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3-11 おとうとに会いに行く

「重要な連絡メールに返信が無い。ちょっと見てきて欲しい」

 母親からの連絡で、近県に住む僕が弟のアパートを訪ねると、そこには見知らぬ女性の姿が。どうやら彼女の思い出の場所を探して撮影するために、弟はバイクを飛ばして野宿覚悟で遠い海岸へと向かったらしい。

 誰かのために、躊躇なく行動する弟の無鉄砲さに呆れつつ、僕は弟に待たされている彼女を連れて、こっちから迎えにいくことにした。

 大事な「伝言」を伝えるために。

『おとうとに会いに行く』


 県を一つまたいだ先にある県庁所在地の街並みは、車で大通りを走っている分には地元と大して変わらないように見える。

 高速を二時間走ってようやくたどり着いたというのに、見慣れたチェーン店の同じような形の店舗ばかり。信号待ちで僕は大きなため息を吐いた。

 僕の弟はこの、何の変哲もない町に住んでいる。


 寒い冬が訪れている。エアコンの温度を少し上げた。

 片道二車線ながら、妙に道幅が広いバイパスを通り抜け、ナビが示すままに住宅街へと入っていく。そこから記憶を頼りにコインパーキングを探して車を停め、五分ほど歩いて一軒のアパートへたどり着いた。

「久しぶりだけれど、変わってないな」


 築三十年は経つだろう二階建てのアパートは数年前に引っ越しの手伝いで見た時の印象そのままだった。

 上下3世帯ずつの、中部屋に弟が住んでいるはずだ。

 階段を歩いている間に、もし別人が出てきたらどうしようかと不安になってきた。だが、ここまで来て何も確認せずに帰るわけにはいかない。


 カメラが付いていない、古いタイプのボタンだけのシンプルなインターホンを押す。

 チャイムの音がドアの向こうで響くのが聞こえて、誰かがパタパタと歩いてくる足音に緊張感が増してくる。

「あーい」と緊張感のない声が聞こえた瞬間、僕の心臓は跳ね上がった。

 女性の声だ。


「どちらさん?」

 ゆるゆるとしたサイズの合っていないTシャツにハーフパンツというラフな部屋義然とした格好で姿を見せたのは、見知らぬ若い女性だった。

「あー……間違えた、かも知れません。橋川タカシを訪ねてきたのですが」

「タカシの友達? じゃあ間違ってないよ」


 二十代半ば。僕よりいくつか年下で、弟と同じくらいの年齢に見える彼女は、明るい茶髪を揺らしながらにっこりと笑った。

「友達じゃなくて、タカシの兄ですが……あなたは、あいつの彼女ですか?」

 営業マンの習性もあって、初対面だと相手がラフに話しかけてきていても敬語になってしまう。いずれにせよタカシの彼女なら多少は交流しておくべきか。


「違うよ? 今は、留守番してる感じ」

「……は、留守番?」

「寒いから中にどうぞ。タカシいないけど、あったかいお茶あるよ」

「……失礼します」


 中に入ると、引っ越し当時より少し物が増えているようだった。

 ダイニングキッチンの冷蔵庫が少し大きいものに変わっていて、食器棚には皿やグラスが増えている。

 とはいえ、揃いの物も無ければ、弟の趣味から外れたような物も見当たらない。

 留守番というのは、本当なのかもしれない。


「で、お兄さんは何しに来たの?」

「先に、タカシがどこに行ったのか教えてもらえませんか」

 熱いお茶が注がれた湯飲みで指先を暖めると、少しだけピリピリとした刺激を感じる。自覚していたよりも冷えていたようだ。

 ダイニングテーブルの向いに座った女性は、自分用のお茶に口を付けて少しだけ考えているような表情を見せた。


「タカシはちょっと出かけてるよ。で、お兄さんは?」

「母が連絡を取りたい、と。もう2日もメールに返事がないようで、一番近いところに住んでいる僕が様子見に来たんですよ」

 適温になった茶に口を付ける。良いお茶だと思った。タカシに日本茶を飲む習慣があるとは思わなかったが、これは美味しい。


「それで、あいつの帰りは何時くらいになりそうです? 今日のうちに家に帰りたいのですが」

 会社が終わってスーツのまま来ているのだ。袖に指を引っ掛けて腕時計を見ると、もう九時を回っている。そろそろ出発しないと帰着は日付が変わってしまう。

 明日も仕事はあるのだから。


「今日は無理だと思う。明日か明後日まではかかるんじゃないかな」

「どういうことです?」

「わたしのために、ちょっと遠くまで行ってくれてるんだ」

「……くわしく聞きましょうか」


 彼女をミナと名乗った。

 タカシとはこの二年くらいで仲良くなったようで、たまに他の友達数人と飲みに行ったり遊びに行ったりしていたそうだ。

 そして半年前、ミナは付き合っていた彼氏と死に別れたという。

 話が彼氏のことになると、彼女は目に涙を浮かべていた。


「……わたし、彼が亡くなってからずっと落ち込んでて、仕事もまともにできなくてとうとう辞めちゃって、お金も無くなったからアパート出ないといけなくなって」

「タカシを頼って、ここにいるわけですか」

「悪いって思ってるけど、どうしようもなくて……」

 両親も居ないため、他に頼る相手も居なかったらしい。男女の関係というわけでもなく、純粋にタカシは友達を助けるつもりで提案したのだろう。


 僕は腕を組み、天井を見上げた。

 引っ越しの時にお祝いついでに僕が購入したシーリングライトがある。やや色落ちした天井の真ん中で元気に輝いていた。

 弟は昔からそういう性格だった。

 誰かが困っていたら助けようとする。怪我をしたこともあるし、良い結果になることばかりじゃなかった。


 僕にはそのまっすぐな部分が羨ましいと思えたのも事実だ。

 損得計算が先に来てしまって、行動する前にふと立ち止まって考える癖がある僕から見れば、弟は眩しく見えるくらいに素直だった。

 十代の頃はそんな弟が疎ましかったが、今では自慢の弟だと思える。

 とはいえ、あいつには昔から変わらない大きな欠点がある。


 一つは後先考えずに行動するところで、直感を信じて行動してしまうのは良い部分でもあり、悪い部分でもある。

 もう一つは、人を見る目はあるくせに、人の心情を汲み取る能力に今一つ欠けるところがある点だ。

 今回で言えば一人でアパートに残されたミナさんのこと。慣れない部屋に一人で置いていかれて、ただ待つだけはストレスだろう。


「それで、タカシはどこへ?」

「……海岸に行ったの。死んだ彼との思い出の場所があって。彼の話をしているときに、つい『海岸で彼で見た夕陽がすごい綺麗だった』って話をしちゃって。でもその時の写真とか残って無いって話をしたら……」

「夕陽の写真を撮ってきてあげる、とタカシが言ったわけですね」


 話の流れは読めてしまった。

 弟は車の免許は無く、中型バイクだけを持っていた。だからこそ僕が引っ越しを手伝ったわけだけれど。

契約社員として働いているが金銭的余裕はなく、件の海岸がある場所まではそこそこ距離があり、二人分の電車賃は出せない。


「バイクで向かって数時間。タイミングよく夕方にたどり着いたとしても、@:天気が悪ければ撮影まで一日待機か。撮影に金がかからない代わりに忍耐力と体力が必要になる。あいつなら気軽に引き受けるような内容ですね」

「泊まるところとか、どうしているんだろう」

「多少なり金があるならネットカフェ。無ければ野宿でしょうね」


 ミナさんは絶句していた。

 まさか自分のためにそこまでするとは思わなかったのだろうけれど、あいつはそういう奴なのだ。

 小学生の頃、僕が風邪で寝込んでいるときに食べたいと口走ったチョコレート菓子を探して、何時間も歩き回って店を巡ってようやく見つけたと喜んで帰ってきたことがある。

 門限を過ぎて親に怒られていたが、満足そうに笑っていた。


「大丈夫かな……」

 ありがたさと申し訳なさで素直に感謝して良いのか困った気持ちにさせられたことは多いが、ミナさんも同じような気持ちだろう。

 ただ、続いた彼女の言葉に、僕とは違う何かが含まれていることに気付いた。

「タカシくん、寒いの苦手って言ってたのに。彼、私が作った簡単なご飯でも、あったかくて美味しいって言ってくれて……」


 はっきりわかってしまった。ミナさんの表情に、明らかに友人以上の感情が含まれている。

 まだ呼び名がない感情かも知れないけれど、ごくごく最近、同じような表情を見た僕にはダイレクトに伝わってしまった。


「大馬鹿野郎め」

「えっ」

「ちょっと待ってください。明日からの有休申請をするので」

 僕はスマホで有給申請を済ませると、ミナさんに向き直った。

「今からタカシを探しに行きます。アイツはスマホのバッテリーを撮影まで残すために電源を切っているから連絡が付かないのでしょう」


 車なら夜明け前には着くだろう場所。撮影スポットは限られているし、現地に行けばまず行き違いにはならない。

「ミナさんはどうしますか?」

 温くなったお茶で軽く口を湿らせた。

「僕はね、あなたは一緒に行くべきだと思うんですよ。思い出を確かめるためなのだから、写真じゃなくて、あなた自身がもう一度その光景を目に焼き付けるべきなんだ。甲斐性無しで人の気持ちをちっともわかっていないアイツは一人で飛び出してしまったけれど」


 僕は立ち上がってジャケットのボタンを留めた。

「僕はあいつに言いたいことがあります。あなたもそうでは?」

「……行く。行きます。よろしくお願いします!」

 奥の部屋ですぐに着替えて出てきたミナさんが、ドアを施錠しながら「そういえば」と口を開いた。。


「お兄さんが来た理由……タカシのお母さんの用事って?」

 僕は大きなため息とともに苦笑いで答えた。

「僕の結婚式があるので、予定を空けておくようにとの伝言です」

「あは、それって、伝言って言うの? お兄さん本人のことなのに?」

 もっともな疑問だけれど、僕は答えられなかった。


「ありがとう、お兄さん。タカシに会えたら、一緒におめでとうって言わせてね」

 初対面の人で、式場関係でもない相手からの祝福は初めてかも知れない。

 そう思うと、僕は思わず顔が緩んでしまった。

 弟に会わねば。アイツからきちんと祝ってもらうために。

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