32話
誰もいないだろうと思っていた屋上にはすでに先客がいた。その人は私の声が聞こえたのか、おもむろに振り返った。
「…….えっ、春咲さん?」
あ、あの人だ。どうしてあの人がここに。
またしても予想せぬの再開に、私は呆然と彼を見つめた。どうやらそれはあっちも同じだったようで、彼もぼーっとした顔で私をみていた。気まずい静寂が流れた。
「あっご、ごめんなさい。人がいるとは思わなくて」
一人でいるところを邪魔してしまった気がした。
私は頭を下げて謝り、sの場を離れようとした。本当は逃げたかっただけだった。背を向けて校舎へ入ろうとしたその瞬間、彼が呼び止めた。
「春咲さん、ちょっと待って」
彼の口から私の名前が出てきた。びっくりした私はそのまま固まって振り返った。
「どうして私の名前を…。まさか私のこと、知ってる?」
「知ってるっていうか、名前しか」
「…じゃあ、私についての噂、知らない?」
「少しだけ」
「そぉう、なんだ」
やっぱり。私のこと知ってたんだ。
期待して損した。期待しなければよかった。期待しちゃいけなかった。
一気に気が抜けちゃった。勝手に期待して、勝手に失望する自分があまりにも情けなかった。
「でも俺、噂なんか全然信じないから。春咲さんがそんな人には見えないし」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
噂を信じないなんて。ダメだ。あんなこと言われたら、また期待してしまう。また勝手に期待して傷つくってわかってるのに、それでも期待が湧き上がって落ち着かなかった。
「……本当に?」
「本当。そもそも噂は噂に過ぎないし。本人から直接聞くのが一番大事なんだから」
初めてだった。あんなふうに言ってくれる人は。みんな噂ばかり信じて、私の話なんて聞こうともしなかったのに。今、目の前にいる人は、噂よりも私の言葉を信じるっていてくれていた。
そのせいか、気づいたら涙がポロポロとこぼれ落ちていた。必死に堪え用途したけれど、どうしても堪えなかった。
「ひっ、ひぐっ」
「だ、大丈夫? どうして急に泣くんだ」
「そ、それが…そんなひゅうに言ってくれた人お、あな、あなたが……あなたがひゃじめてでぇ」
突然泣き出す私を見て、彼は戸惑った表情を浮かべていた。
「ごめん、きゅ、急に泣いちゃって」
急に泣いちゃうと困るよね。それを知ってて泣き止めようとしたが、涙は止まらなかった。むしろ堪えようとすればするほど、涙は止めどなく溢れてきた。
結局私はしばらくの間、彼の前で声をあげて泣き続けた。ようやく落ち着いたあと、気づいたら私と彼は並んで壁にもたれかかって座っていた。
彼は私にハンカチを差し出した。
「落ち着いた?」
「うん…ありがとう」
私はハンカチを受け取って涙を拭いた。一通り拭き終えると、彼がおずおずと問いかけてきた。
「あの春咲さん、俺一つ聞きたいことがあるんだが、聞いてもいい?」
聞きたいこと? なんだろう。
「あの噂のことだけど、どうして広まったんだ」
「……」
彼の問いかけに、心の奥で雷が落ちたように、バキリと何かがひび割れるような音がした。




