34.漢、宰相と問答(最初は優位なれど……)
誰よりもユリウスが素早かった。
矢で射抜かれたセネカの膝は落ちる。そのまま前倒しになりかけた上体を右腕で拾う。両腕で抱え直して呼んだ。
「おい、しっかりしろ。深くはないぞ」
どうやら急所からは外れているらしい。刺さっている深さは思ったほどではない。止血の準備をすれば抜いても大丈夫そうだ。これを、とプリムラが当て布を差し出してくれば矢羽根をつかむ。一気に引き抜く。
不審でユリウスの眉根が寄った。引き抜く際の手応えがなさすぎる。たいてい鋒は取り除けば多少の肉は抉る。ところがセネカを刺した矢はすんなり引けた。見れば細かな棘を生やした円錐状だ。相手を刺すという傷付ける形状である。
戦場ではなく暗殺において使用する鏃だ。
「ご無事でしたか、みなさま」
品のいい男性が石造りの建物から姿を現した。
ずらり警備兵が居並んでいた。要職にある人物に付き添ってではあるが、警護とするには数が多すぎる。雰囲気も何やら重々しい。
「ラプラス宰相だったか。名前を間違えていたら、すまんな。どうも俺は人を憶えるのが苦手なんだ」
ユリウスの確認に、微笑むジヌ・ラプラス宰相が歩んでくる。
「私のような者を闘神と名高い騎士に憶えていただき光栄であります」
「それで、なにしにきた」
返事をするユリウスは片腕を伸ばす。
プリムラとツバキにセネカの傷の手当てを任せて、大剣を握った。
ラプラス宰相の歩みが止まった。
グネルス皇宮の警備兵の足もそれに倣う。
ユリウスの周囲には四天の四人とニンジャ三人が集う。
両者の間はある程度の間隔をもって停止した。
対峙する格好となった。
得体の知れない緊張感が漂いだすなか、まずラプラス宰相が口を開く。
「今宵はユリウス・ラスボーン使節御一向様が何やら騒動に巻き込まれたご様子。我が皇都の出来事であれば、お招きした我らとしては責任を痛感しております。なのでそこの賊の処分はこちらに任せていただけませんか」
「この女、名をセネカといい、アサシンだと白状したぞ」
ぴくりとラプラス宰相の片眉が上がった。しかしすぐに平静とした態度で応じてくる。
「その者はそのような名前の者でしたか。しかもアサシンとまできては、こちらとしても放っておくわけにはいきません。しっかり取り調べると致しましょう」
「だから渡せというわけか、セネカを」
ええ、とラプラス宰相の声は強気に通じるような自信が感じられた。
それを裏付けるように、ベルがユリウスへそっと耳打ちする。
どんどん集まってきているよ、と。
ちらり、ユリウスはセネカを見る。
「王女、どうだろう。セネカの容態は。あまり良くなさそうだが」
「口が利けなくなったようです。これは出血とした外傷からもたらされた症状ではありません」
止血をすませたプリムラの含みを持たせた回答だった。
やはりな、とユリウスはラプラス宰相へ向き直る。
相手へ大剣を突き出す。いつでも戦闘に入るとした意思を示した。
「どうだ、セネカが話せる状態でなくなったぞ。だからもういいだろ、茶番は。慌てて出てきたのだろう。余計なことをしゃべられないよう注意をそらすためにな」
「なにを仰っているのでしょうか」
「セネカが誰の依頼で動いているか。少なくともここ皇国が深く関わっていそうだ」
「少し結論に至るまでが飛躍しすぎておりませんか」
「俺もそう思う。だからセネカから聞き出したいと考える。問題の原因かもしれない連中に渡しては隠蔽されるだけだからな」
両者の間に漂う空気が緊張を孕んだものへなっていく。
ふふふ、と冷笑が湧いた。
ラプラス宰相が軽く握った右の拳を口許へ当て、左手は上げた。
警備兵が一斉に剣を構える。
「困りましたね、ユリウス・ラスボーン騎士には。大人しく使節団としての役目を果たせばいいのです。これだから下級貴族は困ります。戦うしか能のない騎士は特にです」
「グネルスの宰相はわかっているな。そうだ、所詮俺は騎士程度だ。なのに親父殿はバカだから、跡継ぎなどと言う。困ったものだ」
ちっともユリウスに動じないどころか肯定とくる。しかも何やら胸を張って断定までしてきた。
単なる天然なのだが、ラプラス宰相は職業柄から深読みしてしまう。相手がわざと見せる憐情と解釈し、負けじと声に嘲りをいっそう加味する。
「貴方の謁見における不遜さには呆れます。もう少し礼儀というものを弁えられないものですか。皇王の謙虚な態度に対して調子に乗るなんて、戦うしか能がない証拠ですかね」
思い切り嫌味を言ったつもりであれば、反応は激昂が相応しいように考えていた。だからラプラス宰相は驚く。
はっはっは、とユリウスがまさかの高笑いだ。
「俺は帝国皇帝にもこの調子だ。どうやらどこに行っても上に対する礼儀がなっていないらしい。だから安心してくれ、グネルスの皇王だからといって無礼な態度を取ったわけではない。元からダメなヤツなのだ、俺は」
そうなんですか、とラプラス宰相はうっかり答えてしまう。慌てて首を横に振って、しっかり意識を持つよう自身を叱咤した。先からどうも相手のペースに呑まれ続けている。
「自覚あるならばユリウス・ラスボーン騎士。上位貴族の立ち振る舞いを少しは身に付けたらどうですか。婚約相手は王族だということをしっかり認識すべきです」
言ってからラプラス宰相は口をへの字に結んだ。これでは助言しているようなものではないか。
けれどもこれがユリウスへ痛撃を与えるから、何が幸いするかわからない。