36.漢、いろいろ知る(ちょい複雑なところもあり)
高笑いを収めたユリウスは大剣を足下へ突き立てた。
「なんだ、話しをしたがっていたのは俺だけでなかったようだ。良かったぞ」
途端にラプラス宰相表情が険しくなる。
「なぜユリウス・ラスボーン騎士が話しをしたがるか、理由が見えませんが」
「それはもうあれだ、セネカには多少なりとでも回復してもらってだな。自分で動けるようになってもらったほうがこちらも安全だというわけだ」
「それは無理ですよ。つい今セネカへ打ち込んだ毒はアサシンに持たせたものとは違いますから、いくら待っても……」
ラプラス宰相は用意していた結論を呑み込んだ。息絶えるはずの人物がプリムラに支えられて上体を起こしている。まだ苦しそうでもセネカは回復傾向へあるに違いなかった。
な、なぜ? とラプラス宰相がうめくように上げる。
一方ユリウスはうなずくプリムラを確認すれば目配りをする。
四天にニンジャといった周囲の仲間たちへ言葉にしない意を伝えた。
それから理由がわからず慌てている当国の宰相へ教える。
「武器に塗るような毒は解毒薬もセットで開発しておかないと使用が危ないからな。ならば種類など限られるだろう。見つけて持ってくるほうとしては手当たり次第ができる」
「それは盗んだということではありませんか」
「そうとも言える」
悪びれもせずユリウスが答えている。
癪に触る相手であるが、見事にしてやられた。事実はきちんと認められるラプラス宰相だ。セネカはプリムラに助けられて立ち上がるまで回復していた。こうなっては実力行使しかない。
警備兵! ひときわ大きな号令をかけた。
一斉に剣が構えられた。だが、そこまでだった。
「ええい、なにを怖気づいてますか」
ラプラス宰相の、まさかとした声だった。務めを果たさない兵など連れてきた意味がない。
「どうやら騎兵と違って、皇宮警護しかしてこなかった連中ではなまじ訓練してきただけに技量の差を悟ってしまうのだろうな」
姿見だけで圧倒的な威容を示す漢は、突き立てていた大剣を抜いた。ざっくり地面は裂け、ひびも複数伸びている。
ユリウスのパフォーマンスはかなり効果を上げていた。
警護兵の全員と言っていい、身体が強張って動かない。
ラプラス宰相は冷や汗を飛ばす勢いで声を上げようとする。
今また叱咤号令をかけようとした。
ふと迫る気配を感じた。圧とも言い換えられる強いものだ。
恐怖で目が見開く。
つい先まで話していた相手が間近にいたからだ。
しかも大剣を振り上げていた。
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跳ねる水音が暗き地下道に木霊している。
「まったく姫様の言う通りなったね。おかげで相手もびっくりだ」
「だよな。それにしても宰相自ら出張ってくるから戦いに慣れてるもんだと思ったら、あのザマだもんな。ホント、人がいねーんだな、この国」
先発するベルが振り返り、すぐ後ろに続くヨシツネが返している。
話題に上がったプリムラはユリウスの腕の中にいた。
メンバーで唯一の戦士ではない者であり、王女であれば下水も兼ねる流水の中である。ユリウスとしては歩かせられない。抱きかかえたほうが早いし、汚さずにすむ、と判断した。
つまり現在のプリムラはご機嫌である。口も軽い。
「グルネス皇国の政変はまさしく皇王周辺のみの交代だけ終わってます。武力というより謀略で皇王の座を奪った形なのです」
「つまり皇国の勢力を完全に掌握することなくカナン皇王はその座に就いたってこと?」
先頭のベルが興味津々で訊いてくる。
「はい。早急すぎる傭兵の募集だけでなく、自国の騎兵団が国境付近から動かないところを見ると、思った以上に皇王の足元は弱いのかもしれません」
「姫様はそれを見越していたみたいだよね」
「でもわたくしだけでなくディディエ卿からも助言されたことでもあります」
なにぃ、とプリムラを胸に抱くユリウスが唸る。親父殿絡みは反射的に強い反応が湧くようだ。
うふふ、とプリムラは愉しそうだ。
「急いでグルネス皇国の内情を調査していたみたいですよ。やはり息子とする方の身が心配でたまらなかったのでしょう。トラークー公国の騎兵に陣取らせれば、グルネス側の騎兵団も皇王より優先するだろうと読んでおりました」
そうなのかぁー、とユリウスは素直になれない気持ちを挙げている。
先行のベルがちょっと笑みを滲ませながら言う。
「要は出せる人がいないゆえの宰相自らの御出陣だったわけだね。しかし無知ってコワいよ。まさか武技に通じていないくせにユリウス団長と対峙するなんて無謀すぎない」
怖気づいたグルネス皇宮の警備兵は動きが遅い。ユリウスが敵の指揮官へ迫るまで、あっという間だった。大剣が振り下ろされ、ラプラス宰相の足元は大きく抉れる。石畳は粉々となって舞えば、同時に尻も落ちていた。
悲鳴を上げられない口を開きっぱなしのラプラス宰相は腰を抜かしていた。
指揮する者が体たらくを晒せば部隊は浮き足立つ。
白い煙幕が撒かれれば、追う気力を持つ警備兵は皆無であった。
「ところで、おたく。セネカって言ったっけ。こんなあっさり俺たちと一緒でいいのかよ」
足を止めずヨシツネが、イザークの横で走る女暗殺者へ確認を投げた。警戒を込めているくらいセネカは感じ取れている。曖昧な返答は許されないことを承知している。
「あたし、口封じされかけたのよ。なんで元へ戻るなんて思うわけ」
「オレたちを騙すための策略かもしれないだろ。なにせアサシンだからな」
「だったらヘタレな宰相の登場は余計だったわね。あたしに毒を打ち込んだなら、介抱の暇を取らせないよう戦いを仕掛ければいいのに、べらべら口先でどうにかしようなんて、文官らしいわよ」
ふつふつとセネカは怒りが込み上げてくるようだ。
そっか、とヨシツネは軽い一言ですました。全面的に受け入れたとするには、まだだいぶ遠い態度である。
「ちょっとー、ずいぶん疑っているみたいじゃない」
「別に。ただ急いで結論づけることもないだろって思っているだけだ」
「あんたら、まだ皇王のこと、わかっていないみたいだから教えてあげるけど、あれは失敗を許さないタイプよ。今回でよくわかったわよ」
「つまりおたくもついさっきまで思いも寄らなかった目に遭ったってわけか、それ」
ぐっとセネカが返事に詰まっている。だがそれはむしろ真実さを窺わせ、ヨシツネに多少とはいえ気を許させた。
セネカさん、とユリウスに抱きかかえられたプリムラが呼ぶ。
「なんでしょうか、プリムラ様」
「カナンとは、どれくらいのお付き合いをなされていたのでしょう」
「それは期間、それとも間柄?」
「よろしければ両方ともお聞かせ願えたら幸いです」
ちょっとセネカは考え込む。ふーんとした顔をすれば、黙れる立場になかったわね、と前置きしてからだ。
「出会ったのは、あいつが皇王になるためのクーデターを画策していた時期くらいよ。だから二年は経つわね。それで間柄というと……」
ちらり、プリムラを見遣ってからだ。
「大人の男女とする関係は持っていたわよ」
四天とニンジャは走り続けた。それくらいで驚きなどしない。
そうですか、とプリムラも素っ気ない。
けれどもユリウスだけは足を止めないもののだ。
なんだとぉおおお! 信じられないとする叫びを発していた。