32.漢、正体を知る(女暗殺者の)
女暗殺者セネカは身体の震えを抑えられない。
ど、どうして……と洩らすだけで精一杯だ。
右手に大剣を持ち、左腕にプリムラを抱えるユリウスがゆっくり近づいてくる。
「アサシンは人知れずの策を弄す点には長けているかもしれん。が、まともな戦闘となったら騎兵には敵わんといったところだ。いや待て待て、それではニンジャに蔑ろにしてるみたいで悪いな」
考え込む顔をしながらユリウスは手にした大剣の先を突きだす。
顎先に今にも触れそうであれば、ひっとセネカは悲鳴を上げてしまう。
女暗殺者にすれば、騎兵どうこうではない。こいつらが強すぎる!
「やっぱりあれだな。アサシンに比べてニンジャは優れものだな。良い出会いとなった。これも王女が俺なんかのところに来てくれたおかげだ、ありがとう」
そんなぁ〜、と両頬へ手を当てるプリムラはご機嫌だ。ずっとユリウスの腕に抱かれていたことで、未だ夢見心地が冷めやらずだ。本当だぞ、とユリウスに念を押されれば、愛くるしい唇が滑らかに動く。
「わたくしなどには過ぎた者たちです。あ、でも一人、不届な者が混じっておりますけど」
ニンジャを賞賛しつつ、ツバキに対する怒りも忘れない。
はっはっは、とユリウスは高笑いするだけで追求はしない。気にかけるべき問題が大剣の先にある。
「ところでセネカの処遇はどうする。直接に狙われた王女に委ねてもいいぞ」
処断するなら、わずかにユリウスが踏み込むだけでいい。一歩分だけで大剣はセネカの首を裂く。
顔つきを改めたプリムラが少し不思議そうに訊く。
「ユリウスさまにしては苛烈とする処遇をお認めなさるのですね」
「俺は今、俺自身にものすごーく腹を立てている」
不思議に思う者はプリムラだけでなく、セネカも同様だった。それはどういうことですか? と前者は声に出して、後者は危機的状況にも関わらず表情で問いかける。
「今回、ニンジャたちが毒の使用も辞さないとしていたところを、俺の一存で止めてもらった。ただ嫌だったからとするだけの理由なのに、あいつらは飲んでくれた。だがその甘さでツバキを失いかけた」
「あれは先方が使用したというだけで、こちらも毒をもって対抗すれば防げたという話しではありません。ユリウスさまが気に病むことではありません」
「いや、毒に対する油断を招くきっかけになっただろう。ツバキが傷を負った際にすべき確認を怠った責任は俺にある」
ぎゅっと絞るような音がした。大剣の柄をさらに強く握りしめたせいだ。ユリウスの感情の表れである。
セネカは迫る危機を感じた。大剣がいつ伸びてきてもおかしくない。
「お願い、お願いよ、殺さないで。あたしは、あたしはこんな所で死にたくない」
それこそ泣きついてくる。今にも両手を挙げて涙を溢さんばかりだ。
微かにユリウスが諦めにも似た息を吐く。
プリムラは冷たい目と口調で応えた。
「けしかけた本人が自分だけの助命を請いますか。真意はどうあれ、貴女を助け出すためにやってきた者たちではないのですか」
プリムラのすみれ色の瞳が周囲を睥睨する。
裏通りの小広場を中心に黒づくめの人影が連なる。斬られるか、矢で射抜かれるか、手裏剣が刺さっているか。やられ方は多様であれど、結果は等しく絶命である。
ただ一人だけセネカは残った。生存できるかどうかは相手次第となっている。
「助けなんかじゃないわよ。秘密がもれないよう来ただけよ。その前には殺そうとしてたじゃない。見たわよね、闘神も。アサシンなら他のヤツの命なんて気にするはずがないわよ」
必死な抗弁だが、聞く者に響く者はいない。
いやユリウスだけは少し気の毒に感じたようだ。
「同じ裏の世界でもニンジャとはずいぶん違うようだな」
「そうよ。あたしだって初めからニンジャの所にいたら、こんなろくな目に遭っていなかったわよ。まったく運がないったら、ありゃしないわよ」
嘆きから憤慨になったセネカの視界に入ってくる。
キキョウがユリウスの突き出す大剣の傍へ立った。
「あたしとサイゾウ、ハットリも元からニンジャの里の者ではないですよ」
「そうなのか?」
思わず驚きを上げたユリウスへ、キキョウはうなずく。
「三人とも壊滅させられた、あるアサシン集団の生き残りです。生き残りと言っても本当に小さい時だったので、当時はただ死を待つだけの存在でした。運良くニンジャの里の者に拾われたおかげで、こうして生きていられます」
「そうか、そうなのか。家族を殺されたりで辛かったな」
「いえ、あたしたちは誰が父で母なのかわからないまま育てられたから。物心ついた頃にはひたすら暗殺のための訓練をしてました」
ふっとキキョウが目を向けた。まだ少女とするあどけない顔立ちだ。けれども瞳に湛える冷たい光りは、見つめられたセネカを震え上がらせるに充分であった。
「姫様とツバキ姐さんがいたからこそ、あたしたちは感情を取り戻せた。そんな大事な二人をアナタは奪おうとした。許せない」
死刑宣告に違いなければ、セネカはなり振り構わず叫んだ。
「やめて、やめてよー。あたしは元からアサシンじゃない。異世界から来た人間なのよー」
訴えが嘘か真かはともかく、延命には成功した。