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29話

 風に揺れる短い黒髪。普通の顔の少年だった。


「大丈夫? どこか具合悪いなら保健室行く?」


 心配そうな表情で声をかけてくる彼の姿に、私は


「ご、ごめんなさい!』


 戸惑ったあまり、慌てて逃げ出してしまった。階段を駆け下り、廊下を走って、空き教室に飛び込んだ。


 な、なに。だれ? どうして私に声をかけたんだ。

 私のこと知らない、いや、そんなはずはないのに。


 わからない。わからない。わからない。


 学校で誰かに声かけられたのは、実に一年ぶりだった。そのため、混乱と戸惑いが一気に押し寄せてきた。

 もう学校に私のことを知らない人なんていないし、みんな私を避けるだけで声かけてくる人なんて誰もいなかった。


「そういえば、あの人私に『大丈夫?』って言ってた」


 聞き間違いでなかれば確かにそう声をかけてきた。

 「大丈夫?」って聞かれたのは本当に久しぶりだった。学校に噂が広まって誰もが私を避けるようになってから初めて聞いた言葉だった。


「やばい、涙が出そう」


 どうやら「大丈夫」という言葉が持つ破壊力が思ったより凄かったようだった。

 私はは必死にこぼれそうになる涙を堪えた。けれど、そんな努力も虚しく、涙は少しずつこぼれ出してしまった。一度こぼれた涙はひび割れたダムが崩れるように、勢いよく流れ出した。


「ヒック…ヒクッ……」


 私はその場にしゃがみ込み、泣き始めた。自分でもなぜなんな泣くのか分からなかった。

 涙は止まることを知らず、しばらく流れ続けた。そのため、私は午後授業を丸サボリしてしまった。


 そして放課後。なんとか落ち着いた私は教室に戻ってカバンを持ち、石川グループに見つからないようにこっそり学校を出た。


「ただいま」

「おかえり、今日も帰り遅かったわね」

「友達と遊んでた」


 いつもの嘘だった。たが、いつもと違う点があるとすれば、今日は石川に殴られて傷を隠すためじゃなく、泣きすぎて腫れた目が引くのを待っていて遅く帰ったわけだった。

 私はすぐ部屋に向かった。鞄を机の上に置いてベッドに横たわって静かに独り言を呟いた。


「大丈夫…って言われた」


 お昼休みに会ったあの子のことがしきりに頭に浮かんで離れなかった。どうやら噂が広まってからあんなこと言ってもらったのは初めてで、結構刺激が強かったようだった。

 なるべく気にしないようにしていたけれど、どうしても頭から離れなかった。夕食を食べる時も、お風呂に入った時も、寝る準備をしてベッドに横になる時も、彼の声が頭から離れることは一度もなかった。


「大丈夫。って待って?!」


 ふと思いついたことに、私は勢いよくベッドから起き上がった。


「もしかしてあの子、私のこと知らないのか」

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