第1話 サークルオリエンテーション
《《2026年4月2日、悠馬の部屋》》
凜花と私は、本郷に行っている悠馬の部屋に勝手に居た。もうたまり場化してますね。本人も「勝手に使って」って言ってるから、まあ、いいでしょう。
私と凜花はしょうもない話題で激論していた。T大学の2026年度の学部入学式は、4月13日の月曜日、日本武道館なのだ。
「凜花、私のパパは、『八重樫家』の一人娘なんだから、時間がない、レンタルでもいいから和服にしなさい!』っていうのよ。あんなの一人で着たり脱いだりできないじゃん!重そうだし、メンドイ!」
「賛成!だから、ゴスロリで……」
「凜花はバカなの?入学式だよ!ゴスロリで二人で?バカ!白い目で見られるよ!」
「じゃあ、陸上部のユニ?」
「この脳筋!ほんっとにバカね。常識がないわ。あのですね、和服とか、レンタルでもお高いのよ。そんなのにお金を使ってどうすんの?どうせ、学会とかに行くんだから、上等のビジネススーツを買おうよ。オーダーじゃなくって、吊るしのでもいいからさ」
「一理ある!そうよね!和服は自分で脱げない!だから、悠馬に和服で迫っても着る時どうする?それに脚が見えないから、悠馬は興奮しない!」
「……発想がそこ?」
「うん」
「まあ、いいや。私はパパのクレカの家族カードを預かってるから、後で凜花、払ってよ?今から、吊るしのビジネススーツを買いに行こう。それで、その後、原宿に行って、ゴスロリ買っちゃおう!後で、ママ、パパには適当に言えば良い。どうせ、日本武道館で見る私たちは、無難なビジネススーツなんだもん。ね?」
「賛成!ビジネススーツはネイビーブルーのタイトなミニスカート!どう?OL姿の私がストッキングの脚を見せて、悠馬が襲いかかるというのは?」
「……」
新宿の伊勢丹とルミネの店を見て回る。
私たちは、オーダーメードじゃない吊るしのビジネススーツを購入。ネイビーブルーのタイトなミニスカートは……
「ねえ遥、見て!これ、どうかな?」と見せたのが、タイトなジャケットにミニスカポリス並のスカート!おい!それを選ぼうとするから、ホッペを引っ叩いた!いい加減にしろ!バカなの?下校時の高校の制服じゃないんだから!……膝上、10センチで凜花は渋々納得した。
私がズボンタイプを選ぼうとするので、今度は凜花が、「ダメ!スカートにしなさい!」と私のホッペを引っ叩いた!「二人で、悠馬にスカート脱がされるの!」やれやれ。
そして、原宿!今度は、12,500円じゃない、ベルベット生地の高級品を買った!ビジネススーツと足して、レンタル和服の着付け・脱衣を含めた値段とヘアセットよりも安く済んだ。もちろん、ゴスロリを買ったのはパパには内緒!
《《2026年4月3〜4日、駒場》》
《《サークルオリエンテーション》》
《《テント列》》
京王井の頭線の駒場東大前駅を降りてすぐ、正門をくぐった瞬間に私たちは考えていたのと違った風景を見た。さすが、大学、高校の規模じゃない!駒場キャンパスの1号館を北側の出口から出た瞬間、私たちは飲み込まれた。
銀杏並木から11、12、13号館にかけて、サークルのテントが200メートル以上にわたって両側に立ち並んでいる。「テント列」だ。先輩たちが言っていた通り、新入生は原則としてこの壁を抜けるまで出られない。
拡声器の声、舞い散るビラ、強引な勧誘。
「……これ、戦場じゃないの」と私は呟いた。
「面白い!」と凜花が目を輝かせた。
「新入生? 何学部?」「テニス興味ない?」「クイズ研究会いかが?」
アメフト部の巨体が前に立ちふさがった。おい!アメフト部に女子、関係ないでしょ!
凜花はすり抜けた。陸上部の脚は伊達じゃない。私はパンフの束を胸に抱えながら、ビラを押しつけてくる手をかわし続けた。テント列を抜けるのに一時間以上かかった。手元のビラの束は厚さ六センチを超えていた。もう、疲れてくる。
一歩進むごとに、両手に抱えたバッグが各サークルのパンフレットで重くなっていく。凜花は相変わらず元気だ。
彼女の視線は、人混みの向こうにある「陸上」の文字を捉えていた。
《《陸上運動部》》
凜花が「東京大学陸上運動部」のブースの前で立ち止まった。現役という感じの、日焼けしたストイックな先輩たち。本気で箱根やインカレを目指すのだという。
「どう?」と私が聞いた。
「……火・木・土、週三回以上か」凜花がパンフレットを眺めながら言った。「インカレ、箱根……本気の人たちだよ、これ」
「あなた、やるなら、本気じゃないの?」
「今は……なんか、違う気がする。走ること自体は好きだけど、これじゃない。今の私には、これは重すぎる」
隣の「東大陸上競技同好会」のブースを覗いた。他大の女子大生も混じる、ゆるい雰囲気。
「こっちは?」
「……もっと違う」
陸上に関しては、今の凜花には答えがないのだと思った。
私はといえば、もちろん最初から最後まで興味ゼロ。彼女の横で、早く次に行こうと足踏みした。
《《美術部》》
今度は私が凜花を引っ張った。「次は私の番よ、凜花」
東大美術部のブースだ。一号館という古い校舎の近くにある美術部の展示ブースへ向かった。テント列の喧騒から少し離れたそこには、独特の油絵の具の匂い。
先輩が描きかけのスケッチを見せながら、アトリエの様子を話してくれる。油絵の具の匂い、静かなキャンバスの世界。私には心地よかった。
私は先輩の説明を熱心に聞いていた。キャンパス内の古いアトリエで、好きな時に絵を描ける。その自由な空気は私をワクワクさせたけれど、ふと隣を見ると、凜花は案の定、退屈そうにスマホをいじっていた。たぶん悠真に「今、遥に付き合わされて退屈〜」とか送っているに違いない。
「凜花、どう思う?」と振り返ったら、凜花はやっぱりスマホをいじっていた。
「……悠真、今どこにいるんだろう」
「……次、行こう!」
《《ゴスロリ文化会》》
教室を出たところで、凜花が突然立ち止まった。「遥、あれ」
並木道の中心に戻ると、凄まじい人だかりができていた。「まるきゅうProject」というコスプレパフォーマンスのサークルらしい。派手な衣装の学生たちが、音楽に合わせてキレッキレのダンスを披露している。
「すごいわね、これ。東大にこんな華やかな場所があるなんて」と私はダンスを眺めたが、何か違うと思った。
「いいじゃない!私、こういうの大好き!」と凜花がはしゃいで言う。「これは……」と凜花が前のめりになった。
「あなたが興味を持つのは、まあ、わかる」
その「まるきゅうProject」のテントの向かい側。ひっそりとしたブースがあった。
黒い布が垂れている。手書きのボードに「コスプレっ子❤️/ゴスロリ文化会」とある。賑やかな向かい側とは別の空気が、そこだけ漂っていた。
「ねえ、こっちも見てみない?」と凜花が言った。
ブースの中に、一脚の椅子があった。そこに座っていたのは、黒いパラソルを膝の上で閉じ、微動だにしない女性だった。
黒のベルベットと幾重ものレース。ヘッドドレスから垂れるリボン。完璧な「黒」の要塞のようなゴスロリドレス。先輩だ、というより、まるで作品の一部のようだった。
「……あの、すみません」と私が声をかけた。女性がゆっくりと顔を上げた。
「なんでしょうか?」ハスキーな声だったけど、新入生勧誘でしょ?なんでしょうか?って何?
「このサークルの説明を聞きたいんですが」
「コスプレっ子❤️は、コスプレを楽しむためのサークルですわ。男の目を引きたい人、ウケを狙いたい人は向いてませんの。自分が着たいものを着る。それだけ」
凜花と私は顔を見合わせた。
「ゴスロリ文化会は、その分科会。ゴスロリを文化として研究する人向け」
「失礼ですが、先輩は何年生ですか?」と凜花が聞いた。
「四年生ですわ。来年から大学院に行く予定」
「お名前、聞いてもよろしいでしょうか?」
「真中真理子」
真中先輩は、そこで初めて凜花をじっと見た。凜花の肩から脚まで、採寸でもするように視線を動かした。
「あなた、いい体格してるわね。服の『土台』として」
「……ドダイ?ドダイ?」凜花が首をかしげた。
「土壌の『土』、台風の『台』。ド・ダ・イ。おわかり?」
「はぁ。私の『土台』が何か?」
「筋肉の付き方、骨格のバランス。無駄がないわ。装飾という名の『鎧』を纏わせるには、これ以上ない素材よ。……どうかしら、あなた。その体を、私の作品を美しく見せるための『土台』として提供してみない?」
「素材」とか「土台」とか、まるで人間を物のように扱う言い方。
凜花はその真理子先輩の圧倒的な雰囲気と、ゴスロリの完成度に完全に魅了されたようだった。
「……遥。ここ、良いかも。男の目を惹くためのコスプレじゃない。自分が最強になるためのコスプレよ、これ」
「まあ……あっち(まるきゅう)よりは、落ち着いてるわね。私も、こういう『文化』としての装飾には興味があるわ」
真理子先輩のハスキーな笑い声が、テントの中に響いた。
「決めたのね。じゃあ、まずはこの入会届に名前をお書きなさい。……ようこそ、ゴスロリの世界へ」
「ハイ、入会します!」と凜花と声が合った。
「でも、ここは分科会ですから、本会の『コスプレっ子❤️』でエヴァンゲリオンのコスプレをしてもいいのよ。あなたは」真理子先輩が、スッと凜花を指差した。「葛城ミサトも似合いそうね?」
「葛城ミサト?」ミサトは170センチ前後だから、167センチの凜花ってこと?凜花が首をかしげる。
「あなたは」と、今度は私に視線が移る。「アスカ・ラングレーっぽいわね?」アスカは160弱だから、158センチの私なの?性格のキツそうなところまで含めて当てられた気がして、私は少しムッとした。
「私たちは、ゴスロリをやります……『ゴスロリを文化として研究する人向け』というのが気に入りました」と私は答えた。
「了解。今度、ゆっくりとお話しましょうね。では、ごきげんよう」
真理子先輩は、立ち上がるとスカートをヒラリとさせ、優雅に一礼した。
……なんか、不思議な人。私たちは、互いに顔を見合わせて頷いた。
こうして、物理学科の新入生二人は、よりにもよって「ゴスロリ文化会」という怪しげな、けれど抗いがたい場所へのチケットを手にしてしまったのだ。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。
※性描写を含みます。




