表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/31

第10話(2) ぼくは譲渡品じゃない2

《《土曜日、深夜》》


『あのね、お姉さんは、そうね。でも、それも火曜日に話したじゃない?私は、研究を取るの。それだけよ、だって!それだけよって……』

『火曜日?それは知らないけど……』

『火曜日に、高円寺の家にお姉さんが帰ってきて、凜花と言い合いをしたんだって。私は知らないの』


『凜花、火曜日に彩花と何を話したんだ?』

『……あの……その……姉ちゃんは私と悠真の関係を察していると思う。もしかしたら、遥とのことも……』

『勘がするどいんだ、彩花は。彼女にウソはつけない。彼女はウソをつかない。思っていることをそのまま口にする女なんだ……』

『わかっていて、譲るわ、なんてあの女は言うの?悠真はものじゃないのに!だから、譲らなくて結構です!お古を妹に回すみたいに言うなあ!私は私で悠真を奪う!悠真に好きになってもらえるようにする!……って、宣言しました……恥ずかしい……』

『ちょっと譲るは酷すぎるな……』

『でもさ、私が、悠真を、置いていくのが姉ちゃんは、悔しくないの?って聞いたら、悔しいって言ってた。少なくとも悔しいとは思っているわ。でもさ、でもさ、それでも、私は研究を取るの。それだけよ、って言い張るのよ!』

『……』

『私が、自分で、悠真に向き合うって言ってやったわ……だけどね、その答えが、そう。それでいいんじゃない、なのよ。私のほうが悔しい!キィ~!』

『だいたい、わかった』


『悠真さん、捕捉します。凜花が三位一体の話をし始めたけど、お姉さんはよく飲み込めなかったみたい。普通そうだからね。それは後で凜花に聞いてね。で、最後に凜花が、ミネソタで何が有ったの?姉ちゃん、あのあと、変わっちゃったよ……って尋ねた。お姉さんはちょっと言葉が出なかったけど、あなたが合格したら、答えてあげる。そのあと、私はアメリカに飛ぶって言った』

『ミネソタの話が、合格の景品になったんだ……』

『そう、お姉さんは、捨て台詞で、それでいいわね?小娘!ってピシャリ!』

『やれやれ……明日が憂鬱になってきた……』


《《日曜日、午後》》


 インターホンが鳴り、悠真がドアを開けると、大きめのトートバッグを持った彩花が立っていた。


 無駄な装飾の一切ない上質なネイビーのトレンチコートに、首元まで隠れるライトグレーのハイネックニット。足元は機能的なローヒールのパンプス。彩花らしい、と悠真は思った。


「急にごめんね。実家から引き上げてくる途中で寄ったの」

「……いや、いいよ。入れよ」


 彩花が部屋に入る。昨日、白と黒のゴスロリが並んで座っていたダイニングの椅子に、彼女は腰を下ろした。悠真はコーヒーを淹れながら、昨夜遥から言われた「サッサと宣言すればいいでしょ」という言葉を反芻していた。


「悠真。大事な話があるの」彩花がタブレットをテーブルに置きながら言った。「四月から、NYに行くことになったわ。九月には本留学になるから、しばらく戻らない」


 悠真はコーヒーカップをテーブルに置き、彼女の正面に座った。


「……NY?それ、いつ決まったの?」知らないフリをするのも、存外エネルギーがいる。

「夏ごろには、ほぼ確定してたわ」

「そう。おめでとう。彩花の研究が評価されたんだね。……でも、なんで今まで黙ってたんだ?」


 彩花は悪びれる様子もなく、悠真の目を真っ直ぐに見た。

「言う機会がなかっただけよ。それに、あなたをNYには連れて行けないしね」

「……」

「でも、安心して」彩花はふふっと笑った。「私がいない間の悠真のお世話、凜花に譲るわ」


 ドクン、と悠真の胸の奥で何かが弾けた。金曜日に遥から聞いてはいた。しかし、いざ本人の口から直接聞くと、その「譲る」という言葉の持つ圧倒的な傲慢さに、血が沸騰するのを感じた。


「……譲る?」悠真の声が一段低くなった。

「そうよ。凜花、悠真のこと好きみたいだし。あなたも凜花のこと、嫌いじゃないでしょ?ちょうどいいじゃない」

「ふざけるな!」


 バンッ!と悠真がテーブルを叩いた。コーヒーカップが跳ねて、茶色の液体がこぼれる。彩花が初めて、驚いたように目を見開いた。


「彩花、キミはぼくをなんだと思ってるんだ?所有物か?それとも、凜花が言っていたように『干物』か!?」

「悠真、急に大声を出して……何を怒っているの。結果的に皆が合理的に収まる選択じゃない」

「人間は数式じゃないんだよ!ぼくはキミのペットじゃないし、妹に回すお古のオモチャでもない!」


「怒るのも無理ないわね。でも、私は思ったままを言ったまで。昨日ね、凜花と彼女の親友の遥に会ったわ。いろいろ話した。何を話したのか、知りたい?」

「……何を彼女たちと話したんだ?」

「昨日ね……」


 彩花はバッグからティッシュを出し、テーブルにこぼれたコーヒーを無機質に拭き取りながら続けた。


「凜花がね、あなたと同じ大学を受けるって言い出したの。遥ちゃんも一緒に。勉強を見てあげてくれる?あなたなら凜花の弱点を把握しているでしょうし、適任だと思うわ」

「……それだけか?」

「凜花はね、私があなたを譲るって言ったら、ずいぶん怒っていたわ。譲るな、私が奪う、って」


 彩花は、手のかかる妹を思い出すように、少しだけ口角を上げた。


「可愛いでしょう?本人は大真面目なんでしょうけど。あの子をやる気にさせるには、十分な『動機』になったわ」


 土曜日の深夜に電話で聞いた、二人の震えるような声。それと同じ出来事が、彩花の口を通した瞬間に、冷たい管理データへと書き換えられていく。


「……遥は、何て言ってたんだ」

「遥ちゃんも、凜花の味方をしていたわ。あの子、頭が良いのね。熱っぽくなる凜花をなだめる、良いストッパー役だわ。彼女がそばにいるなら、私も安心してあなたを任せられる。私の妹ですもの。動機がどうあれ、大学受験がうまくいけばいいことだわ」


 悠真は、自分の指先が冷えていくのを感じた。遥はそんな安全な場所にいなかった。彼女は震えながらも凜花の横に立ち、共犯者として彩花に向き合っていたはずだ。だが、彩花には何も見えていない。


「……彩花。凜花が三位一体の話をしなかったか?」

「ああ、したわよ。カトリックの図形がどうとか。正直、よくわからなかったわ。凜花らしい突飛な発想だなって」

「凜花が言っていたんだが、キミはミネソタで何かの事件に巻き込まれて、それから変わっちゃったと言っていたぞ。その話をぼくは詳しく聞きたい」

「凜花に聞かれたわ。答えてあげると約束したの。合格したら、ね。……それで十分な動機になると思って」

「ぼくには話してくれないのか?」

「悠真に話したら、あなたは凜花に話すでしょう?それでは、動機がなくなっちゃうわね。だから、凜花が合格したら、その後、二月に、あなたにも凜花にも遥ちゃんにも話してあげる。だから、知りたかったら、私の大事な妹の家庭教師をお願いするわね」

「……動機」


 凜花がミネソタのことを尋ねたのは、姉への切実な問いかけだったはずだ。しかし彩花にとっては、妹を受験勉強に向かわせるための「報酬」に過ぎない。


「……キミにとっては、全部、別の話なんだな」悠真の声は静かだった。

「……どういう意味?」

「ぼくへの気持ちも、凜花への気持ちも、ミネソタで起きたことも。全部、別の引き出しに入っていて、それぞれに蓋がしてある」

「……」


 彩花は何も言わなかった。


「ぼくは、キミの引き出しの一つだったんだな。NYに持っていけない引き出し」

「悠真……」

「ぼくは譲渡品じゃない」


 悠真は椅子から立ち上がった。


「ぼくは譲渡品じゃない」悠真は続けた。「キミが凜花に譲ろうが、凜花がぼくを奪おうとしようが、そういう話じゃないんだ。ぼくはぼく自身の意志で、誰かを好きになる。キミにもそれは同じだったはずだ。違うか?」

「……違わない」

「なら、最後に一つだけ頼む」悠真はテーブルの上の、彩花のタブレットを一瞥した。「凜花に、ちゃんと向き合ってやってくれ。あの子はキミのことが好きなんだ。妹として。それだけは、引き出しに仕舞い込まないでくれ」


「……悠真、明日、あの子たちはここに来るんでしょう?凜花と遥が?……ねえ、私と美咲姉さんの代わりに、あの二人?凜花と遥?あなたも、凜花と遥の二人に、ちゃんと向き合うことをお勧めするわ」


 彼女はゆっくりと立ち上がり、コートの襟を整えると、感情の読み取れない横顔で部屋を後にした。



※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。

※性描写を含みます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ