3-04 猫になる。君の心まであと少し
病弱な男子高校生の真鍋伊織は、同じクラスの生徒会長に淡い恋心を抱いていた。
しかし想い人の会長は、伊織の幼馴染の佐柳龍二に熱烈なアタック中で、龍二は無口なクラスメイトの青島栞にいつも目を奪われており、栞はなぜか伊織にだけ懐いていた。
そんな四角関係のなか、伊織はある日〝猫になれる〟次世代遊技機『CAT-Life』のテストプレイヤーに選ばれることに。
みんなには内緒で『CAT-Life』を遊び始めた伊織だったが、思いも寄らない出来事が起こってしまう。
さらには他の三人もまた、大きな隠し事を抱えていて……。
猫になったクラスメイトをめぐって巻き起こる、青春群像劇ミステリー。
君の心に触れるまで、まだ遠い。
猫がいた。
綺麗な白猫だ。
道の真ん中で、僕をまっすぐ見つめていた。
白猫はゆっくり歩いてくると、何かを確かめるように、ひとまわり大きい黒猫の僕の匂いを嗅いでくる。
僕は白猫の美しい瞳に吸い込まれたように魅入られて、小さく鳴くことしかできなかった……。
■ ■ ■
「伊織、体調は大丈夫か? しんどくなったらすぐ言えよ。保健室連れてってやるからな」
「うん。大丈夫」
僕――真鍋伊織は、昔から体が弱かった。
すぐに体調を崩して学校を休んでしまうのが悩みだ。
昨日も風邪を引いて休んでいて、病み上がりの僕と一緒に登校してきた幼馴染は、教室に着くなり心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
面倒見の良い彼は佐柳龍二と言って、幼少期から僕の保護者役だった。
そんな龍二に向かって、前の席の少女が元気よく話しかける。
「龍二君は相変わらず優しいな! そんな気遣いができる君は生徒会に入るべきだ!」
彼女はクラスメイトの田代凛。毎日のように龍二を生徒会に勧誘している我が校の生徒会長だ。
会長は身を乗り出して、
「しかも今朝の占いで『魚座のラッキーアイテムは生徒会』と言っていたぞ! 入らない理由がないな!」
「占い捏造すんな。しかも俺乙女座」
あっさり断る龍二。
豪気な会長はなんら気にせず、つぎは僕に話を振った。
「伊織君も言ってやってくれ! 龍二君は生徒会に入って素晴らしい仲間と充実した学生生活を送り、いずれ幸せな家庭を築くべきだと!」
「え、あの、えっと」
美人な会長に眼差しを向けられた僕は、とたんに体温が上昇するのを感じた。
いつも元気な彼女の瞳は、僕が直視するには眩しいくらいキラキラと輝いている。あと三度話しかけられたら僕の体温は限界を超え、全身のタンパク質が固まって物言わぬ人形になってしまうかもしれない。ああ、それでも会長に話しかけられたいなんて僕はどうかしてしまったんだろうか……。
「くそっ。また伊織がフリーズしちまった。待ってろ俺が戻してやるからな」
龍二が僕の体をぎゅっと抱きしめて、頭を撫でてくる。
筋肉が硬くて痛い。体温は急降下する。
「龍二はなして」
「よし、再起動完了……あっ」
龍二は僕の背後を見た途端、声を上ずらせた。
「青島……お、おはよう!」
挙動不審になった龍二の視線の先に、小柄な少女がいた。
彼女は青島栞。かなり物静かなクラスメイトで、龍二の挨拶にもかすかに首肯しただけだ。でも龍二は反応があっただけで嬉しそうにしている。
栞は鞄を置くと、自分の机をさも当然のように僕の机と並べた。
僕の顔を見上げて小さくつぶやく。
「……伊織くん、きょうは?」
「おはよう栞ちゃん。今日は調子が良いから多分大丈夫」
「ん」
コクリと頷いて、肩が触れるか触れないかの距離まで椅子をくっつけてきた。
栞は無愛想なうえ無口で、いつも何を考えているのかわからないが、なぜか僕にだけ話しかけてくる。
その後始業のチャイムが鳴るまで、龍二はぼーっと栞を眺め、会長がチラチラと龍二を覗き見て、僕は会長と目が合わないか淡い期待を抱き、栞が僕の肩にもたれかかってくる。
教室の隅にはいつも、一方通行が四つできあがる。
僕たちはそんな日々を過ごしていた。
「伊織ごめん。今日は部活で……」
「ひとりで帰れるから大丈夫だよ」
「そうか。あ、青島……その、伊織を頼む」
「……ん」
放課後になると、龍二はバスケ部がある。
過保護なくらい心配そうにする龍二を見送ったら、他に用事はないので、そのまま栞と肩を並べて帰るのが習慣だった。
お喋りが苦手な僕たちでは会話はまったく捗らないけど、不思議と居心地は悪くない。
とくに何事もなく僕の家に着いた。
「じゃあまた学校でね」
「……伊織くん」
栞が何か言いたそうに僕の袖を引いた。
なんだろう。無言で僕の目を見てくる。
だが結局何も言わず、くるりと背を向けると足早に帰っていった。
栞はいつも謎だな。
「あれ? なんだこれ」
家の中に入ろうとしたら玄関前に宅配便が届いていることに気づいた。
宛名は僕で、差出人は知らない会社だった。
何か頼んでたっけと考えながら自分の部屋に戻る。さっそく開封したら、なんと、箱には猫が入っていた。
夜のような黒猫だった。
誰かの悪戯かと一瞬驚いたけど、猫の首輪に刻まれたロゴを見てすぐに思い出す。
『CAT-Life』
それは一年前、〝現実世界で猫になって冒険できる〟という謳い文句でテストプレイヤーを募っていた次世代ゲームのタイトルだった。
応募していたこと自体忘れていたけど、まさか当選したのか。
僕はドキドキしながら猫に触れてみる。
サラサラとした毛並み。体温は感じないのに感触は生きている猫そのものだ。どうやって作ったんだろう。すごい技術だ。
「説明書は……あった」
黒猫は〝人工有機猫〟と言うらしい。僕の意識を接続すれば、猫につけた首輪を使って自由に動かせるようになるようだ。
原理など難しいことを色々書いていたが、どうせ読んでも理解できないから飛ばした。
僕はすぐに部屋に鍵をかけ、付属品の黒い首輪をつけてベッドに寝転がった。
首輪のスイッチを入れる。音声ガイダンスのような声が聞こえたような気がした。
しかし次の瞬間、意識が吸い込まれるように暗闇に溶けていった――
■ ■ ■
(わっ! すごい!)
目を開くと僕は箱の中にいて、猫になっていた。
すぐに起き上がる。
視点が床とほとんど同じだった。カーペットに落ちている糸くずまでハッキリ見える。
説明書通り体は自然に動かせた。しかも、感覚的にどんな動きができるのかも明確にわかる。
これが猫の感覚なのか。
試しにベッドに飛び乗ってみた。体は驚くほど軽く、ベッドで寝ている僕自身の腹に着地した。
(へ~僕ってこんな寝顔してるんだ)
前足で自分の頬っぺたをペチペチと叩く。楽しい。
……おっと、こんなことをしている場合じゃないな。
説明書によると、一日の制限時間は三時間。時間が経つと自動的に意識が戻るから、眠気を感じたら人目につかない場所に移動しろと書いてあった。
三時間か。
いつもより広く感じる部屋。ぐるりと見回すと小窓が開いていたので、ジャンプして外に出てみる。
屋根の上に出ると、そよ風が毛を撫でて心地よかった。
(よし! 冒険するぞ!)
体が弱かったから、いままで思い切り外で遊んだことはない。
だけどこの猫の体があれば、どこにだって行けるような気がしてくる。
僕は意気揚々と一歩踏み出し――つるりと足を滑らせた。
(わわっ!)
瓦は滑る。知らなかった。
僕は転がる体を止められず、屋根から放り出された。
だが体は勝手に動いた。空中でバランスを取ると、すんなり庭に着地。足を挫くことも、関節が痛むこともなかった。
しなやかな体躯だ……猫ってすごい。
自分の四肢を感心して眺める黒猫がいたら、それが今の僕だ。
とにかく、冒険開始だ。
気を取り直して塀に飛び上がり、歩き始める。
(すごいなぁ。コレが猫が見てる景色なんだ)
塀の上からの景色は面白かった。
学校帰りの中学生が、怪獣のような迫力で駆け抜けていく。
疲れた顔のOLが甘い声で話しかけてきた。
木の枝にボールが引っかかって困惑する小学生を見つけた。僕は木に飛び移って、猫パンチでボールを落としてやった。
「わ~! 猫ちゃんありがと!」
『ニャー!』
前足を上げて返事をしたら、びっくりされた。
ふふふ。猫って、楽しい。
僕は意気揚々と歩く。
駅を通り過ぎて公園に入り、カラスに追いかけられながらビル街を走り抜け、僕にエサをあげようとする老人と戯れ、大きな川の土手を駆け上がる。
川の向こうの空は、綺麗な茜色だった。
……もうそんな時間か。
僕はすぐに踵を返し、さっきの老人の家まで戻った。
こっそり庭に入って、窓越しに時計を覗き見る。
(あと一分だ!)
思ったより時間が過ぎていた。
僕はとっさに縁側の下に潜り込んで体を丸めた。ここなら寝ていてもバレないはずだ。
じっと身を潜める僕。
しかし、一分待っても眠気は来なかった。
(……あれ? どうして?)
僕は起き上がり、庭からまた家の中を覗いた。
時計を見ても流れているニュース番組の時報を見ても、間違いなく猫になって三時間は経過している。
(うーん。自分で設定しないといけなかったのかな)
ちゃんと説明書を読んだはずだけど、見落としがあったのかもしれない。
一向に眠気が来る気配はなかった。
(どうしよう)
首輪の充電が切れたら元に戻るだろうけど、さすがにそれまでは待てない。
ひとまず家に戻らないと。
(でも、せっかく猫になったんだし……もうちょっと楽しみたいな)
元気で身軽なこの猫の体で、もっと遊んでいたい。
……少しだけなら大丈夫だよね?
僕は塀に飛び乗って、寄り道しながら帰ることに決めたのだった。
■ ■ ■
黒猫が去った家のテレビで、ニュースが流れていた。
『速報です。さきほど市内の高校生が自宅で殺害される事件が起こりました。当局の取材によりますと、部屋は鍵がかけられており、開いていたのは天井付近の小さな窓だけだということです。被害者の友人が発見した際、遺体のそばでは白猫が鳴いていたとのことで、警察は密室殺人事件として捜査を進めており――』





