第10話(1) ぼくは譲渡品じゃない1
《《土曜日、夕方》》
高円寺の凜花の家。
私はリビングのソファーで、彩花お姉さんと向かい合って座っていた。
「へえ、NYの提携先へ。すごいですね、彩花お姉さん」
「夏ごろにはもう打診があったのよ。遥ちゃんも留学を考えているなら、今のうちからGPAの管理とTOEFLのスコアメイクは必須よ。どこの大学を狙うにしてもね」
お姉さんは紅茶を飲みながら、理路整然と留学のアドバイスを口にする。私は「なるほど、参考になります!」と優等生の顔でメモを取るフリをしていた。
(夏から決まっていて、悠真さんには黙ったまま、妹の親友にまであっさり喋るんだ)
「お待たせ。デザートできたよ」
キッチンから、エプロン姿の凜花がトレイを持って現れた。
テーブルに置かれたのは、繊細な糸のように絞り出されたマロンクリームが山のように重なり、頂点には艶やかな渋皮煮の栗が飾られている、完璧なフォルムのモンブランだった。
あの生栗から、本当に作っちゃうのだもの。横で見ているだけで、手伝う必要などなかった。
昨日の夜、四谷の1Kで悠真さんのモノを咥えていたのと同じ唇が、「はい、どうぞ」とすましている。私は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「美味しい。凜花は本当に家庭的ね」彩花お姉さんがフォークでモンブランを崩し、一口食べて、妹を評価するように目を細めた。「こういうスキルは大事よ。誰かさんのお世話にぴったりだわ」
ピクッ、と凜花の眉が動いた。
「……誰かさんって誰よ」
「さあね。凜花の彼氏かしらね」
彩花お姉さんは涼しい顔で、極上のモンブランを口に運ぶ。
私はテーブルの下で、凜花の足をそっと蹴った。余計なことを言うな、という合図。凜花も不満そうに黙り込む。私は紅茶を啜りながら、腹の底で意地の悪いことを考えた。
(彩花お姉さん、あなたの誰かさんは、今日の朝まで、目の前にいる妹とその親友をしゃぶり尽くしたんですよ)
一通り留学の話は終わった。凜花は興味なさそうだったが、どうせ悠真さん、彩花お姉さんと同じ大学行くなら(って、私だってまだ合格するか、わからないけど)、お姉さんと同じく、留学だって視野に入れていい。参考になった。
「それで、凜花、あなたは大学どうするの?筑波とかを受けるの?飯田橋の理系大学もあるけど?」と唐突に凜花に話題を振った。
「わ、私は……姉ちゃんと悠真と同じ大学を受ける!決めたんだ!」
「あらあら、偏差値、届かないのじゃないの?」
「来週から特訓をする。まず、S台の模試の成績を見て、弱点を強化する。それで、共通一次。最後に二月の二次試験。絶対に受かってやる!」
「へぇ~、物理と化学は?悠真に見てもらう?それに、共通一次、文系科目もあるわね?」
「悠真に数学と物理と化学、遥に国語と地歴公民を習う。英語は自力でなんとかなると思う。遥も同じ大学を受けるのよ」
「あらあら、遥も大変ね……三人でするのね?」
私は『三人でするのね?』にドキッとした。お姉さん、お見通しなの?
「姉ちゃん、もしも、合格したらお願いがあります」
「悠真のこと?それは、もう火曜日に話したでしょう?『譲る』って」
「悠真はものじゃない!譲るもんじゃないでしょ!まず、悠真に留学の話をして!」
「明日の夕方にするつもりだったのよ。それでいいでしょ?」
「よくない!ちゃんと悠真と向き合って!姉ちゃんはずっとそうだよ!何でも自分の思い通りにして、全部コントロールして、悠真のことだって、NYに行くって決めた瞬間から、もう『終わり』にしてたんでしょ!なのに言わないで、ずるずると『彩花の日』を続けて……それって、悠真に対してひどすぎる!」
「そうね。でも、それも火曜日に話したじゃない?私は、研究を取るの。それだけよ」
ひどい!お姉さん、ひどすぎる!
凜花がブルブル震えている。拳を固めた。ちょっと、暴力はダメ!
「姉ちゃんは、姉ちゃんは……姉ちゃん、三位一体って知ってる?」
「え?何よ、急に?あの、カトリックの変な図形よね?父と子と精霊の御名によって、とかいう?」
「そうよ。姉ちゃん、あなたの三角図形の中心は誰?」
「……神、でしょ?」
「違うわよ、あなたの図形の中心は、『私』よ」
「??」
「私の三位一体の図形の中心は……『愛』よ」
「凜花、わけわかんないこと、言わないで!」
「遥と悠真とよくわかっていると思う。そうでしょ?遥?」と私に振られた。
なるほど。お姉さんの図形は、三角形の中心は『私』なのだ。その周りの三つの頂点は、他人。美咲お姉さんや凜花、悠真さんがいる。でも、それは誰でもいいのだ。互換的だ。
凜花の三角形の中心は『愛』だ。抽象的かもしれない。だけど、その周りの三つの頂点の中には、凜花がいる。残りの二つは悠真さんと私だ。
「彩花お姉さん、私も凜花の言うことが正しい?違うな?現状を表現するのに合致する例えと思います」
「考え方の相違かしら?」
「そういうものじゃないと思います」
「とにかく、姉ちゃん、悠真に会うなら、火曜日に私に言ったことを悠真にもちゃんと言って!」
「もちろんよ。私がオブラートに包んだ話でもすると思ってるの?」
「……それで、悠真は譲ってもらわなくて結構です!私が奪う!」
「それもご勝手にどうぞ」
「……姉ちゃん、もうひとつ聞いていい?」
「なんでもどうぞ」
「ミネソタで何が有ったの?姉ちゃん、あのあと、変わっちゃったよ……」
「……」
「答えられないの?ねえ、なぜ?なぜなの?」
「……凜花、大学の合格発表は、確か、三月上旬よね?」
「うん、そうだけど?」
「あなたが合格したら、答えてあげる。そのあと、私はアメリカに飛ぶ」
「……」
「それでいいわね?小娘!」
《《土曜日、深夜》》
四谷の1K。悠真は一人、スマホを耳に当てていた。
スピーカーからは、興奮した凜花の声と、それをなだめる遥の困ったような声が交互に聞こえてくる。高円寺での「お茶会」を終えた二人は、そのまま遥のマンションに転がり込んだらしい。
『……それでね悠真!私、言ってやったの。お姉ちゃんの中心は「私」だけど、私の中心は「愛」なんだからね!って!』
『……もう、凜花、声が大きい。近所迷惑よ』
『いいじゃない、遥!あの時、遥も言ってくれたよね?凜花の図形こそが「現状に合致してる」って!』
悠真は、凜花の興奮した説明がよくわからなかった。
『凜花、キミは興奮しすぎていて、話がよくわからない。遥に説明させて欲しい……』
『わかった……遥、私の説明じゃわかんないって。うまく説明して!』
『ええっと、今日、彩花お姉さんと会った口実が留学の話を聞きたいだったから、その話をし始めたの。それで、私も参考になったんだけど、凜花はあんまり興味なさそうだった』
『遥、それは関係ないでしょ!留学の話は端折ってよ!』
『うん、ゴメン。お姉さん、シニカルだよねえ。悠真さんはお姉さんと付き合っていて、よく疲れないよね?』
『遥!それも関係ないでしょ!話した内容だけそのまま説明すれば良いじゃん!』
『私の感想を言うな!ってことね。わかったわ……』
遥は、留学の話の後の、彩花が凜花の大学受験のことを聞きだしたところから話し始めた。
『お姉さんが、それで、凜花、あなたは大学どうするの?筑波とかを受けるの?飯田橋の理系大学もあるけど?と凜花に聞いて、凜花は、姉ちゃんと悠真と同じ大学を受ける!決めたんだ!と言ったの。そしたら、お姉さんが、あらあら、偏差値、届かないのじゃないの?って凜花をバカにした言い方してさ……』
『あいつも酷いな……』
『そぉでしょう?私、怒ったわよ。それで、来週から、悠真さんに数学と物理と化学、私に国語と地歴公民を習うという話をした。私も同じ大学を受けるってことも』
『なるほど』
『そしたらさ、お姉さんが、あらあら、遥も大変ね……三人でするのね?って言うから……お姉さん、気づいてない?』
『……』
『それで、凜花が、姉ちゃん、もしも、合格したらお願いがあります、って言い出したの?』
『凜花は彩花に何をお願いしたんだ?』
『そしたらね、お姉さんは、お願いが何か聞かないで、悠真のこと?それは、もう火曜日に話したでしょう?譲るって……こういうのよ!譲るって何?失礼でしょ?』
『……それで?』
『凜花が怒ったの!悠真はものじゃない!譲るもんじゃないでしょ!まず、悠真に留学の話をして!って言ったの。そしたら、お姉さんが、明日の夕方にするつもりだったのよ。それでいいでしょ?って答えたの。悠真さん、明日、そっちにお姉さんは行くつもりよ。喧嘩にならなければいいんだけど……』
『遥、心配してくれてありがとう』
『その続きは、凜花が、よくない!ちゃんと悠真と向き合って!姉ちゃんはずっとそうだよ!って喧嘩腰で言ったのよ。そしたらさ、そしたらさ……悠真さん、ショックを受けないでね……あのね……』
『なんて彩花は言ったんだ?』
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。
※性描写を含みます。




