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9話

 俺は飛び起き、春咲さんにゆっくりと歩み寄った。

 乱れた髪。白いシャツには土埃と靴の跡がベッタリとついていた。それだけじゃなく、白い両頬は誰かに叩かれたのように赤くなっていて、黒い汚れがついていた。そしてそれは服も脚も、同じ状態だった。


「春咲さん......これは一体。大丈夫?」


 あまりに衝撃的で、うまく言葉が出てこなった。正確には思考が完全に止まってしまった。


「一体何があったんだ。この傷は」

「……」


 春咲さんは何も答えなかった。ただ、何も言わず俺を見つめているだけだった。


 まさか、あいつらが。


 ふと、この前春咲さんから聞いた『石川美鈴』という名前が脳裏によぎった。


「ましかして、石川のやつらに殴られた?」

「ち、違うよ」


 春咲さんは慌てて手を振日って否定した。


「ちょっと、転んだだけ。だから、気にしないで」


 嘘だ。誰がどう見ても嘘に間違いなかった。

 転んだだけで、人がこんなひどい姿になるはずがない。

 あちこちに残る靴の跡は多分複数人に蹴られてできた跡だろう。頬だって、一度殴られただけであんなに赤くはならない。何度も叩かれたってことだった。


 人をこんな目に


 そういや、初めて屋上で出会った日も、春咲さんはこんな格好だった。


 まさか、あの時もあいつらに…。


 腹が立った。理由は自分でよくわからない。俺は正義感が強い人でもないのに。なぜかひどい目にあった春咲さんを見ていると、血が一気に巡って、頭が熱くなるほどだった。


 気持ちとしては石川というやつに行って同じ目に合わせたかった。流石に女を殴るのは無理だが、「なんでこんなことするんだ、もういじめるな」と言いたかった。

 けれど、目の前の春咲さんの不安そうな様子を見ていると、足が動かなかった。両肩は微かに震え、視線も僅かに逸らされていた。自分の嘘がバレるのが不安なのか、正確な理由はわからなかった。だが、理由が何であれ、俺があいつらに行くのを春咲さんは欲しくないことだけははっきりわかった。

 俺は春咲さんに聞こえないほど小さく、ため息をついた。


「気をつけろよ。一体どう転んだら、そんな怪我するんだ」

「そ、それが…」


 春咲さんはすぐに答えられなかった。多分そこまで考えていなかったらしい。


「封建室は? 封建室行く?」

「え? あ、うん。大丈夫」


 春咲さんはコクリと頷いた。どう見ても大丈夫じゃないが、これ以上不踏み込むのは線を越える気がした。だから、俺はこれ以上問い詰めるのを辞めることにした。


「昼ご飯は? 食べた?」

「あ、まだ」

「弁当は?」

「そ、それが」


 春咲さんの手を見ると、両手とも何も持っていなかった。

 弁当忘れたのか。


「弁当持ってないなら、売店でも行く?」

「い、一緒に!?」


 春咲さんは驚いたように聞き返した。俺は「うん」と頷いた。


「だ、だだ、大丈夫! 一人で行ってくるから」

「え、でもそんな格好じゃ」

「本当に大丈夫。すぐに行ってくるから」


 そう言って、春咲さんは逃げる学校に入っていった。俺は遠ざかっていく春咲さんの背中をぼーっと見つめた。


「本当に大丈夫なのかな」


 俺はぽつりと呟いた。

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