3-24 伝説の戦士、再就職する
勇者一行の前衛だったスーヴェンはとある事情で失業し、すっかりやさぐれて場末の酒場でエールを煽る毎日を送っていた。
そんな彼の元に往年の仲間である魔法使いリエッタが現れた。酒代を全て持つ代わりに一つ仕事を請け負えという。
その仕事とは、彼女が経営する冒険者学校の教員となることだった。
生徒たちの中にはスーヴェンが失業した原因の事件に関与した者もいて、なかなか曲者揃いだ。
スマボも持たず、戦闘中のポーション使用は命取りと言われた時代に生きたスーヴェンは、無事に生徒たちを進級、卒業させることができるのか?
だからよぉ、と男はジョッキを煽った。体躯は筋骨隆々。しかし麻の服装はくたびれ果てており、薄くなった頭髪が動きに合わせてゆらゆらと揺れる。いかにも日雇い冒険者風の彼は今日も酒場の店主に絡んでいた。
「そこで俺は言ってやったんだよ。そんな無茶してたら命がいくつあっても足りやしねえぞってな。けど偵察の若造はよ、そんなことありませんとか言ってよ? どんどん魔王城の回廊を進んじまうもんだから案の定、トラップを踏み抜いてよぉ」
「そこで勇者一行の戦士であるあんた、スーヴェンが斧一本で飛び込んでその若造を救ったって話だろ? 何百回だ?」
場末の酒場の空気は酔っ払い客の呼気とたばこの煙で程よく淀んでいた。店内にはいくつかの席があるが、それらは全て下町勤めの男たちで埋まっている。
気持ちよくジョッキを持ち上げたところにカウンターを挟んだ酒場の店主が口を挟んだ。店内の視線が一斉にスーヴェンの背に突き刺さる。スーヴェンがじろりと背後を睨みまわすと客たちはそそくさと視線を外した。
「で、その若造に感謝感激されたって話だっけ?」
小太りの体を揺らしておどける店主にスーヴェンは大げさに首を振った。
「違う。偵察の若造だっていつものトラップなら躱しちまうんだ。でもな、そん時出てきたのが羽の生えためちゃくちゃ素早い奴でよ。おまけに石化の魔法使われて、固まっちまったあいつの喉笛に一直線に飛んで嚙みつこうとしたところ――」
「あんたが飛び出して斧で叩っ切ったってオチだろう? 何百回も聞いたさ。法螺もそろそろ本当になる頃か?」
やれやれといったふうに店主が肩を竦めた。
掲げたジョッキの振り下ろしどころを失い、スーヴェンはしぶしぶそれに口を付けるが既に中身はほとんどカラだ。スーヴェンは無言で店主へジョッキを突き出す。
「おいおい。まだ飲む気かよ?」
「てめえの仕事は何だよ。客に酒出して飲ませることだろ」
「いい加減ツケもたまってるぜ?」
口髭の奥でなにかもごもご言いながらも店主はスーヴェンのジョッキへ泡の立つエールをなみなみと注いだ。
ジョッキを受け取ったスーヴェンの視界に自分の手指が入り込む。節くれだって、汚れも目立つ指先に自分の年齢を感じてしまう。
それはそうだ。もう五十も半ば。以前の仕事を辞めてから、日雇いで食いつないではいるが世間ではそろそろ引退だって考える年齢だ。というところまで考えて止めた。
酒場の喧騒の中、笑い声に交じって彼を揶揄するような言葉が耳を掠めたからだ。
「あのジジイ、また店主相手に管巻いてるぜ」
「勇者御一行の戦士だなんて法螺、まだ言ってんのか。付き合わされる店主も大変だな」
それほど大きな声ではないが、明らかにスーヴェンに向かって言っているのだろう。横目で見れば知った顔だ。卸問屋に出入りしている採取屋の小僧と革職人の弟子たちか。
言わせておけと彼の中の理性が囁く。あんな若い連中に何が分かる。知らん顔をして手に持ったエールを飲め、嫌なことなんて忘れられる。
しかし今日はなぜか虫の居所が悪かった。まあまあと諫めようとする店主の手を振り払う。
椅子の上で姿勢を変えると、スーヴェンが自分たちを睨んでいることに気が付いたらしく男たちはにやりと笑って声のボリュームを上げた。
「いい加減、あの法螺はウケねえって」
「伝説の勇者御一行の戦士なわけあるか。あいつ、護衛業のギルド一つ潰した能無しだろ?」
「ギルド会館ぶっ壊して市民が一人が死んだ事件? 竜を一匹連れ込んだんだっけ」
皿の上の揚げ芋をひとかじりした革職人の弟子が、なあと言わんばかりに辺りを見渡した。テーブルを囲んだ数人が、うんうんと頷き合う。それを受けて採取屋がわざとらしくスーヴェンと目を合わせた。
「そういや、あいつの酒代持つ代わりにラフストの森に薬草とりに行くときの護衛頼んだんだよね」
採取屋は可笑しそうに顔を歪めた。
「そしたらすっげえ古い装備でさ」
何々、とテーブルを囲んだ若者たちが興味深そうに採取屋へ顔を寄せる。もったいぶるように採取屋はわずかに間を置くと、「斧」と一言口にした。
どっとテーブルが湧く。周りの客たちも何事かと振り返った。
「斧? 今どき? 嘘だろ?」
「ボロい革鎧姿に斧一本。笑っちまうだろ? しかも斧に付与魔法つけるとき変な粉ぶっかけて呪文の詠唱してんだよ?」
「マジ? 詠唱? 触媒も? タイパ悪くね?」
「そうなんだよ、今どき戦士職用のスマボ持ってないってありえないよ」
テーブルの若者たちがありえねえと口々に言いながらこちらを見てくる。その視線にはあからさまな軽蔑や嘲りの色が含まれていた。
くそ、とスーヴェンは心の中で吐き捨てた。
魔王城の主が倒されて早三十年。それまで魔物たちによって阻まれていた知識の蓄積や科学技術の発展が、平和な世界となって凄まじい勢いで進んだ。
その際たるものが「賢い石板」だった。
スマートボード、略してスマボは古の賢者の知識を刻み込んでおり詠唱や触媒無しに魔法が使える優れたもの、らしい。あとモンスターの生態も刻み込んであり戦闘には欠かせないもの、らしい。
伝聞形式なのはスーヴェン自身が使ったことがないからだ。
軟弱なものに頼りやがってと言いたいがそれはいかにも老害臭い。惨めが募るだけだ。
帰って寝てしまおう。手に持ったジョッキに口を付けるが、苦々しい気持ちとは裏腹にエールは味がしなかった。炭酸がはじける刺激を無理やり喉に流し込み席を立つ。
「帰るのか?」
「おう。悪いがツケで」
「おいおい、いい加減に払えよ。こっちだって慈善事業であんたに酒を飲ませてるわけじゃねえ」
次回払うと言っても店主は首を縦に振らない。
伝票を見るとエールが五杯分だ。困った。一杯、二杯程度のつもりだったが、話しているうちに杯を重ねていたらしい。
日雇いの仕事で稼いでくるほかない。それまでの質種にできるものはとスーヴェンが懐をまさぐっていると、店主の足元にあった箱がごとりと勝手に動いた。ん、とスーヴェンと店主の目がそちらに集中する。べきっと木箱の蓋が割れたのと穴から小さな毛玉が素早く飛び出したのはほぼ同時だった。
「ダ、ダーラットだ!」
耳は小さく手足と尻尾が長い、手のひらサイズの獣であるダーラットは本来森の中で群れを作って暮らすモンスターだ。一匹で、しかも街中で見かけるものではない。
どこかの冒険者が酒場の納品物に混入させてしまったのか。カウンターに飛び乗ったチビが一声吠えると、店内は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
店の客は生産職の者たちばかりだ。こんな雑魚相手であっても戦闘ができないらしい。スーヴェンは呆然としている店主を奥へと突き飛ばした。棚の上にあった酒瓶が落下し派手な音を立てた。
「酒が!」
「うっせえ! 俺に任せろ!」
このくらい一捻りだ、とスーヴェンは背に担いだ斧に手を伸ばしたーーが、そこにあるはずの斧の柄がない。あるはずの感触を探して指先が肩上で彷徨う。
「スーヴェン! 斧担いでねえぞ!」
そうだ、斧は酒代を捻り出そうと質屋に預けてきたんだった。
思わぬ失態にスーヴェンの顔色が変わる。しかしすぐさま袖をたくし上げた。
雑魚一匹であれば腕力でねじ伏せる、とカウンター上で爪を研いで威嚇している小型生物へと殴りかかる。それをかいくぐったダーラットがしゃーっと言いながら毛を逆立てた。小さな口の奥でパリパリと火花のようなものが散っている。
撃たれる。
スーヴェンが咄嗟に身を低くした時だ。
ばしゅんっと破裂音がした。次の瞬間、カウンターの上にいたはずのダーラットがごとりと音を立てて倒れる。
頭を上げたスーヴェンがのぞき込むと、ダーラットの目は見開いたままだったがどうやら気を失っているらしい。
「なんだ……?」
一瞬の出来事にスーヴェンが辺りを見渡した。すると開け放たれた酒場の戸口に長いローブ姿の人影が目に入った。手にはスマボが光っている。人影がその石盤をひと撫ですると、カウンターに転がったモンスターが宙に浮き瞬く間に消え失せた。
「て、転移魔法か……!」
「探したわ」
ややしわがれたその声には聞き覚えがあった。というか、忘れようにも忘れられないほどに長く、共に戦った仲間の声だ。
「リエッタ?」
人影はローブのフードを脱いだ。艶のある長い白髪とともに濃い化粧を施した熟年女性の顔が現れる。
「落ちぶれたものね」
「うっせえ! 何しに来やがっ……あ」
動揺したスーヴェンがリエッタに背を向けると、そこには顔を真っ赤にした店主がいた。肩を振るわせ、無言でカウンターの中を指している。示された方に視線を動かせば、そこにはとんでもない惨状が広がっていた。
「高い酒だぞ、いったいどうしてくれるんだ……」
「ふ、不可抗力ってやつでよ……」
「ツケも合わせていくらになると思ってんだよ!」
店主がスーヴェンにつかみ掛かろうとすると、リエッタが高らかに笑った。
「相変わらずね。いいわ、修理費、酒代、全て私が払ったげる。その代わり仕事を一つ請け負って頂戴」
リエッタは懐から一つの皮袋を取り出し、カウンターへ放り投げる。
「さ、行くわよ」
「い、行くって……」
「私が理事長やってる冒険者学校。人手不足なの」
そう告げたリエッタは有無を言わさずスーヴェンの腕を掴んだ。