第22話 二次試験
《《2026年2月11日(水)・足切り発表日》》
朝十時。悠真の部屋のテーブルに、三人がノートパソコンを囲んでいた。東京大学のウェブサイト。第一段階選抜合格者——受験番号一覧。「……開いて」と凜花が言った。声が震えている。
「開く」と悠真が言った。
ページが展開した。受験番号の羅列。「自分で探せ」と悠真が静かに言った。
凜花がスクロールした。指が震えている。遥は黙って見ていた。
止まった。「……あった」凜花の受験番号があった。「あった!あった!悠真!遥!あった!」
凜花が立ち上がって、悠真の首に飛びついた。悠真がよろめいた。遥も画面を確認した。自分の番号もある。もちろん。「おめでとう、凜花」と悠真が言った。
「二次試験、行ける!」
「行ける。でも、ここからが本番だ」
「わかってる!でも今だけ喜ばせて!」
凜花がぴょんぴょん跳ねた。陸上部らしく、高く。
《《2026年2月25日(水)・二次試験一日目》》
《《東京大学本郷キャンパス》》
試験会場は、悠真が毎日通う本郷キャンパスだった。
朝の気温は三度。二月の本郷の空は低く、灰色だった。構内に入ると、受験生の群れが無言で歩いている。みんな下を向いている。誰も喋らない。この空気だけで、胃が縮む。
悠真は今日も新宿で待っていた。缶コーヒーを二つ。「今日は?」と凜花。
「今日は同じ方向だから、本郷三丁目まで一緒に行く」
「……試験会場まで来るの?」
「門の前まで。それ以上は行かない」
本郷三丁目で地下鉄を降り、赤門まで歩いた。受験生の列に交じって歩く三人。悠真だけが場違いに落ち着いている。 赤門の前で悠真が立ち止まった。「じゃあ、ここまで」
「……うん」と凜花。
「数学は最初の一問目で手が止まっても焦るな。全問解けなくていい。部分点を積み上げろ」
「わかった」
「国語は時間配分に気をつけろ。現代文で詰まったら後回しにしろ」
「わかった」
「遥はわかってるな?」
「わかってます」
「……行け」
凜花が一歩踏み出して、振り返った。「悠真、終わったら、部屋にいる?」
「いる」
「……じゃあ、行ってくる」
赤門をくぐった。
1日目の科目は、数学(150分)と国語(100分)だった。数学——9時30分から12時まで。
凜花は問題用紙を開いた瞬間、頭が白くなりかけた。でも、悠真の声が聞こえた気がした。「最初の一問目で手が止まっても焦るな」。深呼吸。見直した。
第一問は微分。できる。手が動いた。
遥は最初から落ち着いていた。順番通りに解いた。
12時終了。昼休みは約2時間。構内の食堂は受験生で溢れていた。二人は人混みを避けて、銀杏並木のベンチに並んで座った。二月の冷気の中で、コンビニのおにぎりを食べた。「どうだった?」と遥。
「……第四問、最後まで解けなかった」と凜花。
「部分点はとれた?」
「……たぶん」
「それでいい」
「遥は?」
「全部解いた」
「……クソォ」
「午後の国語に集中して」
国語——14時から15時40分まで。
凜花は現代文で詰まった。悠真の言葉通り、後回しにした。古文と漢文で点数を稼いだ。最後に戻った現代文——何とか書いた。時間ぴったり。
15時40分。試験終了のアナウンスが流れた。
凜花はペンを置いて、天井を見た。終わった。一日目が。
《《2026年2月26日(木)・二次試験二日目》》
2日目——理科(150分)と外国語・英語(120分、リスニング含む)。
理科は物理と化学。凜花の得意科目と苦手科目が一冊に同居している。
物理——悠真に叩き込まれた。量子力学の話をしながら、電磁気を解いた夜が走馬灯のように浮かんだ。手が動いた。化学——姉ちゃんの研究課題が頭をよぎった。性ホルモン。GnRHアナログ。シプロテロンアセテート。……集中しろ。これは試験だ。有機化学の問題を見た。解けた。
英語のリスニング——14時45分から開始。凜花は耳を澄ませた。
16時終了。二日間が終わった。
《《2026年2月26日(木)・夜》》
悠真の部屋に戻ったのは夜の七時過ぎだった。
二人ともぐったりしてソファに沈み込んだ。悠真が温かいお茶を出した。
しばらく誰も喋らなかった。「……どうだった?」と悠真がゆっくり聞いた。
「わからない」と凜花が言った。「全部出しきった。でも、足りたかどうか、わからない」
「それでいい」
「遥は?」
「……私も、全部出した」と遥が静かに言った。
また沈黙。「合格発表、3月10日か」と凜花がぽつりと言った。「十二日後だ」
「長いな」
「長い……悠真、彩花姉ちゃんに連絡した?」
「……あとでする」
「何て送るの?」
「『二次試験、受けた』それだけだ」
「……うん」
凜花がお茶を両手で包んで、窓の外を見た。
「ねえ、悠真」
「なに」
「私は、あの二日間、どこにいたの?」
「ん?」
「ずっと、頭の中で悠真の声が聞こえてた。数学で詰まった時も、国語で後回しにした時も。……気持ち悪い?」
「気持ち悪くない」と悠真が言った。
「……遥も?」
「……私は」遥がお茶を見つめた。「自分で戦ってた。でも、凜花の横顔が気になってた。ずっと」
「遥……」
「合格しよう、二人で」凜花が遥の手を握った。
部屋が静かだった。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。
※性描写を含みます。




