3-14 限界領主と化け物召使い
【この作品にあらすじはありません】
紙の上をペンが走る。
「あぁ~、やってらんねぇや」
そんな気の抜けた声で、手にしていたペンを放り投げる。
どこへ向かうとも考えずに投げたペンは宙を舞い。
「おわぁ!!」
鋭い風切り音とともに、ついさっきまで俺の手があった場所に突き刺さった。
慌てて視線を前に向けると、そこにはメイドさんが一人。
「おや失礼、手が滑りました、拾うだけのはずだったのですが」
「いやいやいや、そんな無表情で言っても誰も信じないからな? 思いっきり突き刺す気だったよな!?」
声を荒げると、ぷいと顔を背けられてしまう。
「でなに。見張りにでも来たの?」
「はい。坊ちゃんは隙さえあればサボる癖がついてしまっているようなので」
「『坊ちゃん』はやめれ」
手を払うようにして訂正を求めるも、今度は反応すらしてくれない。
「それにこんな領地じゃサボりたくもなるって。……今のこの領地の状況、言ってみ?」
「それでは僭越ながら」
咳払いを一つ。キリ、と心なしか顔を引き締めた。
「ここタリー領はかつて、交通の要となる予定の場所でした。しかしながら、近くにあるのは広大なだけの、不毛な地。唯一ある資源も、わずかな森のみ。とても大勢の人が住むのに適しているとは言えない場所であることが分かりました。その結果…」
「残ったのは、計画最初期に建てられたこの、無駄に広い領主鄭一つ」
「はい。ですが、広さだけはあるこの地。国王様も手放したくないとお考えになられ、こうしてグレイ家が管理しています」
「大変よくできました」
そう。要は限界集落ならぬ、限界領地なのである。
一応、王が決め、その王から授かった領地でもあるので、いくらかの補助が出ているが、それもほとんどがこちらではなく実家の方に流れている。
そんな多くはないその資金も、日々の糧を得るために使うとすぐに消えてしまう。なにせ距離がある上に俺達のためだけともなれば、行商に来てもらうだけで大変というもの。物価は高くなるのは当然の結果だ。
そうして収入のほとんどが消えてしまうと、この地のためにやることも、できることもなくなる。言ってしまえば暇なのである。
ではここにある書類はどこの何か。どうせ暇なのだろう、と実家の仕事を押し付けられているわけである。
自分のためではなく他人のため、しかも押し付けられた仕事。それはまぁやる気も消え失せるというものだ。
「やってらんねぇよ、まったく」
★
「失礼します」
「おー」
そんなメイドさんとのやり取りを終えた後。本気で投げ出すわけにもいかない書類に向かい始めて少し。
一枚、また一枚と片づけていると、扉からノックの音とともに声がする。気の抜けた返事で迎え入れると、一人の男、執事が入って来た。
「良い時間ですし、ここらでティータイムでもいかがですか?」
「ん、もうそんな時間か」
執事の声に、視線を書類から上げると、既にワゴンが準備されている。
ワゴンと、そこに乗っている食器類の音が一切しなかったことに目をつぶりながら、今手にしている書類に視線を戻す。中途半端に作業を止めるのももどかしく、この分まではやりきってしまいたい。
その意図を汲んでか、執事は少しゆっくり気味にお茶の準備を始める。―――と。
「うん、おいしい。今日のクッキーも上出来です、ダーリン」
さくさくもごもごと、既に口いっぱいにクッキー(執事の手作り)を頬張るメイドさん。
あまりに傍若無人で、最初は驚いたっけ。
普段のメイド業務はそつなくこなすのだから、こういう所さえなければ、執事と夫婦そろって俺と一緒に厄介払いされることもなかったろうに。
とはいえ、俺も特にそういったところに怒る質でもない。
「ありがとう、お世辞でも嬉しいですよ、ハニー」
それに返事する執事も、最早動じない。もとより、俺が何も言わないのに、執事から何かを言うこともないのだろう。
……いや、あの顔は奥さんがかわいいことしか考えてないな。
そんな二人の惚気を横目に、書類の最後まで目を通すと、処理済みのかごに入れる。うん、今日中に見なければいけない分もあと少しだ。
「ばっちり毒見しておきましたよ、坊ちゃん」
「はいはい。メイドさんの愛する夫が作ったんだから、毒なんて入ってないでしょうに」
「む、それはそうですね」
そう言って少し黙る。
「…では、味見もばっちりこなしておきました」
今度はそう言ってのけるメイドさんに今度は指摘する気も起きず、黙って休憩用のソファに腰かけると、すかさず目の前に紅茶のカップが置かれる。
「さんきゅ、お前も楽にしてくれ」
「恐れ入ります」
言って執事は向かいのソファに腰かけた。
それじゃ俺も、とクッキーに手を伸ばすと、今日は三種のクッキーらしい。その中から特に飾り気のない物を摘み、口に放り込む。
噛むと、さく、とした食感とその中からしっとりとした舌触りが現れる。
「うまいな」
「恐れ入ります」
思わず出た感想にも律儀に反応が返ってくる。これはメイドさんが夢中になるのも納得だ。
そのメイドさんはと言うと、執事が腰を下ろした途端立ち上がり、その膝の間に納まって満足そうな顔をしている。いや、実際には特に表情は動いていないので、そんな気がする、というだけだが。
しかしこうして見ると、夫婦と言うより親子のようだ。メイドさんが特別小柄と言うわけではないが、その分執事が大きい。
刈り上げたような金の髪に、マッチョとまではいかなくても引き締まった巨躯の執事。対して他の女性よりやや小柄で、銀の長い髪をしたメイドさん。同じところと言えば、二人揃って顔がいい。全くもって美人夫婦だ。
「それでは少し報告をしてもよろしいですか?」
「……ああ、大丈夫だ」
そんな益体もないことを考えながら、執事お手製のクッキーと紅茶で身体を癒すこと少し。執事の方から口を開いた。
とはいえ、この地で報告する事なんて、ある程度は予想がつく。
「人か?」
「はい。いつもの行商人から聞いた話ですが、この近辺で人がいた痕跡を見た、と」
「ふぅむ…規模は?」
「かなり少ないとのことです。多くても5人程度だとか。それから、火の始末の仕方はあまり上手くはない、とのことです」
火の始末が上手くない、ということは隠れているというわけではないのか? もしくは、そういうことをし始めてまだ日が浅いか。
「わかった。軽く警戒だけはしておこう。お前たちも……って二人なら心配いらないか」
「お気遣い感謝します。とはいえ油断大敵、とも言いますから、ね」
執事が視線だけを向ける先は、自分の足の間。
「んあ? なんだい、ダーリン」
「何でもないよハニー」
そこには、だらけ切ったメイドさんが一人。なるほど、ものすごい説得力だ。
★
「それで、お前は何者だ?」
改めて目の前の客に問う。
夜。夕食と入浴をすませ、後は寝るだけと言った時間。そんな時間にも関わらず、領主鄭の扉を叩く者がいた。
その時点で執事の警戒レベルは一段上がったらしい。なにせ、ここは腐っても領主鄭だ。建物の外には囲うようにして壁があり、扉の戸を叩くためにはその壁を乗り越えるか、門を抜ける必要がある。
要は不法侵入したことになる。
「…………」
「答えはありません、か。お客様ではなく侵入者として処理しますが、宜しいですね」
ずい、と執事が一歩前に出る。俺を守ろうとそびえる背中が何より頼もしい。
で、メイドさんはと言えば。
「キャー、コワーイ」
俺の後ろで小さく丸まっていた。わざわざ体まで揺らしているが、しっかりと棒読みだ。
「いやいや、主人を盾にするメイドが居てたまるか!」
「ここにいますが? それに考えてもみてください、坊ちゃん。女子供を守ってこそ男でしょう。…はっ、もしやお嬢様であらせれる?」
そんなわけあるか! という言葉を返す前に。正面、執事の向こう側にいた侵入者が動いた。
自分の何倍はあろうかという執事に向かって真っすぐ駆けてくる。
同時に。執事の死角から俺の方に向かってくる影がもう一つ。手にした光るものはナイフの類だろうか。その鋭利な切っ先が俺の体を切り裂く距離まであと三歩、二歩。……二歩。
不意に立ち上がったメイドさんに絡め取られ、侵入者の腕はそれ以上距離が縮まらない。
「はぁ、やれやれ、まったく。メイドに守らせるなんて坊ちゃんはか弱いんですから」
「はぁ、やれやれ、まったく。その通りだよ、いつも頼りにしてる」
返した言葉に満足したのか、表情を動かさないまま嬉しそうにしてそれから。
侵入者の首元に噛みつき、そのまま引きちぎった。
ぶちみちぎゅるぴっ、ぶち。
皮も肉も骨もお構いなしに引きちぎられ、そのまま放り投げられた体は地に落ちて。
そこには、怪我一つないものの、少し汚れた子供が寝息を立てていた。もちろんその周りに血の一滴も落ちていない。
「む、やはりあまりおいしくはありませんね」
「やれやれ、こちらも終わりましたか」
執事の言葉に、引きちぎった残骸を咀嚼するメイドさんと振り返る。執事も子供、こちらは少女だろうか、を抱えていた。
よく見ると、執事の頬には黒い液体のようなものがこびり付いている。メイドさんが食べているものと同じものだろう。
「けぷ…ふぅ。おや、ダーリン、汚れてますね。拭いてあげますので屈んでください」
「おや、それはありがたい。ではお願いします」
二人がいちゃついている間に、下がらせていた他のメイドに毛布を持ってこさせる。
いちゃつきが終わり、侵入者もとい子供二人を毛布で包んだところで。
「で、どうすんだこの二人」