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第3話 白と黒

《《木曜日、深夜》》


 ダイニングテーブルに、悠真一人が座っていた。


 バーボンのロックグラスを手の中で転がしながら、さっきまでの出来事を反芻している。


 白いゴスロリ。


 ドアを開けた瞬間、固まった自分を思い出す。凜花の黒と同じ構造で、全く違う色の女の子が立っていた。


 あれは反則だ、とぼくは思う。でも、八重樫遥という人間の誠実さは、本物だった。

 バーボンをあおった。


 なぜ、彩花はぼくに黙っているんだ。NY。四月。しばらく戻らない。


 凜花が知っている。遥が知っている。ぼくだけが知らない。彩花の彼氏であるはずのぼくが、一番最後に知らされる。


 まず、ぼくに相談すべきだろう。凜花はともかく、遥が知っているなんて……。


 グラスをテーブルに置いた。


 八重樫遥の言葉が、頭の中で繰り返される。


「凜花は今、模試も陸上も、全部中途半端になりそうです」

「凜花には聞けません。あの子は自分の気持ちに正直すぎて、悠真さんの答えを聞く前に暴走する。だから私が先に来ました」

「このままじゃあ、彼女は絶対に……絶対に壊れて心を閉ざします」


 頭を両手で抱えた。彩花のことはまだ時間がある。彩花とも向き合わないといけない。でも今、ぼくが心配しているのは凜花だ。悠真はタブレットを開いた。模試のスケジュールを調べる。


 S台共通テスト模試。12月6日。二週間しかない。


 凜花に電話しようとして、手が止まった。遥の声が蘇る。「幸せそう、ではないです。今は」


 今のぼくが電話したら、逆に凜花の心を逆撫でするかもしれない。あの子のことだ。「悠真の声を聞いたら、また泣く」とか「怒鳴ってしまう」とか、そういうことになりかねない。


 悠真は迷った。


 それからスマホを取り上げて、さっき着信のあった番号を呼び出した。コール三回で、出た。


「もしもし、悠真さんでしょう?登録してあったから表示が出てました。え~っと、何か……」

「八重樫さん、遅く電話してゴメン」

「遥で大丈夫です」

「……遥。凜花に連絡しようと思ったんだけど、それは今、逆効果かもしれないと思って」


 電話の向こうで、少し間があった。遥はちょっと考えた。干物が……家猫が……野良猫が……。


「私も逆効果と思います」

「でも、急いで直接話さないとダメだと思う。キミが言った『このままじゃあ、彼女は絶対に壊れて心を閉ざします』になる。それに全国模試まで後二週間しかない。明日にでも彼女に会わないと……」


 悠真は一瞬だけ止まってから、続けた。「いや、正直に言う。ぼくは彼女に会いたいんだ」


 遥はその言葉を、黙って受け取った。胸のどこかが、静かに痛んだ。でも遥は、それを飲み込んだ。


「でも、私は第三者で……」

「キミなら、凜花を引きずってでもここに来させられると思う」

「え?でも、そうしたら、私が悠真さんに会ったことがバレて……」

「確かに……それはマズイか……」


 沈黙。


「いえ、いいです」遥は言った。「私がなんとか凜花に説明します。明日で良いんですか?」彩花お姉さんは明日も実家だよね、と遥は頭の中で確認した。

「明日で構いません。夕方、六時には部屋にいるようにします」

「わかりました。……あの」

「なに?」

「さっきの言葉……『彼女に会いたい』って言った、それ、ちゃんと凜花に言ってあげてください。あの子はそれを聞きたいんだと思うので」


 悠真は少し間を置いてから、答えた。


「……うん。言う」

「では、明日」


 遥は切れた電話を見つめていた。スマホを胸の上に置いて、天井を見上げた。「彼女に会いたい」という悠真の声が、まだ耳の中に残っていた。


 あの人は、凜花のことが好きだ。わかっていた。でも声で聞くと、また違う重さで落ちてくる。


 遥はメガネを外した。暗い天井が、ぼやけた。


 ……良かった。凜花が好きになった人が、ちゃんと凜花を好きで。そう思いながら、遥は目を閉じた。胸が痛いのか、温かいのか、もう自分でもわからなかった。


《《金曜日、朝》》


 凜花のスマホに、遥からLINEが届いた。


『おはよ。今日の放課後、絶対予定入れないで。大事な話がある』

 凜花は寝ぼけ眼でそれを読んで、「なに?」と返した。

『直接話す。部活も今日は休め』

『は?部活休めって、どういうこと?』

『いいから。信じて』


 凜花はしばらくスマホを眺めていた。遥がこういう言い方をする時は、本気の時だ。三年間の付き合いで、それだけはわかっている。


『……わかった』そう返信して、凜花はベッドから起き上がった。


《《金曜日、放課後》》


「どこ行くの?」


 校門を出たところで、遥が凜花の腕を掴んだ。


「まず、凜花の家」

「なんで?」

「持ってくのよ」

「何を?」

「いいから」


 遥が凜花の家まで彼女を引きずっていった。遥はズカズカ玄関を上がると、まっすぐ凜花の部屋のクローゼットに向かった。


「ちょっと!人の部屋で何してるの!?」


 遥はハンガーを一本引き抜いた。黒のゴスロリ。まだ洗っていない、あの衣装。


「着て」

「は?」

「着て、凜花」

「なんで!?どこ行くの!?」

「四谷」

「だから、なんで四谷!」


 遥は凜花の目を真っ直ぐ見た。


「悠真さんが、凜花に会いたいって言った」


 凜花の手が止まった。


「……どういうこと」

「そのままの意味。だから着て」


 凜花はしばらく遥を見ていた。それからゴスロリを受け取った。


「……遥、これまだ洗ってないんだけど」

「知ってる」

「なんで知ってるの」

「いいから着て」


 凜花が着替え始めた。遥はその間に、スクールバッグから畳んだ布を取り出した。


「遥、それ……」

「白」


 遥は答えながら、鏡の前でゴスロリを広げた。白のティアードミニスカート。白のニットトップ。白いレースのニーハイストッキング。


「学校に持ってきてたの?」

「うん」

「……最初からそのつもりだったんじゃない」


 遥は答えなかった。


 二人が着替え終わった。鏡の前に並んで立った。


 黒と、白。


 凜花が鏡の中の二人を見て、少しだけ笑った。


「……似合う?」

「似合う」と遥は答えた。「凜花の黒は凜花にしか着られない」

「遥の白も、遥にしか着られないよ」


 遥はそれには答えなかった。メガネのブリッジを押し上げて、レインコートを羽織ってバッグを持った。


「凜花もトレンチコートを着て。電車乗れないでしょ?」

「……うん」

「行くよ」

「……うん」


 二人は駅に向かって歩き出した。黒のトレンチのノッポの凜花と、ベージュのレインコートの遥が並んで歩く。


《《四谷、夕方六時》》


 二人は悠真の部屋のドアの前でコートを脱ぎ捨てた。


 ピンポーン。


 ドアが開いた。


 悠真が、凜花を見た。凜花が、悠真を見た。


 そして悠真は、その隣に立つ遥を見た。


 白いゴスロリの遥が、真顔で立っていた。


 悠真が、固まった。


「……」

「……」


 沈黙が三秒あった。


「見覚えございます?」と遥が静かに言った。


「凜花の黒と……キミの白」と悠真がようやく言った。「反則だろ、それは」

「そうですか」遥は表情を変えなかった。「では、入れてもらえますか」


 悠真が、扉を大きく開けた。


「入って」


 凜花が中に入った。

 遥が下がって戻ろうとすると、凜花が振り返った。


「遥も来て」

「……私は」

「来て」


 有無を言わせない声だった。


 遥は小さく頷いて、部屋に入った。


 ドアが閉まった。


 三人が、同じ空間にいた。黒と白のゴスロリが、四谷の夕暮れの中に並んでいた。



※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

※飲酒喫煙シーンが書かれてあります。

※性描写を含みます。

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