第19話 陸上部のユニフォームと彩花の研究課題
《《土曜日、朝》》
昨日のレストランで、結局、悠真と明美は大したことはなかった。
軽くワインを一杯。大学の世間話。別々に帰宅。それだけだった。凜花がホッとしたのが、隣に座っていた私にも伝わってきた。ただ、帰り際に明美が捨て台詞を残した。
「高橋彩花なんて女と付き合っていたら、ろくなことないのよ。でも、今でも彼女の研究課題を知りたいって……未練あるのかしら?私のほうがずっと良いのに」
あの瞬間、凜花がテーブルの下で手を握りしめていた。爪が白くなるくらい。「姉ちゃんを侮辱しやがって、あの香水女!」と拳を握りしめていた。
お姉さんを普段「あの女!」呼ばわりするくせに、他人に言われると腹が立つのね。凜花って、わかりやすい。
翌朝。
朝練が終わった凜花を拾って、高円寺の凜花の家に寄った。私服のままで悠真の部屋に行く前に、凜花が「ちょっと持ってくものがある」と言った。
玄関を開けると、凜花ママがいた。エプロン姿で、朝ごはんの後片付けの最中だった。
「あら、遥ちゃん!熱が下がったの?」……あ。そうだった。私は先週、死にそうな高熱を出していたことになっていた。
「はい、お陰様で……」
「良かったわあ。でも、学校サボって女子会ばっかりしちゃダメよ?まあ、遥ちゃんは凜花と違って成績いいもんね」
凜花がママの後ろで、思いきりあっかんべ~をした。
「凜花、見えてるわよ」とママが振り返りもせずに言った。凜花が舌をひっこめた。
凜花の部屋でバックパックに外泊道具を詰め込む凜花を眺めながら、私は窓の外を見ていた。
凜花の家を出て、一度私の部屋に寄った。部屋に入るなり、凜花がバックパックをごそごそと漁り始めた。
「じゃ~ん!」凜花が私に突きつけてきたのは……陸上部のユニフォーム。例のアレだ。
白。ぴっちり。タンクトップとショートパンツのセット。例のアレ。
「……凜花、何これ」
「私の予備!遥も着られるサイズだから持ってきたの!」
「持ってきたって……なんで私がこれを着るのよ!」
着た。有無を言わさず。私は服を脱がされて、それを着させられた。鏡を見た。
……パッツンパッツンだった。
ボトムの股の部分が完全に食い込んでいる。白だから余計にいろいろわかる。縦筋が……見えそうだ。
「凜花、これ、白なんだけど」
「陸上部は白なの!」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「可愛い!遥、足が長い!悠真、絶対ビビる!」
「これで電車乗るの?」
「まさか!この上にシャツとミニスカートを着て、コートで隠すのよ!悠真!これでどうだ!」
「私に『悠真!これでどうだ!』って言われても……」
凜花が嬉々として自分のユニフォームも着込んで、その上にシャツを羽織った。結局、私も白の陸上ユニフォームを下着代わりに着たまま、その上にシャツとスカートを穿かされた。
コートを着ると、外からは普通の女子二人に見える。中身が陸上部のユニフォームだとは誰も思わない。
人生初、陸上部のユニフォーム。
非常に恥ずかしい。というか、陸上部の女子って、こんなの下着なしで着て大会なんかに出場できるよね?みんな、頭おかしいんじゃないの!?
私は股間のスースーする感触に内股になりながら、凜花に手を引かれて悠真の部屋へと向かった。
《《土曜日、10時、悠真のマンション》》
悠真のマンションのエントランス、凜花は入退出モニターの悠真の部屋番をポチッと押す。
「悠真、お待たせ!女子高生二人参上!」
「午前中から、大声を出すんじゃない!近所迷惑だ!お待たせって……部屋のドアの鍵、開けとくから勝手に入って!」
マンション住人みたいなおばさんとすれ違った。私たちは丁寧にお辞儀した。パパ活と間違わないで!……金銭授受のない同様の行為はしているね……。
凜花がドアを開ける。悠真は、テーブルで書類を読みふけっていた。ズカズカ入る凜花。
ジャ~ン!とコートの前を大きく広げた。それを見た悠真が、
「普通だ。安心した」と言った。
「あらそう?」と凜花が私の後ろに回った。イヤな予感。
「ジャジャ~ン!」と私のフレアのミニの前をめくって悠真に見せる。
「お、おい!凜花ぁ~!!」
それだけじゃなかった。凜花は、フレアのホックを外して、ジッパーを下げた。床に落ちるスカート。眼が点になる悠真。空気抵抗を極限まで少なくする超ハイレグのボトムが悠真の前に……。は、はっずかしい~!
凜花はさらにハイレグの左右を上に持ち上げた。クロッチがアソコに食い込む。思わず膝をすり合わせてしまう。「コマネチ!」という凜花!ばっかやろう!
「凜花!私だって、いい加減怒るよ!自分でやれ!」なんて言っても聞くわけがない。私のシャツのボタンをぱっと外して、左右に広げられる。そして、胸を押し上げられた。
「ジャジャジャジャ~ン!どうだ!悠真!」自分でやれよ!
「凜花、遥が可哀想だろう?彼女はキミのオモチャじゃないぞ!」
「じゃあ、お言葉に甘えまして、ジャジャジャジャ~ン!」とスカートを落とし、シャツを広げ、トップスを上げて、オッパイを見せた。あ~あ、この子は……。天井を見上げてため息をつく悠真。
「ねえ、悠真、何読んでんの?」とそのまま平然とテーブルの悠真の隣の椅子に座る凜花。
「……凜花!胸を隠せ!」
「見たくないの?私のじゃなくて、遥のオッパイが見たいの?私のほうが乳輪と乳首、淡いピンクだよ」
私も対面に座った。もちろん、オッパイは見せないで。あ~、乳輪と乳首の色、関係ないだろ!私の方が濃いピンク?……あとで、比べてやる!
「昨日、明美からもらった彩花の研究課題のまとめを読んでいるんだ。凜花は知りたくないのか?」
「知りたい……」と急に真面目な顔をする。トップスを下げて胸を隠した。
「つまりだ……」と悠真が説明しだした。
《《悠真の説明》》
「タイトルにある『性差の縮小』。これがこの論文の最大のテーマだ。簡単に言うと、化学薬品を使って、人間の体から『男らしさ』や『女らしさ』を強制的に消去する研究だよ」
「消去……?」凜花が首を傾げる。
「例えば、ルプロレリンという薬がある。これを思春期の子どもに投与すると、性ホルモンの分泌が完全にストップする。エストロゲンもテストステロンも出なくなるんだ」
「知ってる。保健体育の授業で習った」と凜花。
「待って」と私が口を挟んだ。「それって、体が大人にならないってこと?ずっと子どものまま?」
「そうだ。第二次性徴を止める。医学的には『思春期ブロッカー』と呼ばれている」
「それを、薬で変えられるってこと?」
私は思わず、トップスで隠された自分の胸と、スースーしている股間を意識した。火曜日に産婦人科で凜花が処方されたピルは、妊娠を防ぐためにホルモンを「管理」するものだ。でも、彩花お姉さんが研究しているのは、ホルモンそのものを「殺す」薬だ。
「……でも、そんなことしたら体に悪いんじゃないの?」と凜花が素朴な疑問を口にした。
「その通りだ」悠真が重々しく頷く。「だから『ヤバい』んだ。骨密度がスカスカになって骨折しやすくなるし、筋肉も落ちる。なにより、卵子や精子が成熟しなくなるから、将来、完全に不妊になるリスクが高い」
「不妊……」凜花の声が少し震えた。
「もう一つ、シプロテロンアセテートという薬の考察も書かれている。これは男性ホルモンを完全にブロックする薬だ。でも、副作用として深刻な肝障害、うつ病、最悪の場合は髄膜腫……つまり、脳腫瘍を引き起こすリスクが指摘されている」
「ちょっと待ってよ悠真」私はたまらず身を乗り出した。「そんなの、ほとんど人体実験というか……毒薬じゃない!なんで彩花お姉さんは、そんな危険な薬の研究をしてるの?トランスジェンダーの人の治療のため?」
悠真が資料から目を上げ、じっと凜花を見た。
「……表向きのテーマは、ジェンダー医療だ。でも、明美が言っていた。『彩花の論文の視座はもっと過激だ』と」
「過激って?」
「この資料を読む限り、彩花は副作用のリスクを承知の上で、いかにして『男女の肉体的な非対称性』を完全にゼロにするか……その限界点を探っているように読める」
部屋が、しんと静まり返った。暖房が効いているはずなのに、背筋に冷たいものが走った。
「……姉ちゃんは」凜花が、ぽつりと言った。さっきまで「オッパイ見て!」とはしゃいでいた影は消えていた。
「姉ちゃんは、誰かを救うために研究してるんじゃない。……『男』と『女』っていう生き物自体を、憎んでるんだ。だから、化学の力でそれを壊そうとしてる……男の暴力と関係がある?」
「凜花……」
「ミネソタで、何かがあったんだよ。絶対に。男と女の違いのせいで、取り返しのつかない何かが」
「じゃあ、男のテストステロンを抑えたら……」と私が聞いた。
「暴力が減るかもしれない。でも、それだけじゃない。彩花の研究が過激だと言われている理由は、個人の同意なしに、社会全体のホルモン環境を変えることを示唆しているからだ」
「……え?」
「水や食品に微量のホルモン制御物質を混入させれば、理論上、集団のテストステロンレベルを下げられる。彩花の論文は、そこまで踏み込んでいるらしい」
私は黙って、テーブルの上の資料を見つめた。
「……それって」凜花がゆっくり言った。「世界中の男から、暴力性を取り除こうとしてるってこと?」
「乱暴に言えば、そうなる」
「本人の同意なしに?」
「そこが倫理的に問題だ。医学的にも危険だ。骨密度が下がる。不妊のリスクがある。長期的な副作用が未解明な物質も使っている」
「でも、彩花姉ちゃんはそれを研究してる」
「している」
凜花がテーブルの上で両手を組んだ。
「悠真、ミネソタで何かがあって、姉ちゃんは世界を作り変えたいと思った……って」
「彩花が?」と悠真が私を見た。
「化学は世界を理解するんじゃなくて、変えるんじゃないかって」
「……そうか」
「彩花は、ミネソタで何かを見た。それで、世界の作り方を変えようとしている。方法が……過激すぎるが」
「ヤバいね」と凜花が静かに言った。怒っていない。怖がってもいない。ただ、真剣だった。「姉ちゃんって、本当にヤバい人だ」
「ヤバい人だ」と悠真が言った。「でも、動機は……わからなくはない……かもしれない……わからん……」
しばらく三人とも黙っていた。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。
※性描写を含みます。




