3-16 アトロポスの鋏
大学サークル『アトロボス』は完全犯罪を研究する四人のグループである。
主催である『魔女』。元々は『アトロポス』の前身たる『教授爆破サークル』の主だった、最年長である。
会員の『蒐集家』。筋肉もりもりマッチョマンのオタクである。
グループ最年少の『判人』はパンキッシュなバンドガールだ。
そして、『建築家』。彼が『アトロポス』のパトロンであり、四人の集まりを主導した人物だ。
ある日の定例会でいつものように彼らは思考実験を行う。
完全犯罪を成し遂げるには何が必要か。議論は馬鹿馬鹿しい大学生のおふざけで終わるはずだった。
だが、『建築家』の提案で、『アトロポス』は『鋏』を持つことになる。
平均的な大学生では入れないような高級料亭の和室で、四人の男女が会話と食事に興じている。
「持つべきものは金持ちのパイセンっすね」
金と緑のメッシュの髪を逆立て、ピアスとチェーンが絡んだパンクファッションの女がビールで喉を鳴らした。ベリーショートの髪と攻撃的な衣装も相まって男装のようにも見える。
どう見ても料亭と噛み合わない恰好だが、共にいるメンバーは誰一人気にしていない。
「金を持っているのは親だよ。成績を維持して、『はい、お父さま。はい、お母さま』と従っていれば、振り込んでくれるからね」
つまらなそうに無垢材の座卓に肘をついた眼鏡の男――メンバーの中で唯一空気を読んだイタリアのオーダースーツに身を包んでいる――が答えた。右手にはドイツ製の手巻き式腕時計を身に着けている。アシンメトリの文字盤が照明を反射して光る。
そんな彼は豪勢な食事や酒には手をつけず、わざわざ注文をつけた番茶で口を湿らせていた。
「恩恵を預かってる拙者たちが言うのもなんだが、申し訳ない気分でござる」
特異な口調で頭を下げるのは、スウェットシャツの大男。筋肉質な体だが、どこか落ち着きのない雰囲気を纏っている。
手元には愛蘭産のウィスキー。それを炭酸水で割りながら、びたびたに醤油にまみれた刺身を口に運ぶ。
初めて集まった際にもっとも恐縮していたのもこの男であった。
「いーじゃん。料亭の人たちも慣れちゃったしー。定例会始めましょうか」
この中の最年長であり、集まりの長でもある女性が紅いロリータのフリルを揺らしながら、音頭を取った。サイドにまとめた長い髪には若年性の白髪が見え隠れしている。
彼女の手には日本酒の瓶が握られており、この中で一番の酒飲みでもある。
メンバーは彼女の言葉に従い、利き手にビールのジョッキ、湯呑み、ハイボールグラス、一升瓶を掲げる。もう片方の手はピースサイン、いや『鋏』をかたどる。
何も知らないものが見れば、それはただの飲み会の乾杯。SNS映え染みた行動にも見えた。
「教授爆破サークル! 改め、完全犯罪研究会『アトロポス』の定例会始めまーす!」
どこまでも料亭の空気と噛み合わない四人が夜な夜な語り始めた。
「弊大学のミス研は甘いと思わない?」
口火を切ったのは『アトロポス』の会長である『魔女』だった。
「出たー! 会長の初手ミス研批判!」
その言葉に大げさに乗るのは、パンキッシュな装いの『判人』である。
「次に会長は『密室研究なんてコスパもタイパも悪いのよ』と言うでござる」
彼らのお約束のやり取りに、ウィスキーを飲む大男『蒐集家』が乗っかる。
「そもそも密室研究ってコスパもタイパも悪いのよ! って台詞とるなー!」
じゃれつくように『魔女』は『蒐集家』の背中をバシバシと叩いた。
「言わんとすることはわかるさ。密室構築に労力を割くくらいなら死体を隠蔽したほうがいい。浪漫は認めるがね」
そんなやり取りを微笑ましく見つめながら、眼鏡の男『建築家』がつぶやいた。
「浪漫で完全犯罪はできないっすからね」
「劇場型犯罪でもやりたいなら、浪漫もありだと思うさ」
後輩にビールを注いでやりながら『建築家』は会話を進める。
「なら毒でござるよ」
フグ刺しを箸で一度掲げてから、『蒐集家』がソレを口に運ぶ。相変わらずの醤油まみれだった。
「入手経路どーすんのよ」
瓶のままラッパ飲みをする『魔女』。彼女の足元には日本酒の空瓶が数本転がっている。
彼らはあーでもない、こーでもないといかにして完全犯罪を成し遂げるかを考える。
「完全犯罪に必要なものは?」
「事件が露見しないことでござるよ。あるいは露見しても証明不能に持ち込めば勝ちでござるね」
「露見しない方向ならさ」
と、『魔女』が提案する。
「田舎の駐在所や集落の顔役を買収するとか。あるいは土地を買い上げて地主になるのはどう? 都心部と違って監視カメラやEシステムとかないし。信心深いところなら祟りってノリでさ」
「仮に現代にそんな場所があったとして、外部の人間である拙者たちが受け入れられるまでに時間がかかりすぎるでござる」
『魔女』の案を『蒐集家』が否定する。
「そもそも発想が昭和すぎっすよ。大学二周目の十二年生の貫禄! ヨッ、昭和生まれ!」
「私は平成生まれじゃい!」
『魔女』は空き瓶を振りかぶって、『判人』を殴るフリをする。
「土地の買い上げは登記記録が残る。それこそ地主として権力を振るうくらいの大規模な土地となると、届け出が必要になる。土地の利用目的も問われるね。人の買収なら記録は残らないけど、他人を信用することは難しい。最終的には埋めることになるかもしれない」
彼らの様子を穏やかに見つめる『建築家』がそう論じた。
「ってか、『魔女』パイセンに土地買う金あるんすか?」
「十二年学費払った女を舐めないでくれる?」
「先輩はまずは卒業することだね」
冷静な突っ込みに崩れ落ちる『魔女』だった。
「遺体を消すのはどうでござるか」
『蒐集家』が語る。
「アメリカの郊外で広い土地に埋める。あるいは地下室がある家で解体。周囲に家屋がないなら一時的な監禁も可能ではないかと愚考するでござる」
「アメリカは遠いわね」
「北海道の農場でもいいでござるよ、」
『魔女』の言葉に反論する『蒐集家』。
「農場を買うくらいなら、船を買って外海に沈めるほうがスマートじゃないかな」
「遠洋に行ける船買うのと農場買うのどっちが安いんすかねぇ?」
『建築家』の言葉に『判人』が首を傾げる。ビールは飽きたらしく、ウーロン茶に手をつけて、『建築家』の肩に体重を預けている。
「農場を買う。船を買う。じゃなくて僻地に埋めるじゃだめなわけ?」
「……」
『魔女』の指摘にしまったと言わんばかりに『建築家』は天を仰いだ。
「『建築家』は拙者たちの中で一番クレバーでござるが、何でも買うこと前提で考える傾向があるでござるね」
「金持ちっていいっすねー」
「おいおい、話がずれてるぞ」
「埋めるにせよ、沈めるにせよ。誰にするかが問題になりそうね」
『魔女』が話を戻す。
「旅行者の場合、足取りが途絶えた場所が必ず捜索されるだろう」
「地元民は家族からすぐに対応されるでござろうね」
「なら、あたしにいい案があるっすよ」
そう言ったのは『判人』だった。
「行先を伏せたい人間なんてのはどこにでもいるっす」
自信ありげに『判人』は断言した。
「例えば?」
「犯罪者。あるいはこれから犯罪予定の人っすね」
『建築家』を指差しながら、『判人』は悪戯っ子のように微笑む。
「『判人』、続けて」
指を差された彼は興味深そうに話の続きを促す。
「家がない人。戸籍がない人。他には家出人、自殺志願者っすかね」
「スマートフォンを持っていないか、位置情報を使わないという選択を取りえるだろうね」
「完全犯罪の為に無関係の人物を狙うというのは美しくないでござるな」
『蒐集家』は彼なりのこだわりを示す。
「犯罪に綺麗も汚いもないわよ。で。『建築家』は何かあるかな?」
「そうだね――。美学という点なら、完全犯罪の際、僕らだけのシンボルを示したいって考えてた。絶対に足のつかないような」
『建築家』は、鞄からビニールに包まれた四本の鋏を取り出した。
各々が食事を止め、彼の行動を注視する。
「それは?」
「百円ショップの鋏。指紋も拭いてる。輸入品の量産品。実行を十年ほど先にすれば、入手経路は確実に不明になるだろ」
「現場に鋏を置けってことでござるか?」
『蒐集家』は訝しむように問いかける。
「どういう使い方でも構わないよ。でもその使い方は美しくないね」
『建築家』は意趣返しするように返事をする。
「誰かが実行したら鋏を送り付けるのもアリね」
「受け取ったメンバーが解くのも面白そうっす」
**
懐かしい夢だった。
どこまでが冗談でどこまでが本気だったのか。
あそこまで悪趣味な話を遠慮なくできたのは『アトロポス』の面々だけだった。
ベッドから身を起こし、テレビをつける。朝のニュースが垂れ流されている。
あの会合から十年が経った今。
「……せんぱぁい」
当時はあんなに尖っていた西野サイナは、僕の浮気相手なんかをしてしまっている。
今も僕の隣で幸せな夢を見ているのだろう。黒く染めなおした彼女の長い髪からは当時のやんちゃさはうかがえない。
こんな孤島まで僕の運転するクルーザーに乗り、僕が設計した別荘に招かれて、警戒心の欠片も見せないのは、あの頃から続く僕への恋心のせいだろうか。
親の決めた相手との義務のような結婚と作業めいた交わりは僕の心に何も響かなかった。
その点、サイナはあの四人の中の一人だった。僕の退屈を紛らわせるには十分な人物だ。
だからこそ。
僕は枕元から鋏を取り出し、今後の計画を遂行しようとした。そのとき。
『本日未明、北海道、○○町の農場にて大規模な火災がありました。焼け跡からは身元不明の遺体が発見され、道警によりますと事件事故の両面で捜査を進めるとのことです』
ヘリコプターからの映像は、燃え尽きた倉庫と厩舎が見えた。それはX字の綺麗な鋏の形に見えた。
「『判人』起きろ。北海道へ行くぞ?」
「ふにゃあ! え、え? 何?」
僕に挑戦状だなんていい度胸だ。
『鋏』を握りしめた。