第2話 授業開始とゴスロリ文化会
《《2026年4月6日、駒場》》
《《授業開始!》》
初日だから、私も凜花もビジネススーツ。クラスは30名で、女子は約一割。つまり、私たちの他に女子はこのクラスは四名で、本能的に四人で固まって、一緒に席に座った。高嶺の花気分……男子が私たちをチラチラ見る。
他の女子二名は普通の私服なので、私たちの方が目立った。167に158のスーツ姿凜花を見る男子が多いみたい。でも、陸上部のユニで慣れている凜花は平然としている。そりゃあ、そうだよね。ハイレグボトムで平然なら、スーツなんて平気の平座。
1限の数学(微分積分学)で既に脳がオーバーヒート気味の凜花を連れて、私たちは2限の「ドイツ語」の教室へ移動した。理科一類の私たちのクラスは、物理学徒の登竜門とも言えるドイツ語選択者が集まっている。
ドイツ語のオリエンテーションを受けて、凜花が頭を振った。
「いい、凜花。アインシュタインだってハイゼンベルクだって、この言葉で思考していたのよ。物理を極めるなら避けては通れない言語なのよ」
「……頭ではわかってるわよ、遥。でも、格変化が4つもあるなんて、さっきの微積だけでお腹いっぱいなのに、言葉までそんなに複雑にしないでほしいわ!」
教壇に立った老教授が、チョークを走らせる。
「ドイツ語は論理の言語です。主語と動詞の位置、そして格の関係……。これが崩れると、論理が崩壊します」
その言葉に私は「なるほど」と頷いた。凜花は机に突っ伏して「悠真に助けてもらおう……」英語だけじゃダメ?と弱音を吐いた。
情報、身体運動・健康科学実習(体育)、初年次ゼミナール理科、選択科目の思想・芸術、国際・地域、人間・環境……。
文系科目の哲学も含め、東大が私たちに求めているのは既存の知識の暗記ではなく、「知の枠組みそのものの再構築なのだと、言われる。なるほど。
「物理科のくせに物理はまだなの?」と私のように、初年度のカリキュラムを調べていない凜花は空を見上げた。やれやれ。
そして放課後。
私たちはあの「怪しげな部室」のドアを叩いた。
《《真中真理子》》
私たちは、授業が終わって、早速、コスプレっ子❤️のサークル室にお邪魔することにした。凜花と私は、あの真中真理子先輩が謎なのだ。彼女を知りたい。
部室に行くと、コミックスのコスプレの人たちで溢れていた。お互いの批評をし合っている。なるほど、コスプレマニアというのは、他の人の感想が気になる人たちなんだね。
その喧騒の中で、真理子先輩が隅の方で一人静に本を読んでいる!いや、読まれていらっしゃる!今日は普通の格好をしている。引っ詰め髪のポニーテール。黒のハイネックに黒のストレッチジーンズ。
「真中先輩!」と声をかけた。
「真理子、と呼んで」と本から顔を上げてニコッと笑った。「八重樫遥さんに、高橋凜花さん。遥に凜花と呼べばよろしいわね?」
「ハ、ハイ、凜花と遥でどうぞ。あの、何をお読みでしょうか?」
「ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』ですわ。やっと文庫版が去年でましたの。あの単行本をもちあるけませんもの。上下二冊で1キロ超えますの。やっと、文庫本で持ち歩けて、読み返せますわ」
「ウンベルト・エーコ?『薔薇の名前』?」と凜花。確かに、脳筋凜花の知識の外の世界だ。
「14世紀の北イタリアの修道院を舞台にした歴史ミステリーです。007のショーン・コネリーがバスカヴィルのウィリアムを演じて映画化もされました。『薔薇の名前』が何を指すのか?明確には書いてないの。
『かつて存在した薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり』
12世紀の修道士ベルナール・ド・クリュニーの詩に由来するのかしら?哲学的意味の暗喩なのか?それとも、登場人物の誰かを指すのか?興味深いわよ。凜花、読んでみる?」
「……読みます!」
「ちょうど、上巻を読み終わったわ。貸してあげる」と凜花に渡そうとした。
「私、自分で買います。なんか、何度も読み返さないとダメみたいだから……」
「これ、文庫本だけど高いのよ。上下巻で、税込み、6,600円」
「ええ?ビックマックのセット、10個分!……お、お借りします」
「先輩……」
「遥、真理子よ、マ・リ・コ」彼女と話すと調子が狂う。
「……真理子、今日は地味な格好ですね?」
「ゴスロリで授業を受けられないでしょ?授業にならないでしょ?」
「ハイ!もちろん」
「下着、見せたら、教授も生徒もみんなモッコリしちゃうもの」あれ、下ネタも話される?
「電車にも乗れませんもの」
「ハイ!もちろん」
「部屋では着ますよ。人に見せたいわけじゃないもの。でも、見せても良いけど、今、空き家」
「空き家?」
「今は、彼がいないのね。遥、良い人いない?」え?肉食?
私は凜花と顔を見合わせた。小声で、
「悠馬に紹介は止めよう」
「賛成」
それを耳にした真理子が、
「あら、良い人知っているのね?ユウマ、どういう字かしら?紹介したくないのね?ケチね?」彼女と話すと調子が狂う。
「いえ、えっと、悠久の『悠』に馬ですが……凜花の彼です」
「凜花の彼……それが遥に何の関係が?遥は彼はいないの?」視えてるの?
「いや、その、あのですね……」
「真面目に答えようとする遥、可愛いわね。冗談よ、冗談」まったく、彼女と話すと調子が狂う。
《《2026年4月13日、日本武道館》》
《《入学式!》》
九段下駅を出ると、桜が散り始めていた。
「……ねえ遥。やっぱりこのスカート、タイトすぎて階段上るのが一苦労なんだけど」凜花が、九段下の坂道でペンギンのような歩幅で歩いている。
「だから言ったじゃない。膝上十センチのタイトスカートなんて、式典じゃなくて誘惑用だって!」
武道館の周りに、スーツ姿の新入生と、よそ行き顔の保護者たちが溢れている。私と凜花は、待ち合わせ場所の正門前で、それぞれの家族と合流した。
凜花のパパ、高橋真一さんは、米国出張から昨日帰ってきたという。背が高くて、凜花とは似ていない。穏やかそうな人だ。凜花のママ、高橋優子さんは、凜花より少し小さい。上品な紺のワンピース。今日だけは、泣きそうな顔をしている。
私の両親も合流した。八重樫家は代々厳格な家風なので、パパは礼服に近いダークスーツ、ママは訪問着だ。
「遥、結局その地味なスーツにしたのか。パパは和服のほうが……」まだ言っている八重樫家の家長を、ママが「もう、お祝いの席なんだから」と宥めている。
「お嬢さんたち、よく似合っているわね」と優子さんが私たちのスーツを見て言った。
「ありがとうございます。ネイビーで揃えました」と私。
「可愛いじゃないですか。ほら、真一、写真撮って!」
「は、はい」と真一さんが慌ててスマホを構えた。
凜花が私に耳打ちした。「パパ、写真が下手なのよ。首から上が切れるから注意して」
「なんで私が注意するの!」
八重樫家と高橋家の両親は、初対面の挨拶を済ませた。パパ同士は理系出身同士らしく、五分で意気投合していた。ママ同士は「娘がお世話になっています」を三回繰り返して笑っていた。
式が始まった。日本武道館の広さに、凜花が小声で言った。
「武道館ってコンサートもできるんだよね。ビートルズが来たのよね?」
「そう。1966年。悠真に教わったの?」
「うん。なんか、その話をするとき悠真が嬉しそうなのよ」
総長の式辞が始まった。「知の探求……」「困難を恐れず……」
凜花が再び耳打ちした。「遥、スーパーカミオカンデって知ってるよね?」
「なんで今それを聞くの」
「悠真が、言ってた。遥も行きたいでしょ?岐阜県の地下、ニュートリノの観測装置。ノーベル賞取った梶田先生の……」
「式の最中に話しかけないで」
「ごきげんよう」
「真理子先輩の真似をしないで」
式が終わった。両家の両親と、武道館の外で記念写真を撮った。真一さんがまた首から上を切った。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。
※性描写を含みます。




