恵美。
小平先生が「スーパーカミオカンデはPMTが11,000個も並んでおる。光電子増倍管じゃよ、遥くん、凜花くん。ニュートリノが水分子に当たって光を出したら、それをキャッチするんじゃ」って教えてくれる。
「オレンジ色の目みたいなの?動画で見た!」と凜花。
「そうそう、真空管で超敏感。ナトリウムランプを使ってメンテするのよ」と恵美。
通路の突き当たりに管制室のドア。セキュリティをクリアして中へ入る。モニターがずらりと並び、研究者たちがデータを見てる。
「ここが管制室。リアルタイムでデータを監視するわ。今日は特別に見学だけど、みんな静かにね」と恵美が注意する。
地下の聖地に着いた達成感で、みんなの顔が輝いていた。
《《管制室》》
地下千メートルのアクセス坑道を歩く。空気が冷たい。カビと岩の匂いがする。
厚い扉を抜けると、スーパーカミオカンデのコントロールルームだった。壁に並んだモニターを、数人の研究者たちが無言で監視している。
「今は観測中よ。水槽の中は直接見られないわ」と恵美が言った。
「完全な暗黒、ですか」と私が訊く。
「そう。光子が一つでも入ればノイズになるの。だから、誰も中は見られないわ」
恵美は壁のモニターを顎でしゃくった。
「宇宙線は上の千メートルの岩盤で遮断される。でも、電荷を持たないニュートリノだけは岩盤をすり抜けて、壁の向こうの五万トンの超純水タンクに飛び込んでくる。そしてごく稀に、水分子の電子や陽子と衝突するの」
「光るんですか?」と凜花が身を乗り出した。
「水分子と衝突した荷電粒子が、水中の光速を超えて走る。その瞬間にチェレンコフ光が出るのよ。青い光ね」
「じゃあ、あの金色の丸い球が光るの?」
「光るわけないでしょ、バカね。壁に並んだ約一万本の光電子増倍管はただのセンサーよ。暗闇で発生した微かな青い光を捉えて、電気信号に変える。それだけ」
モニターの奥の分厚い岩盤を見つめる。あの向こうに巨大な水槽がある。絶対の暗闇。ニュートリノが衝突し、青い光が出る。センサーがそれを拾う。レーザーや純水システムの制御パネルもあって、ガドリニウム添加のアップグレードでさらに敏感になってるんだって。
「遥、興奮してる?」恵美が私を見た。「でもね、この泥臭い観測を鼻で笑ってる連中が本郷にいるのよ」
「誰ですか」
「理論派の連中。最新の数理モデルを使って、机上の計算だけで宇宙の真理が解けるって豪語してるわ。筆頭は原田一真准教授……」
「原田一真准教授……」
「27歳の准教授。独身。学内では『氷の天才』で通っている。原田の研究室が今、シミュレーションの入力バイトを募集してるの。そこに遥は潜り込みなさい。あいつらがどんな数式を弄り回してるか、私と小平先生に横流しするのよ……ダメかしら?」
恵美の目が、悪戯っぽく笑っていた。
私は小さく息を吐いた。
「……やります」
と、私は答えた。
地下の聖地で、世界の秘密に少し近づいた気がした。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。
※性描写を含みます。




