31.漢、離してやる(悪手ではない)
最後に駆けつけたイザークとしては惜しい。
使節として訪れた初日の夜から風雲急を告げられた。
もっとも予想はしていたし、グネルス皇国に入っている間は油断などしない。それでも敵地とする事態へ陥ることなく過ごせれば、と願う気持ちも少なからずあった。
残念ながら歓迎の舞踏会において、そっとベルから耳打ちされた。
手を取って踊るプリムラとカナン皇王。一見、華やかな二人が親しげな顔で交わす会話は不穏そのもらしい。生命の危険性さえ匂わせる言葉も出ていたそうだ。
のんびりはしていられない。情報収集のため当国の令嬢と親しくなることに勤しむ。ユリウスに出来ない事が自分の役目だからである。怪しまれないよう舞踏会後の付き合いもおざなりにしない。ある令嬢のしつこさに辟易しながらも、なんとか頃合いを見て脱出してきた。
指定の場所へ辿り着いたら、なんだかプリムラ王女と侍女ツバキの間において何やら様子がおかしい。仲直りしようとしているみたいだが、何かしらの含みを感じる。これは絶対に今まで面白い展開をかましていたに違いない。遅くなって見られずが残念でたまらない。
だからヨシツネの態度には腹が立つ。
「お、やっと副長お出ましですか。タラちゃんしていたせいですかねー」
タラちゃんとは女たらしこんでいたを意味する仲間内の隠語である。
これが頭にくる。
確かにイザークは女性に引っ張られて誰よりも遅くなった。情報を得るためとはいえ、ある令嬢に甘言を弄していたわけである。良くない手練を繰り出している自覚はある。責められるくらいの報いは受けよう。
だがヨシツネには言われたくない。こいつ、ただ遊んでいるだけである。こっちは目的を持ってである。女性なんか口説くより、ユリウスたちを観察したい。本来なら面白いほうを取りたいところを、ぐっと堪えた。
なのにヨシツネはユリウスやその婚約者が巻き起こした一連の騒動を目にしていたようではないか。
羨ましい限りである。
「お、みんな揃ったな」
振り返ったユリウスが手招きしている。
ここまでプリムラを連れてきたアルフォンスはいつも通りとして、ベルは木製の瓶を片手にしていた。ハットリを連れ立って、ささっと移動する。サイゾウが押さえる黒で身を固めた女性の前をすぎ、ユリウスの下へ辿り着く。
「これが皇宮にある薬品室から持ってきたやつだけど、どうかな」
ベルから渡された瓶を、ユリウスは掲げる。
「セネカと言ったな。今ベルが持ってきたほうを飲んでもらうでいいな」
黒で身を覆う女暗殺者は観念したようにうなずく。
セネカは飲み終われば、心底からと知れる安堵の息を吐いていた。
「どうやらこれも解毒薬であることは間違いないようだな。しかも瓶の形まで同じときている」
あからさますぎるとでも言いたげなユリウスにじっと見られて、セネカは肩をすくめる。
「そう滅多に使用しない毒なの。掠める程度で効き目がゆっくりと、けれども確実に致死へ至る優れものよ。あたしらが普段から持てるような代物ではないわけよ」
「なるほど。今回はアサシンにすれば特別だったわけだな。何より巨大権力の後ろ盾を得ていれば失敗など想定していなかったか」
「よく、おわかり。なら、これで終わらなくても驚かないわよね」
不穏な内容と共に動きがあった。
一斉に黒づくめの者たちがあちこちから姿を現す。
路上や周囲の建物に暗殺者と思しき人影がある。
ユリウスたちを取り囲んでいた。
「あたしを離してくれたら、あんたたちを助けるよう仲間に話しをしないでもないわよ」
ここを逃げ出す希望は自分にしかないとするセネカの話しふりである。
「サイゾウ、離して身軽になれ」
あっさり聞き入れたユリウスに、セネカはやや拍子抜けするも急いで駆けていく。黒づくめの者たちがいる安全な距離まで離れれば、くるり今いた場所へ向く。
セネカの口は三日月の形をしていた。まさに邪悪な笑みだった。
「ごめんね、やっぱり説得なんて出来ないわ。でも怨まないでね。表と裏では戦い方はまるで違うのよ。どんな手を使ってでも生き残ることが優先なのよね」
「だがな、セネカ。これは悪手だぞ」
答えるユリウスが胸を張っている。いつもの体勢なのだが、知らない者にすればやたら自信を持っているように映る。たちが悪いのは本人に全く自覚がないことだ。
「ふん、変に強がるのもいいけれど、こっちは三十もいるのよ。それにそれだけの解毒薬では全員の分まで回らないわよね」
鼻で笑うセネカへ、はっはっは! と聞き慣れた高笑いが覆った。
「それは逆だ、考え方が逆だぞ。多人数で毒を仕込んだ武器を持っているなど、却って命を縮める真似だとわからんのか。それに俺としては何よりも婚約者を守らねばならん」
「なに言ってんだか、意味不明だわよ!」
思わずセネカは吠えた。得体の知れない恐怖に駆られしてしまって、とは認めたくない。
背中の大剣を抜いたユリウスが自陣営とする皆へ告げる。
「いつもと違って最初から本気で行け、手加減無しだ。いいな」
四天もニンジャもその通りとした。