第11話 録音
《《日曜日、午後6時半》》
チクショウ!と悠真は呟いた。頭を掻きむしった。あの女め!クソッタレ!
「……悠真、明日、あの子たちはここに来るんでしょう?凜花と遥が?……ねえ、私と美咲姉さんの代わりに、あの二人?凜花と遥?あなたも、凜花と遥の二人に、ちゃんと向き合うことをお勧めするわ」
もっとも痛いところを突きやがった!ぼくは……ぼくは……いや言い訳はよそう。成り行きとか言うんじゃない。事実だ、彩花の言ったことは事実だ。私と美咲姉さんの代わり……あの二人……凜花と遥……。『ぼくはぼく自身の意志で、誰かを好きになる。キミにもそれは同じだったはずだ』?本当にそうなのか?本当なのか?
悠真は、昨日の残ったバーボンをグラスに注いで、テーブルに突っ伏した。
《《日曜日、午後7時》》
凜花は気になって気になってしょうがなかった。姉ちゃんは夕方悠真の部屋に行くと言った。もう7時。7時って夕方?それとも夜?それとも……彩花姉ちゃんは仲直りして、悠真の部屋に泊まる?泊まるの?泊まっちゃうの?……き、気が狂う!
スマホをひっつかむと、悠真にLINEでメッセした。
リンリン:姉ちゃん、帰った?
すぐ既読がついて、返信があった。
悠真:30分前に帰った。
リンリン:良かった!泊まってくかと想像したら気が狂いそうになった!
悠真:なんでそういうことを想像するかな?
リンリン:良い。帰ったんだったら良い!
悠真:ああ、明日、来るだろう?明日、話そう。
リンリン:ヤダ!
悠真:え?
リンリン:今晩、行く!
悠真:今晩?
リンリン:遥も連れてく!
悠真:はぁ?
リンリン:待っててね!すぐ、行ぐ!
安心した……あら、外泊だわ……え~っと、遥に電話する。
「遥!彩花姉ちゃん、話し終わって帰ったって!」
「そうかぁ、明日、話し聞けるね?」
「明日?今日よ!今から四谷に行ぐ!」
「え?」
「あんたも行く!外泊の準備して、中野駅の東京方面のホームの新宿寄りの先頭で待ってて!」
「はぁ?」
「待ってて!……あ!私は今晩、遥の部屋に泊まるんだよ。あんたの体の具合が悪いから。そうママに言う」
「はぁ?」
「あ!今日はゴスロリはしない。私、洗濯してないもん。遥もゴスロリ着ちゃダメ!不公平よ!じゃあね、切るわよ!」
「はぁ?」
「ツゥツゥ……」
《《日曜日、午後7時35分》》
中野駅のホームで、私は凜花を待った。新宿寄りの先頭?ああ、四谷の階段の側だからか。
外泊の準備、といっても、洗面道具と下着を突っ込んだトートバッグひとつだ。着替えは……まあ、どうにかなる。どうにかなった前例が、金曜日にある。
凜花のことだから、走ってくるんだろうな?ママに外泊許可をとって、トートバックにブツを突っ込んで、え~っと、この次の電車かな?あの子のことだから、ドアから「乗って!」とか言い出しかねな……、って、来た!ドアから叫んでる。「遥、乗って!」……読み通りだね。わかりやすいよ。
凜花が着てきたのは、ジーンズにダッフルコート、マフラーをぐるぐる巻きにして、大きなリュックを背負っている。頬が赤い。走ってきたのか、それとも興奮しているのか、たぶん両方だ。
「遥!待った?」
「五分」
「ごめん!ちょっと着替えてたの」
「ゴスロリじゃないのね」
「洗濯してないって言ったじゃない!」
日曜の夜の中央線は空いている。並んで座る。凜花が重そうなリュックを膝に抱えた。何を持ってきたんだ?
「……お姉さんと悠真、どんな話をしたんだろうね」
「さあ」
「喧嘩したのかな?」
「LINEの文面からは読めない」
「でも、帰したんだよね。泊めなかったんだよね?それは……良かったと思う……でね、凜花?」
「なに?」
「今夜、何をしに行くの」
凜花は少し黙った。
「……悠真の顔を見に」
「それだけ?」
「……それだけじゃ、ダメ?」
「遥付きで?」
「遥がいないとダメなの!」
そうなんだよね。私もそうだから。
四谷の駅で降りて、いつもの坂道を上る。冬の夜の空気が、マフラーの隙間に入り込んでくる。凜花が私の腕にしがみついた。
「遥、緊張する?」
「する」
「私も」
「……凜花、モンブラン、おいしかったよ」
「え?」
「今更だけど。朝から何時間もかけて作ったんでしょ。彩花お姉さんに食べさせるために」
「……うん」
「あの人、おいしいって言ったね」
「言った」
「それは本当だったと思う」
凜花が少しだけ、私の腕を強く握った。インターホンを押す。少しの間があって、悠真さんの声がした。
「……凜花か?」
「うん。遥も一緒」
「……上がっておいで」
エレベーターの中で、凜花が私を見た。メガネ越しに、彼女の目が少し潤んでいる。
「遥、ありがとう」
「何が」
「来てくれて」
「どうせ暇だったし」
嘘だ。全然暇じゃなかった。でも、そういうことにしておく。
ドアが開いた。悠真さんが立っていた。髪が少し乱れている。テーブルの上に、バーボンのグラスが一つ。凜花が、黙ったまま、悠真さんに抱きついた。
悠真さんは少しだけ目を閉じて、彼女の背中に手を回した。
私は、ドアの脇で、そっとトートバッグを床に置いた。
見覚えございます?——この部屋の空気に、また戻ってきた。
《《レコーダー》》
もう見慣れた部屋に入った。戻ってきた……って、まだ、今日は日曜日だよ?慣れちゃったの?私?
凜花がダッフルコートを脱ぐと悠真のベッドの方に投げつけた。私のコートも脱がされてベッドに投げつける。ちょっとぉ、このままベッドになだれ込むわけじゃないでしょうね?凜花だったらやりかねない。
凜花がダイニングの椅子に重そうなリュックを置いて、ジッパーを開いた。テーブルにウイスキーを二本、ドンと。
「悠真がバーボンを呑んでるから、パパの出張土産をギッてきました!ワイルドターキー、12年!720mlじゃない1リットル!」
「それで、リュックが重そうだったんだね?」
「ちょっと待て!今晩も飲むのか?明日は月曜日だぞ!学校は?」
「ママには、遥が高熱で一人暮らしで死にそうになってるから、外泊します!と言った。明日は、担任に電話して、遥が死ぬから病院につきそいで行きます!と言う。だから、明日は休み!どうせ、三学期なんだから、休んでも無問題よ!」
私と悠真さんは顔を見合わせて、同時に「やれやれ」と言ってしまった。感染った!
凜花がダイニングにドシンと座る。私も彼女の横にそっと座った。悠真さんは、キッチンに行って、グラスと氷を用意している。
「悠真、もう私たちに飲ませるの?酔っ払わせて何するつもり?」と凜花。酒を持ってきて何を言ってんだろう?
「キミがバーボンを持ってきたんだから、飲むんでしょう?」とアイスバケットをグラスを三つ持って、テーブルに座った。
「飲んでやるか、しょうがない……」あ~あ。
悠真がドバドバとロックで作って、グラスを渡してくれた。乾杯はなし。そういう気分ではないのだ。
「それで、姉ちゃんと何を話したの?」とウイスキーをグビリとのんで身を乗り出す凜花。
「まあ、これを聞けばわかる」と悠真さんがポケットからスマホを出して、テーブルに置いた。
「え?録音してたの?」
「大事な話だからね。人間なんて、聞いているようで聞いていないから、録音しておいたんだ。それを何かに使おうとか、思わないで欲しい」
「うん、了解」
悠真さんがスマホのレコーダーアプリを立ち上げた。彩花お姉さんの声がスピーカーから響いた。
「急にごめんね。実家から引き上げてくる途中で寄ったの」
「……いや、いいよ。入れよ」
「悠真。大事な話があるの……四月から、NYに行くことになったわ。九月には本留学になるから、しばらく戻らない」
「……NY?それ、いつ決まったの?」
「夏ごろには、ほぼ確定してたわ」
「そう。おめでとう。彩花の研究が評価されたんだね。……でも、なんで今まで黙ってたんだ?」
「言う機会がなかっただけよ。それに、あなたをNYには連れて行けないしね」
「……」
「でも、安心して。私がいない間の悠真のお世話、凜花に譲るわ」
「……譲る?」
「そうよ。凜花、悠真のこと好きみたいだし。あなたも凜花のこと、嫌いじゃないでしょ?ちょうどいいじゃない」
「ふざけるな!」
ふざけるな!という悠真の大声が響いたところで、凜花がポーズボタンを押して再生を止めた。
「姉ちゃん……酷い……」と凜花が泣き出した。ティッシュを渡した。
私は凜花の背中をさすりながら、悠真さんを見た。悠真さんは黙ってウイスキーを一口飲んだ。止めなかった。凜花が泣くのを、ただ見ていた。
しばらくして、凜花がティッシュで目を押さえながら言った。
「……続き、聞く」
悠真さんがスマホのボタンを押した。
バンッ!とテーブルを叩いた音。
「彩花、キミはぼくをなんだと思ってるんだ?所有物か?それとも、凜花が言っていたように『干物』か!?」
「悠真、急に大声を出して……何を怒っているの。結果的に皆が合理的に収まる選択じゃない」
「人間は数式じゃないんだよ!ぼくはキミのペットじゃないし、妹に回すお古のオモチャでもない!」
凜花がまたティッシュを目に当てた。私は黙って聞いていた。彩花お姉さんの声が続く。淡々と、昨日の高円寺のお茶会の内容を語り始める。凜花の東大受験の話。勉強を見てあげてくれる?適任だと思うわ。凜花が怒ったこと。可愛いでしょう?本人は大真面目なんでしょうけど。
私のことが出てきた。
「遥ちゃんも、凜花の味方をしていたわ。あの子、頭が良いのね。熱っぽくなる凜花をなだめる、良いストッパー役だわ」
凜花が私を見た。私は苦笑いした。ストッパー役。そうか、私はそう見えたのか。
録音は続いた。
「凜花が言っていたんだが、キミはミネソタで何かの事件に巻き込まれて、それから変わっちゃったと言っていたぞ。その話をぼくは詳しく聞きたい」
「凜花に聞かれたわ。答えてあげると約束したの。合格したら、ね。……それで十分な動機になると思って」
「ぼくには話してくれないのか?」
「悠真に話したら、あなたは凜花に話すでしょう?それでは、動機がなくなっちゃうわね。だから、凜花が合格したら、その後、二月に、あなたにも凜花にも遥ちゃんにも話してあげる。だから、知りたかったら、私の大事な妹の家庭教師をお願いするわね」
「……動機」
「……キミにとっては、全部、別の話なんだな」悠真の声は静かだった。
「……どういう意味?」
「ぼくへの気持ちも、凜花への気持ちも、ミネソタで起きたことも。全部、別の引き出しに入っていて、それぞれに蓋がしてある」
「……」
「ぼくは、キミの引き出しの一つだったんだな。NYに持っていけない引き出し」
「悠真……」
「ぼくは譲渡品じゃない」
椅子を引く音。
「ぼくは譲渡品じゃない。キミが凜花に譲ろうが、凜花がぼくを奪おうとしようが、そういう話じゃないんだ。ぼくはぼく自身の意志で、誰かを好きになる。キミにもそれは同じだったはずだ。違うか?」
「……違わない」
「なら、最後に一つだけ頼む。凜花に、ちゃんと向き合ってやってくれ。あの子はキミのことが好きなんだ。妹として。それだけは、引き出しに仕舞い込まないでくれ」
ここで悠真さんが再生を止めた。でも、レコーダーのメーターはまだある。凜花も気付いた。「悠真、残りがあるわ」
「最後の彩花の言葉は……キミたちに聞かせたくないんだ……ぼくは、ぼくを恥じている……」
「でも、聞かなくちゃ」と凜花が感情のない声で言った。
悠真さんが再生ボタンを押した。
「……悠真、明日、あの子たちはここに来るんでしょう?凜花と遥が?……ねえ、私と美咲姉さんの代わりに、あの二人?凜花と遥?あなたも、凜花と遥の二人に、ちゃんと向き合うことをお勧めするわ」
玄関のドアが閉まる音。
…………
カチッ、と録音が止まった。
三人とも、しばらく黙っていた。
凜花が先に口を開いた。
「……姉ちゃん、全部わかってたんだね」
「ああ」と悠真さんが言った。
「これで終わり?」
「ああ。ぼくは彩花の最後の言葉に何も言えなかったんだ」
悠真さんはグラスを置いて、凜花を見た。
「ぼくは譲渡品じゃない。それだけだ」
凜花がまたティッシュを目に当てた。今度は泣き声は出なかった。ただ、黙って目を押さえていた。
私はウイスキーを一口飲んだ。喉が少し焼ける。
「悠真さん」と私は言った。
「なに?」
「録音、消さないでください」
悠真さんが少し首を傾けた。
「なんで?」
「凜花が合格したとき、聞き返すと思うから」
凜花がティッシュを顔から離して、私を見た。目が赤い。
「……遥」
「なに?」
「ありがとう」
「うるさい」
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。
※性描写を含みます。




